雨降って、変化始まる。
◇◆◇◆◇◆◇
気がついたときには、ここにいた。
(僕は死んでない、ですよね)
鳥居に近づく。つやつやとした赤い柱には、自分の姿がうつっていた。
今日の竹琉は私服。上着がわりに初等部のブレザーを来ていた。
ほっとする。
死んで、おばけになっていたら鏡にはうつらない。眠気もくるし、空腹だし、痛みも感じる。だから、生きてる。
ポケットに手をいれた。そこから取り出したのは黄色いカード。
竹琉が通う学校特有のものだ。『元気だけど学校を欠席してます』のカード。欠席理由の欄には『引っ越しのため』ときれいな字で書いてある。
これがあるから、ブレザーを着ていても、堂々と駅の中をあるくことができた。でも、このカードも嘘かもしれない。
現実では、竹琉は行方不明者にされていたりして。
首を横にふる。また赤い柱にうつる自分を見た。
「なんて情けない顔なんでしょうね」
嫌悪感たっぷりに、自分を罵ってやった。
赤い柱にうつる竹琉は今にも泣き出しそうな顔をしていた。小柄な体をちぢこませているせいで、いつも以上に弱々しく見える。
まだ12歳になったばかり。まだまだ子どもだ。だから、小さいのはしょうがないことにしておく。でも、情けないのはダメだ。
背筋を伸ばし、下がっている眉を上げた。
(大人になったら、お父さんみたいに背の高いかっこいい男性になるんですから)
竹琉は母親似だ。
感情を隠せない大きな目のかたちも、油断するとすぐにはねてしまうクセのある髪も、茶色の強い紅茶色の瞳も、おまけにちびで病気になりやすい体も。ぜんぶ母親に似てる。
この髪の色と体つきのせいで、幼馴染みの一人からは、
『頭が悪そうなポメラニアンっぽいよな』
そうからかわれていた。
思い出すだけでムカつく。でも、今はひたすら懐かしい。
(空頼、泰地)
両手を見つめる。その手を両頬におくと、強くたたいた。
しっかりしろ! 情けないやつめ! 体だけではなく心も弱くなってどうする!
頬をたたきながら、自分自身に叱咤しつづけた。
思い出したくない。
そう思っているのに、頭の奥で二人の親友の声が響いてくる。
『大丈夫じゃないことがあんなら大丈夫にしてやるからさ、そばから離れんなよ』
『隠し事をしてもすぐに見抜くぞ。嘘をついたら叩くからな』
大事な親友。いつだって一緒にいた。いつだって助けてくれた。竹琉は、なにもできないのに。
歩くのをやめ、泣かないように目をきつく閉じた。
「会いたい、です」
誕生日から一週間、学校に行けなかった。
引っ越しの準備のあいだ、駅前のホテルに軟禁されていた。夜深夜に『一週間後の9時まで外に出てはダメ』と言われ、スマホも取り上げられた。
誕生日から一週間後の今日は平日。9時は子どもは学校で勉強をしている時間。だから、会いにいかなかった。引っ越しが落ち着いたら、いつでも会えると思っていたから。
馬鹿だった。気持ちのおもむくままに会いに行けばよかった。もう二度と会えないかもしれない。
頭が後悔でいっぱいになる。
「う、あ、だめ、だめ」
視界がグニャリと歪んだ。あわてて上を向く。涙は流さなければ、泣いていることにはならない。一刻も早く、目にたまった涙がかわくのを願った。
そのとき──。
「……っ!?」
顔に水滴が落ちた。頬や額に数滴。ちょうど両目にもはいり、反射的にうつむいた。
なんだか、変だ。目から入った水が、体全体に染みていくような感覚。嫌じゃない。妙に心地いい。それが逆に怖かった。
手のひらに集まった水滴を握りしめるように、こぶしをにぎる。顔から手を離すと、腕で目の水気をぬぐった。
石畳にはたくさんの水のシミがあった。
それは、だんだんと増えていき、石畳の色を変えていく。
立ち上がり、暗黒の空を見る。
(ここ、空、あるんですね)
髪についた水滴が、ひたいや頬をつたう。
最初は冷たかった。だが、頬をつたう水滴だけ、だんだんと熱くなっていく。
水が目にあたったせいだ。
もうだめだ。とめられない。
竹琉は、こぼれる涙を何度もぬぐった。
あいたい。両親に。
親友に。あいたい。
「泣き虫」