第15話 デートみたいだね
週が明けて研究所に出勤すると、アランとの新たな研究が始まった。
クラウディアはまず『香料を練り込む基となる海藻を、市場に探しに行きましょう』とアランに提案した。
先週、王立図書館から借りて来た海藻図鑑を指し示して
「これです、 “アマニータ”という海藻ですね。これが必要です」
「なるほど。君は前回これを使ったのかい?」
「あ、いいえ……理論上だけの話で、その研究はボツになったので、試してはいません」
「そうか、却下されたんだったね」
「はい、残念ながら……」
「それでは『善は急げ』だな。行こう!」
市場の朝は早いので、なるべく早い時間に行ったほうが良いだろう。アランとクラウディアは近くの乗合馬車の停車場から馬車に乗って、市場へと向かった。
魚を扱う魚市場は、やや離れた海に近い場所にあった。近づくにつれ魚介類を積んだ荷馬車や、小さな台車で荷を運ぶ男たちとすれ違う。
海からの風が潮の香りを運んで来る。乗合馬車を降りた2人は潮の香りのする市場へ向かった。
市場は人で賑わっていた。魚売りの威勢の良い通る声が響き、活気に満ちている。
「市場っていいですね!」
「ああ、活気が漲っている感じだね」
2人は海藻を扱っている店を探して、どんどん市場の奥に入って行った。
「おふたりさん、今朝上がったばかりの牡蠣だよ! どうだい安くしとくよ!」
「う〜ん、これは新鮮でウマそうだな。もらおうか」
(えっ、アラン? 牡蠣なんてどうするの?)
「まいどありぃっ! 10個で銀貨5枚、20個なら銀貨9枚におまけしとくよ!」
「じゃあ、20個で」
(ええっ? そんなにたくさん? お昼に食べる、ってことかしら……)
「まいどありっ! お客さんお目が高いねぇ。お連れさんの分、2個おまけしとくよ。これからもご贔屓に!」
(私の分まで……これはもう、お昼確定ね……)
クラウディアは心の中で思いながら、アランを見守っていた。
「ところで、海藻を扱っている店を探しているんだが、知らないか?」
アランが銀貨を渡しながら、店の主人に訊ねる。
「海藻ですか? う〜ん。そんなゲテモノ扱ってるとこ……あ、ありますぜ! この奥に鰻を扱っている店がありやす。そこが鰻のプディング用に扱ってたと思いやす……確かじゃねえが、尋ねてみておくんなさい」
店の主人は愛想良く返事して、買った牡蠣を紙に包んでくれた。
(アラン、交渉上手ね。ちゃんと聞いて下さったわ)
アランとクラウディアは、尚も市場の奥深く進んでいく。
それぞれの店は四角く区切られていて、広い台の上に所狭しと商品が置かれている。淡水魚を多く取り扱う店の一角に鰻を扱う店もあった。
大きな木のたらいの中にウネウネニュルニュルと鰻が絡み合って動いている。
「ウワッ、何だかすごいね……」
鰻が絡み合うのを眺めながら、思わずアランが声を上げた。
「鰻はものすごく栄養があるんですよ。わたし、聞いてみますね」
ウゴウゴする鰻を尻目にクラウディアが、店主に声を掛ける。
「すいません! ちょっとお聞きします!」
「いらっしゃい、お嬢さん。新鮮な鰻だよ!」
「すごく新鮮ですね! 鰻のプディングを作るのに海藻を探しているんですが、こちらにありますか?」
「海藻? 今日は入ってないね〜。あれはあんまり売れないからね〜。普通にゼラチンで固めれば固まるよ」
「はい、そうなんですが……ゼラチンでは温度が上がると溶けてしまうので、海藻を探しています」
「そうかい、それなら探しといてやるよ。また2〜3日後においで」
「ありがとうございます! それで、できれば “アマニータ” という海藻がいいんです」
「“アマニータ” ね、わかったよ。今日は鰻はいいのかい?」
「すいません、その時で。よろしくお願いします」
2人は魚市場の喧騒から抜け出して、塩の香りのする海沿いの公園に出た。
平日の公園はのんびりした様子で、小さな子供を連れた母親や、ベンチに座ってのんびり海を眺める老人が、午前中の日差しを楽しんでいる。
「ちょっと座って休もうか?」
アランがそう言って、空いているベンチを見渡す。
「ほら、あそこが空いている。おいで」
アランの言葉に、空いているベンチに腰掛けた。
秋にしては日差しが少し強い。クラウディアは『帽子をかぶってくればよかったな』と思って額に手を翳すと、自分を見ているアランの視線に気がついた。
(えっ、見られてた……なんで?)
「きょ、今日はいいお天気ですね!」
「そうだね。……こうしていると、デートみたいだね」
「えっ……」
(な、な、なんでそんなこと言うの? 緊張しちゃうじゃない……)
クラウディアは顔が火照るのを感じて、思わず視線をそらした。
「……きみ、あいつとはこんなふうに出掛けなかったの?」
アランがポツリと訊く。
(あいつ……って、ラモーンのことかしら? きっとそうよね……)
「で、出掛けたことありません……」
クラウディアはなぜか恥ずかしさで、両手をギュッと握りしめた。
「じゃあ、僕が1歩リードってことだね」
「はい?」
カートを引いたアイスクリーム屋さんが通り掛かって、アランがアイスを2つ注文した。
「はいどうぞ」
アイスクリーム売りのお婆さんがアイスをクラウディアに差し出す。
「ありがとうございます」
クラウディアはアランにもお礼を言って、アイスを舐め始めた。
海風にアランの金髪がサラサラ揺れて、それだけでウットリする。
(ほんと、デートみたい……デートってこんな感じなの?)
自慢ではないが、クラウディアは異性とこんなふうにデートをしたことがなかった。
憧れがないわけではないが、正直それに気を使うより、好きな本を読んでいるほうが気楽だったからだ。
アランがクラウディアの顔をじっと見て、
「ここ、ついてる」
と指でクラウディアの頬を拭うと、その指をぺろりと舐めた。
(ハッ! アランの指が、わ、わ、わたしの頬を拭った指をーーー!!!)
その瞬間、一気に頭まで血が昇って、心臓の鼓動がバクバクと早くなった。
「ご、ごめんなさいっ、コレで手を拭いてください!」
クラウディアは慌ててポケットからハンカチを出して、アランに差し出した。
「え、大丈夫だよ、ちゃんと舐めたから。それじゃあ、そろそろ戻ろうか」
そう言うとアランはベンチから立ち上がった。
「はい……」
クラウディアは真っ赤な顔のまま、立ち上がってアランに付いて行った。