月光色の草原にて みんなが願いを告げる場所
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トンネルを抜けると、月面だった。
その絶景を見たとき、有名な小説の一節が浮かんだ。
雲ひとつないきれいな青空。その下には、黄金色の太陽に照らされて、月光色に輝く草原があった。
──ここが、清庭草原。
竹琉が立っている、トンネルを出てすぐのこの場所は、山と草原の境目あたり。すこし高い場所にあり、草原の全体をみわたすことも、些細な変化も楽しむことができた。
草原の地形は、月のクレーターのような、ゆるやかな凹地形。まわりは紅葉で紅や黄色に染まった山にかこまれている。明るい色に支配された草原は、まるで草や森が、みずから光っているかのようにみえた。
風が月光色の草をなでるたび、その上を琥珀色の煌めきが駆けぬけていく。草原の中を流れる、いくつもの小川は蛇の鱗のようにチカチカ光っていた。
「きれい、ですねぇ」
深く息を吸いこむ。
太陽と草と、秋独特の甘くせつない香りで胸がいっぱいになる。
気持ちいい。けれど、すぐに違和感が気づいた。
ない。気がする。
人の気配も。鳥の気配も。虫の気配も。
「清庭草原にようこそ」
「わ!?」
突然の背後からの声にぎょっとした。ふり向いたとき、むかえられた笑顔の美しさにまたおどろく。
「あらあら、おどろかせてしまったわね」
「夜深夜さん」
竹琉は気まずくて、苦笑いする。
いつからいたのだろう。話しかけられるまで全然、気づかなかった。
「一緒にこれなくて、ごめんなさいね。いろいろと用事がたてこんでしまって」
「大丈夫です。電車を間違えなければ、確実にこれますから。……夜深夜さん、引っ越しとかいろいろな手配、ありがとうございました」
「ふふ、どういたしまして」
彼女──菊園 夜深夜はニンマリと笑った。
本当にきれいな女性だ。
彼女の腿までのびた長い髪は、赤みの強い紅茶色。肌はきめ細やかで、顔は卵形で小さい。無地の黒い着物と真紅の羽織に身をつつんだ体は細く、ぴんと背筋を伸ばした立ち姿は百合の花を思わせた。けれど、美しい彼女の容姿で一番の目を惹くのは、瞳だ。
特殊なコンタクトでもいれているのだろう。その瞳の色は、蜜柑色。丸い瞳孔はなく、線が細いアスタリスクが描かれていた。
夜深夜と竹琉の関係は『祖母と孫』。
彼女と出会ったのは、1週間前。竹琉の誕生日だ。
『あなたのお母さんのお母さんで、あなたのおばあちゃんよ』
はりきって自己紹介された時、すぐには信じられなかった。彼女は、どうみても二十代にしか見えないから。
とても『おばあちゃん』なんて呼べなくて、『夜深夜さん』と呼ばせてもらっている。その許可をもらったとき、彼女はめちゃくちゃショックを受けていた。
『おばあちゃんって呼んでくれないのね。おおん』。
おおんって。独特の泣き声は思い出すと笑ってしまう。
「すこし用事があるから、草原におりましょうか」
細い指がしめす先には、石の階段があった。草にうもれるようにしてあるから、言われるまで気がつかなかった。
夜深夜が歩きだしたので、あわててあとを追う。
竹琉はある事情で、今まで住んでいた家を離れることになった。
新しい住処は彼女が経営する集合住宅・『幻荘』。
そこは家だけど、学校でもあり、宿泊施設でもあるという。きっと、かなり大きな家だろう。けれど、あたりにそれらしいものはない。草原にある建造物はひとつだけ。
それは草原の中心にあった。
──あれが、あの星摘神社
竹琉が住んでいる菊理町には毎日、いろんな噂がながれている。
デカ盛りの料理を完食し、大金をばらまいていく美青年の噂。
万能薬をもつ美しい乙女が営む喫茶店の噂。
絶世の美女が教える、異性の心を確実につかめるおまじないの噂。
数ある噂の中でも、特に本当だと有名なのが『清庭草原の星摘神社』の噂だ。
満月の夜。願い事をとなえながら祭壇に明かりを灯すと、その願いが叶う──らしい。
(満月の夜だったら、良かったのに)
竹琉には願いがある。
大人でも、叶えることがむずかしい願い。それを叶えてくれるかもしれない星摘神社の噂は、竹琉の希望だった。
でも、実際に神社をみたら、すこし戸惑ってしまった。
神社は遠くからでもわかるほど、ボロい。すごくボロい。扉は壊れて本殿が丸見えだし、屋根もところどころ崩れている。神社をくるむように育った御神木のおかげで、やっと建っているみたいだ。生き生きとした神木や草原とは真逆で、あまりに弱々しい。願いを叶える力があるようには、とても見えなかった。
「ここにはどんな用事があってきたんですか?」
階段をおりているとき、聞いてみた。夜深夜はすこしふりむき、妖艶に微笑んだ。
「幻荘に行く前に、竹琉は儀式をうけないといけないの」