見えない逃走劇
「さすが馬鹿だな。急いでいるのに待つわけがないだろう」
「さすがってなんだ! さすがって! お前なんかデクノボウのくせに!」
「やる気か? あとで覚えていろ」
「いまやれっつーの!! 抱えてるもんと一緒にこっち向きやがれ!」
いったい、どういうことなのだろう。
危険人物が言った『すごくいいにおい』というのは。
追いかけてくる人は『人を食べる人』?
竹琉の体が強ばった。そして、絶望する。危険な状況から、脱しきっていなかったのだ。
まさか、蒼磨も追いかけてくる人と同じように――
「つかまれ」
見えないが顔を上げた。
「首に抱きつけ」
強く言われた。竹琉はおそるおそる蒼磨の首のうしろに腕をまわす。布で見えないが、あの美しい顔が顔のすぐ横にあるのを感じた。
「その制服の袖! 響明館学園中等部の制服! しかも、男子用のブレザー!!」
不意の正解にぎょっとする。思わず手を引っこめようとしたが、体に受ける風の強さに今さら手を引くことはできない。
「拾いものだそうだ」
「んなわけねぇだろ! お前は知らねーだろーな。
響明館学園の制服の取扱いは厳重で有名なんだよ!
着なくなった制服は学園が回収して処分すんだ! コスプレされて評判落とされねーようにな!
ネットオークションにも出せないよう、袖のめちゃくちゃきわどいとこに超小型GPSが縫いつけられてんだぞ!?
ほんとムカつく! 俺のコレクションにしてぇのに!
それに喋れねぇのに拾いものってなんでわかんだよ! ボロが出てんだよ!」
盛大な舌打ちが耳元で響く。
竹琉はおどろいていた。
制服もそうだが、その取扱いも世間に流れている情報ではない。追いかけてくる人は何者だろう。発言からして、学校関係者ではなさそうだが。
「竹琉、ゆるい。もっときつく抱きしめないと振り落とすぞ」
竹琉はもっときつく抱きしめた。
「まだゆるい」
「限界なんですけど」
「弱い……あぁ、理解した。お前は肉が多いんだな」
失礼すぎる。そんなについていないと思うが妙に傷つく。
「肉だから、やわらかいんだな」
しみじみという蒼磨。腕にすこし力がこもるのを感じた。
冷たく、かたい。まるで、石のよう。
しばらく、蒼磨と危険人物の攻防はつづいた。時間ごとに激しくなっていく。
上昇したり、下降したり、階段を上がったり、下に降りたり。たまに風を切る音がすると、竹琉の背中を支える手がはなれ、なにかを断ち切るのを耳で感じた。
見えない中で行われる攻防に、竹琉は恐怖した。蒼磨を抱きしめる力を限界以上に強める。
蒼磨が『やめろ』と言わないので遠慮はしない。
腕にかすめる灼熱、耳元で聞こえる風を切る音を感じて、力をゆるめる方がおかしいと思う。
「? 離せ」
ふと、蒼磨の動きが止まった。竹琉が腕の力を緩めると、そっと地面におろしてくれる。蒼磨の体から離れると自分を抱きしめるように腕を手でさすった。
寒い。
激しすぎる動きにベルトはブランケットを押さえる役割を失っていた。ブランケットはいま、なんとか頭部と背中だけを隠せている状態。
竹琉は布を押さえながら、あたりを見回した。
寒いはずだ。
蒼磨と竹琉が今いるのは、竹林にかこまれた花畑。咲き乱れているのは時期ではないはずの瑠璃唐草だ。
目の前にたつ蒼磨を見上げる。彼は背中を向けたまま、じっとしている。
まだ安全ではないらしい。
「蒼磨ぁああああ!」
突然の怒声に、蒼磨は身構えた。
おそるおそる蒼磨の背中から顔を出す。
いつから、そこにいたのだろう。
蒼磨の前、すこし距離を取ったところに危険人物がいた。
臨戦態勢。ただならぬ空気に息をのむ。
危険人物は、かなり小柄で華奢。
女の子だ、と確信する。
彼女は激しい呼吸を繰り返しながら、蒼磨に透明なタッパーをさしだした。中に入っているのは星明かりの中でもはっきりわかる、明るい黄色いもの。
「いっっっぱい走って、疲れたよな。そんなお前に差し入れだぞー……これ、なんだとおもう?」
蒼磨のつばを飲む音が竹琉の耳に届いた。一歩、進んだがこらえてくれる。ほっとするが、はっきりと安堵はできない。
「卵焼きだな」
彼は惹かれている。確実に惹かれている。
危険人物はせせら笑った。
「ただの卵焼きじゃねーし。……お前の大好物! 砂糖入りの卵焼きだぁあああ!!」
その言葉と同時に、危険人物はあさっての方向にタッパーをぶん投げた。
突風が起きた。
「え?」
反射的にとじたまぶたをひらくと、蒼磨がいなくなっていた。
(どこにいったんですか!?)
彼は、行ってしまったようだ。タッパー投げられた方に!
裏切り者っ!
「う……わっ!?」
淡い燐光を放つ空色の花びらが夜空を舞う。
危険人物が一気に竹琉との距離を詰めてきたのだ。
あっという間である。肩をおさえ込まれ、花畑に押し倒された。足が動かせない。竹琉の両足を挟みこむように、彼女の馬乗りになっているからだ。なにをする間もなく、不利な状況に持っていかれてしまった。息をのむことしかできなかった。
ケープを深くかぶった危険人物と目が合った気がする。
――なぁ、お前、ここにいてもいいのか? とって食っちまうぞぉ?
恐怖の言葉を思い出し、竹琉の全身に鳥肌が立った。
「僕はゲロクソまずいです!」
竹琉は顔を腕でかばった。
情けないこと、この上ない。けれど、竹琉にできることは防御と抵抗だけだった。
しばらく、沈黙が続いた。
「嘘だろ……マジかよ」
肩を押さえていた手が引き、身も引かれた。腿に座ったままだから、完全な解放ではないが。
彼女は、フードを脱いだ。




