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第3話 泥だらけの天使

 

 フロウは看護師やシスター達、総勢40名を引き連れて戦線のスワタリ基地へ配属されることが決定した。

 現地に到着したフロウたちの目に入ってきたのは、ただ広いだけでとうてい病院とは言えない粗雑な兵舎を改装しただけの建物であった。

 見通しの悪い薄暗い室内は窓が全て閉め切られており、空気は溢れ出した下水の匂いでむせ返っていた。

 また、汚れた床にはノミが跳ね、ネズミが走り回り、その同じ場所に兵士たちが血と埃で汚れた衣服のままで無造作に寝転がっていたのである。


「お前ら何をしに来た! ここは女がスカートで来るような場所じゃねえぞ!」

 施設内を訪れたフロウたちに、腰に手を置いたホール軍医長官が厳しい罵声を浴びせた。

 その声にひるむことなく、フロウは負けじと声を張った。

「傷病者を手当てするためにきました。お手伝いをさせてください」

「お前らにやってもらうことなんかねぇ。ウロウロされたんじゃあ、かえって迷惑だ。どっかで横になって昼寝でもしてろ!」

 ホールは不機嫌そうに髭を撫でながらフロウたちをあしらってしまった。

 フロウたちは、仕方なく病院内の区割りや設備を確認して回ることにした。


 その夜、フロウはホール長官の元を訪れた。

「長官が私たちには用が無いとおっしゃったので、あの後、勝手に病院内を見学させていただきました」

「フンッ。それがどうした」

 座りながら足を組んでいたホールが、品定めするようにフロウを流し見る。

「失礼ですが、病院内にはやるべきことが山のように有ると思います。なぜ役目を与えてもらえないのでしょうか」

 言葉を聞いたホールが眉間にシワを寄せた。

「俺たちは命をかけて前線で戦ってるんだ。お前らは前線に出たことはあるのか? あそこは、ここよりよっぽど地獄だぜ。現場に出る勇気もねえ奴にデカい顔をされたんじゃあ、兵士たちがみじめってもんだ」

 高圧的なホールの言葉に対し、毅然とした態度で睨み返すフロウ。

「前線で戦う勇気が無いなどと、だれが勝手に決めつけたのですか! 私たちだって命を掛けてここに来ているんです!」

 りんとした声が室内に響くが、ホールは上目遣いにフロウを睨むだけである。

「口では何とでも言えるぜ。まあ、追い返しはしないから、お前らは自分たちで考えて勝手に動け。ただし、兵士たちに直接関わるのはダメだ。そんなことをしたら救護員の立場がねえ」

 フロウは、返す言葉をこらえて部屋を退室した。


 その翌日、フロウたちは皆で話し合い、汚れていたトイレや汚物の処理をするために施設へと足を運ぶことにした。

 踏み固められた土の道を進んでいくと、そこにたまたま通りかかったホールの部下が、すれ違いざま心無い言葉を彼女らに浴びせかけた。

「はるばる遠くから便所掃除にやって来るとはご苦労なこった。まあ、女は所詮その位しかやれることがねーからな。さっさと家に帰って飯炊きでもしてた方がいいんじゃねぇか?」

 部下はフロウに近づき、肩の砂ぼこりを払うフリをしてから頬にてのひらをあてがった。

「それとも、今夜俺のところにくるか? もっといい仕事を紹介してやるぜ?」

 フロウもその様子を見ていた女性たちも、唇を噛んで恥辱ちじょくに耐えた。

 部下が薄ら笑いを浮かべながらその場を立ち去ると、フロウは皆を振り返って声を掛けた。

「みんな聞いて。私たちが向き合うべき相手は、人をさげすんで浅はかな自尊心を満たそうとする人たちではありません。病魔に苦しみながらも家族のために戦い続けている人たちなのです。彼らを生きて祖国に帰らせてあげましょう。胸を張って自分たちの使命を全うするのです!」


 それから数週間後、彼女たちの活躍により不衛生だった病院内は環境が劇的に向上。

 当初、病院に送られてきた負傷者の死亡率は約40%であり、病院に行く事はすなわち死を意味すると言われていたが、この数値は最終的に5%にまで減少することとなる。

 その理由の1つが『施設内の衛生環境が整い、感染症の減少したこと』にあったのだが、それは後世になってから知られることである。

 ただ、この命を繋ぎとめた兵士の増加は『フロウたち使節団の功績によるものではないか』という推測すいそくはされ始めていた。

 そんなある日、フロウ宛にシドニーハーバートから手紙が届いた。


『フローレンス、嬉しいお知らせがあります。あなたたちの活躍が認められ、ヴィクトリア女王が直接あなたたちとやり取りをしたいと希望されています。戦地での報告や要望など、伝えたいことがあったら遠慮なく申し出てください』

 これをキッカケにフロウたちは堂々と負傷者たちに直接関わることができるようになり、治療のために必要な物資も要請できるようになったのである。


 ――― 2年後


 戦争は終結し、フロウたちは本国イギリスに帰国することとなった。

 地元では、フロウの活躍に対して特別に英雄視する声があがっており、後の『白衣の天使』の語源となる『クリミアの天使』の愛称で呼ぶ動きがみられた。

 しかし、フロウ本人は天使と呼ばれることを喜んではいなかった。


「兵士の皆さんは、私のことを命の恩人、まるで天使のようだと言ってくださいますが、私には恵まれた素質や神秘的な力などはありません。ただ、苦悩する人達を救うために、必死に泥臭く手足を動かしてきただけです。だから私のことは偶像化しないでほしいのです。少しだけ人を思う心が強く、それを行動に移しただけの、普通の人として扱ってください」


 そう言葉を残して看護の世界に戻ったフロウであったが、彼女の体はこの時すでに取り返しのつかない悲鳴を上げていたのであった。



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