彼女は背中に菊の花を咲かせた
甘い声の方に、目を向けた。
夜空の下、青い花畑の中にたたずむ、細い影をとらえる。
知っている影のかたち。雲に隠れていた星が顔を出すと、あたりは明るくなった。
その影の髪の色は紅茶色。長い長い髪の女性がいた。
「夜深夜さん!」
思わず走って、夜深夜に抱きついた。
「私に抱きついてくれるの? ひどいことをしたのに」
「あ」
言われて、竹琉は清庭草原のことを思い出した。
「忘れちゃってました」
苦笑いすると、夜深夜の細やかな手が、やさしく頭を撫でてくれた。
「清庭草原で見放すようなことをして、ごめんなさいね。
儀式をしないと竹琉はここにこれなかったし、正直にいっても信じてもらえないと思ってね。だまっていたの。
とても怖い思いをしたでしょう。
ごめんなさい」
首を横にふる。
邪魔だったんじゃないか、とあの場所で不安だった気持ちがなくなったわけではない。だが、今はまた会えたという、うれしい気持ちの方が強かった。
ふと自分にかかる影の違和感に気がつき、抱きしめる力をゆるめた。
夜深夜の顔を見上げる。
彼女の背景には、見たことのない星空と無数の蛇の影がみえた。
微笑む夜深夜から、そっと離れる。
それは蛇ではなかった。
緋色に光るしっぽ、のようなもの。
夜深夜と竹琉の髪と同じ、癖が強い毛並みで、何百何千もあるように見える。
巨大な花。緋色の菊を背負っているようだ。
「夜深夜さんも」
竹琉はふりかえり、蒼磨と癒馬を見た。
「……蒼磨さんも、癒馬さんも、人じゃ、ないんですね」
「人よ」
予想外の答えに竹琉はとまどった。
何故、とまどったのかわからなくて、さらにとまどう。夜深夜はニンマリと笑った。
「この国ではね。でも、豊葦原では違うわ。有名ではないからひとまとめにして『化け狐』なんて失礼な言われをする類いなの。
でも、本当の種族名は『化け狐』じゃあなくて『菊花狐』よ。神様に仕える力の強い狐なの」
夜深夜は微笑んだ。すこしだけうしろに下がると、蒼磨の体にぶつかった。彼の腕にしがみつく。無意識だった。
夜深夜の背で燃え盛るようにあった緋色の尾が、霞のように薄くなり、やがて、消えてしまった。
彼女がまとう真っ赤な羽織の中には、小さな竹筒がたくさん縫いつけられていた。清庭草原で不思議に思っていた音の正体が今、はっきりと見えた。
これも、儀式をすませたから『見えるもの』なのだろう。
「風が冷たいわね。こっちの秋は寒くなるのが早いのよ。中にはいりましょう」
夜深夜に手を引かれた。瑠璃唐草の花畑から、竹林。竹林にかこまれた道の先に、建物があった。
古い大きな洋館だ。
一見、山小屋のようにも見える。雨にも風にもびくともしないようなどっしりとしたたたずまい。
三つ並んだゆるやかな切妻屋根が特徴で、星明りではその屋根がはっきり何色かはわからない。建物を構成する壁は下半分は強固な石、上半分は木の枠と白い壁でできていた。
建物の左側には、煉瓦でできた塔が寄り添っていた。その塔のてっぺんには水滴をのせたようなドームがある。巨大なテレイドスコープのようだ、と竹琉は思った。
「おかえりさない。竹琉」
夜深夜を見ると、ほがらかに微笑んだ。
「ようこそ、幻荘へ」




