月光色の草原にて みんなの願いが集まる場所
「儀式?」
「そう。難しいことではないから安心して」
夜深夜は最後の一段を、軽やかにおりた。
ころころころころ……。
木でできたドアベルのような音が響く。いつもこう。彼女が激しく動くと、体のどこからか音がする。おそらく、着くずした羽織の内側だろうが、音がするようなものは見えない。
竹琉も階段の最後の一段をおりた。腰までのびた草の海にはいると、視線は自然と上にむいた。
鳥居があった。
厳島神社にあるような巨大な鳥居。色は鮮やかな朱色。近づいてみると、刃物で削ったような跡がいくつもある。角度によって赤や黄色、橙色に煌めいていた。
竹琉は首をかしげた。
おかしい。こんなに大きな鳥居、トンネルを出た時点ですぐに目にはいる。なのに、階段をおりるまでまったく気づかなかった。
──もしかして、不思議な、もの?
「さぁ、竹琉」
肩に手をおかれ、体がビクリとはねた。
「くぐってちょうだいな」
「え?」
「儀式というのはね、鳥居をくぐることなのよ」
「……くぐらないとダメ、なんですか?」
「ダメ。しきたりだもの。くぐらないと『幻荘』に案内できないわ」
竹琉は戦いた。
いやだ。これはいけないものだ。くぐったら、なにが起きるかわからない。でも、ここで足ぶみをつづければ、夜深夜に迷惑をかけてしまう。
そう思うのに、どうしても動けない。
「どうしたの? 鳥居が怖いの?」
夜深夜はやわらかく笑った。そして、急にはねるように走りだす。カラコロとひときわ激しく音が鳴る。彼女はあっというまに鳥居をくぐると、くるりとふりかえった。そして、両手を広げる。
「ほら、なんともないじゃない? 早くおいでなさいな」
竹琉は息をのむ。
大丈夫。夜深夜にだって見えているのだ。これは不思議なものではない。人間が建てたもの。安全なものだ。
一歩、ふみ出す。
ダメダメダメダメダメダメ!
本能が叫ぶ。心臓が激しく鼓動する。耳鳴りがする。それでも歩く。鳥居の柱が真横に来たとき、竹琉はきつく目をつむった。
一歩、二歩、三歩……。
夜深夜の甘い香りが強くなったとき、まぶたを開いた。
上を向くと鳥居のてっぺんは、竹琉の体のすこしうしろにあった。
「……くぐ、れました」
本当にただの鳥居だったようだ。
ほっと息をつく。
「あら、やっぱりね」
その一言が発せられると、不穏な風が吹いた。
夜深夜の顔を見ようとしたとき、両肩がぐっとおされた。
「え?」
不意の衝撃に、体は素直にうしろに倒れていく。
そのとき、視界に夜深夜の姿をとらえた。
彼女は羽織の袖で口を隠し、竹琉を見つめていた。
蜜柑色の瞳は、あやしく光っていた。
まさか、──
ざざざざざざざざざ──!!
若竹色に視界をさえぎられた。
かたい感触が竹琉の全身を撫でる。針だろうか。ちくちくちくちく。ちいさな痛みが体を刺激する。それが目に刺さらないよう、目を細めたり、とじたり、なんとかこの状況をとらえようとした。
だが、終わりは突然おとずれた。
若竹色の幕があがると同時に、背中に大きな衝撃が走った。
「いっ……た……い!!」
経験したことのない衝撃と激痛に悶絶する。
腰か尻の骨がおれたんじゃ。
冷や汗を流しながら、ゆっくりと体を動かす。めちゃくちゃ痛い。けれど、起きあがることはできた。ほっとする。
竹琉は尻やら背中を撫でながら、あたりをみまわした。
あたり一面が笹だった。
笹の枝には、5色の短冊や折り紙で作られた巾着や輪飾り、星飾りがたくさん飾られている。
上をみると、ひときわ太くたくましい笹に、大きな七夕飾りがつるされていた。くす玉と吹き流しを組み合わせた豪華絢爛な飾りだ。ひらひらとした吹き流しは長く、地面に大きく広がっている。竹琉が尻餅をついているところにまで余裕でのびていた。
まるで、この世に生きる人の、すべての願いが集まっているような場所だ。
いったい、ここはどこ?
清庭草原に笹なんてなかった。飾りも見当たらなかった。
頭が、心が、追いつかない。
そうだ。夜深夜は。
どぉん! どぉん! どぉん!
重く響く太鼓の音に、竹琉の体はこわばった。
しゃん しゃん しゃらららら
今度は爽やかで、どこか耳障りな鈴の音。
くすくす くすくす
笑い声の方を向くと、吹き流しが揺れた。
のぞかれていた? 誰かいる?
また違うところで視線を感じた。フッとそちらを向くと、今度は笹と七夕飾りが動いた。
くすくす くすくす くすくす
完全にバカにされている。
竹琉は立ち上がって、飾りに触れようとした。
「ゎっ?」
手首に長い紙の帯が巻き付いていた。金色の吹き流しだ。色とりどりの紙は蛇のように自在に動き、竹琉の足や腰や首に巻ついてくる。
なに。これ。
紙が絡みつかれるたび、体がすごく重たくなっていく。複数人に押さえつけられているような、重圧感に息が詰まる。
やがて膝から崩れ落ちる。それにも堪えきれなくなると、紙の上に倒れてしまった。
でも、紙は竹琉の体を包み続けている。
くすくす。うふふふ。あははは。
甘い笑い声が身体を撫でてくる。
──首を絞めてはダメよ。いくらなんでも可哀想。
頭の中で女性の声が響く。
頭どころか、視線すら動かせない。
──ずいぶん穢れているわね。
──きっと自分を……びとだと勘違いして生きてたのよ。完全に人のかたちをしているもの。
──もしかして、あのお二人の子供かしら。狐の方にそっくり。
──オダマキのふたりの? なら、なにも知らないのね。なっとく。
──だから、……さまがここら辺をうろついていたんだわ。
──……様ですって? まぁ、運の悪い子だこと。
独り言だろうか。そう思ってしまうのは、彼女たちはみんなおなじ声をしていたから。
さらりと二の腕を撫でられた。びくりと反射的にふるえることもできない。
髪が。頬が。腕が。手が。足が。
複数の手に撫でられる。極彩色の紙の帯に縛られた体が、ゆっくりと持ち上げられた。
──よしよし。これくらいの高さにしておけば、見落とされることはないでしょう。
──まるで鵙の早贄ね。忘れさられないといいけど。
──ここから繭のようにするの。もっと目立つようにね。
──そんなことしなくて大丈夫でしょ。この子、生まれつき『星』を持っているもの。
──しかも、超がつくくらい上質な『星』だわ。わたし、こんな力を感じたことない。すごく惹かれるわ。
──わたしもよ。この力をわけてもらえるなら、なんでもしてあげると思うもの。
──そうでしょう? だから、大丈夫よ。
──でも、あの方は意地悪だから見つけられなかったと嘘をつくかもしれないわ。一応、包んでおきましょうよ。
紙は竹琉の体を包みこんでいく。幾重にも幾重にも重なっていくと、光も、空気も薄くなっていく。声も紙の音も聞こえなくなる。必死に感覚を研ぎ澄ませていると、暗闇の奥で、複数の気配が離れていくのを感じた。
──待ってください。
いかないで。怖い。助けて。
体は完全に動かない。声すら出せない。それどころか呼吸もうまくできない。
このまま、目を閉じたら、
(死んじゃうのかな)
世界は暗黒に染まった。