第2話 運命の再会
そんなフロウに転機が訪れたのは、26歳の時。
フロウは慰労のため、友人夫妻と共にローマ旅行に行く事になった。
現地に到着したフロウたちが歴史のある美しい保養所に到着すると、整えられた赤茶の髪に気品のあるサーコートを纏った男性が出迎えてくれた。
「ようこそお越しくださいました。私はここで所長をしております、シドニーハーバートと申します」
自己紹介をするシドニーを見たフロウは、大きく胸が高鳴った。
「あ、あなたもしかして!」
思わず声が漏れるフロウ。
「どうかなさいましたか? お嬢さん」
フロウは目を丸くしながらシドニーを指差した。
「も、もし違っていたらすみません。シドニーさんて、10年くらい前にイギリスの農村で農夫のケガを治療したことがありませんか!?」
驚きの表情を見せるシドニー。
「君は! もしかして、あの時の少女か! 随分と大きくなったね。見違えたよ!」
憧れの人との再会に頬を赤らめるフロウ。
「私、あなたと会ってからずっと思っていたんです。あなたのように、誰かの役に立てる生き方をしたいって!」
後頭部に手を当てて照れるシドニー。
「ははっ。大げさだな。あの時はただ夢中で……。目の前の人を何とかしなきゃって、ただそれだけだよ」
「ううん。そんなことない。あの状況であんなふうに動けるのって、凄いことだと思います! あれから私も、病人や孤児のお世話をするようになったんです。よかったら、いつか私にも手当のしかたを教えてもらえませんか?」
シドニーはニコリと笑って答えた。
「いつかと言わず、今日明日にでも教えてあげるよ。実は僕も本業が一段落したから、休暇を兼ねてここに来ているんだ。時間ならある」
シドニーは今日行われる食事会に自分も参加することを伝え、その場を去っていった。
数時間後、20人ほどは座れるであろう大きなテーブルが置かれたダイニングルームに、フロウたち一行は案内された。
すでに7~8名の滞在者が着席しており、テーブルの上には様々な種類のナイフやフォーク、グラスなどが燭台の炎に照らされていた。
やがて給仕がワインを注ぎ終わる頃、ホールの入口に目を向けると、シドニーがベージュのドレスを着た美しい女性と連れ添いながら姿を現した。
(シドニーの隣にいる女性はだれ?)
フロウは嫉妬混じりに視線を向けた。
「妻のエリザベスです。本日は共に食事をさせていただきます。どうぞお見知りおきを」
シドニーが紹介すると、エリザベスは右足を後ろに引き、腰を落として恭しく挨拶をした。
沈んだ表情でエリザベスを見つめるフロウ。
(結婚していたのね……。まあ、当然かも……。彼は私より10歳は年上だもの)
やがて会食が始まったが、フロウにはいつもの元気がない。
そんな彼女を気遣って、エリザベスは隣に座るフロウに声を掛けた。
「あなたがフローレンスね? 夫から話は聞いたわ。貴族でありながらもすごく献身的な女性がいるって」
語り掛けるエリザベスに対してフロウは羨望の眼差しを向けた。
彼女のアラを探そうと思えばできた。
しかし、フロウは彼女の美点を素直に受け入れた。
「私って変わっているでしょう? 下人がするような奉仕の活動に興味を持つなんて。エリザベスさんのように上品に振る舞えって、母にはよくそう言われるわ」
エリザベスは上半身傾けてフロウに頭を寄せた。
「そんなに自分を卑下してはダメ。それに、私本当は上品なんかじゃないのよ」
「そうなの?」
「うん。それに、私もたまに病院のお手伝いに行く事があるの。あなたと同じよ」
エリザベスが笑顔を向けると、フロウもつられるように微笑んだ。
「私のことはリズって呼んで。あなたは何て呼ばれているの?」
「私はフロウ。あなたとは気が合いそう。よかったら、またお会いしましょ」
この日以来、フロウはハーバート夫妻と行動を共にすることが増えてゆく。
その4年後、フロウは30歳の時にドイツの病院で働き始めることを決意した。
当然母と姉は猛反対したが、彼女は無理やりな理由を作って半ば強引に家を飛び出してしまったのである。
フロウが働くことになったカイザースヴェルトの病院は、この当時、世界初となる「看護技術の指導」を行い始めたことで知られている。
それまでは、看護という仕事はいい加減な気持ちでも務まる『使いっぱしりの雑用係』であり、技術的な指導など必要ないと考えられていた。
だが、その常識は変わりつつある。
病院で経験を積みながら、併設された学校で知識を身につけていくフロウ。
ところがここで1つ問題があった。
労働に対し給料が支払われないため、生活は直ぐに困窮を極めてしまったのだ。
そのことを知ったフランシス(フロウの母)はウイリアム(フロウの父)に直訴した。
「あの子は本当に自分勝手な子。私はあんなに忠告したのに、結局1人では何もできやしない」
厳しい表情を向けるフランシスに、ウイリアムは困った表情で言葉を返す。
「なぜお前はフロウのする事にそこまで反対するんだ? 少し厳しく当たり過ぎなんじゃないか?」
フランシスは厳しい表情のまま答えた。
「あなたには分からないかもしれないけど、女性にとって1人で生きていくというのはとても辛いこと。経済的に困るのはもちろん、子供を持てないことがどんなに辛いことか……。だから、あの子が仕事に夢中になって結婚できなかったらと思うと、私はあの子を叱らずにはいられないの」
ウイリアムはフランシス側に行き、肩を手で包んだ。
「あの子に厳しく当たっていたのには、そういう理由があったんだね」
頷きがながら顔をあげるフランシス。
「でも、あの子はもう自分が生きる道を見つけたようです。だからどうか、あの子が自分の思いを遂げられるよう、あなたから支援をしていただけないでしょうか」
ウイリアムはフランシスを優しく抱き寄せた。
――― 3年後
ドイツの病院で本格的な看護を経験したフロウは、リズの紹介でイギリスの病院に移ることになった。
程なく看護婦長として病院の管理を任されるようになると、彼女は自分の病院だけでは飽き足らず、他の病院の改革にまで思いを巡らせるようになっていく。
そんなおり、時代に大きな動きがあった。
ロシアとヨーロッパの諸国が対立するクリミア戦争が勃発したのである。
黒海北部の半島で行われた戦闘では、日々負傷者が増え続けていた。
当時のイギリス戦時大臣はシドニー・ハーバート、かつてフロウが憧れていた男性、リズの夫である。
ある日、イギリス全土にニュースがもたらされた。
「前線はおろか後方基地の病院でも死者が増え続けており、もはや手の施しようがない」
事態を憂いたシドニーはペンを取り、フロウ宛に手紙を書いた。
『傷ついた兵士を救えるのは君しかいない』と。
フロウもまた同じ日にペンを取った。
『戦場に赴いて看護活動をする覚悟がある。私を前線に送り届けてほしい』と。