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第1話 農村の思い出

実はおもしろい! 有名人の史実シリーズ(一部フィクションあり)

挿絵(By みてみん)


 ――― 1838年 イギリス


「ねえ! お姉ちゃん。あそこ見て! 畑の中に大勢の人だかりができてるよ。いったい何をしてるのかしら?」

 当時17歳だったフロウ(フローレンス・ナイチンゲール)は姉のパーセと一緒に父のお使いに向かっている最中であった。

 道中の田舎町で突然出くわした光景に、姉のパーセは眉をしかめながら言った。

「関わらない方がいいわ。さあ、先を急ぎましょう」

「でも、あんなに人が集まるのってただ事じゃないわ。私見てくる!」

「ち、ちょっと、待ってってば! フロウ!」

 人だかりに向かって走り出したフロウを、パーセは渋々追いかけた。

 二人が人だかりに近づいていくと、人々が取り囲む円の中心に、倒れて横になっている農夫の姿が見えて来た。

 側らには、青年がひざまいている。

 赤茶色の髪の青年は作業着に身を包んでいたが、整えられた髪型や綺麗に剃られた髭の様子から、どこか他の村人とは違う雰囲気を漂わせていた。

「思ったよりも傷口が深い。止血の前に汚れを洗い流さないと……」

 青年は農夫のふくらはぎに手を添え、血が流れ出している傷口を凝視しながら言った。

「誰か水を! 出来れば川の水ではなく飲み水を持って来てくれないか!」

 取り囲む人々の中の1人が、遥か遠くに見える集落に向かって駆け出した。

「僕が行ってくる」

 しかし、ここから民家まではかなりの距離がある。そこから彼が水を持って戻るには、まだ多くの時間が掛かりそうであった。

 青年は、周囲を取り囲んでいる人の輪に目を向けると、その中の1人、パーセと視線を合わせた。

「キミ! 持っているカバンの中に水筒は入っていないか?」

 彼女は一部始終を見守っていたが、青年に声を掛けられると焦って言葉を濁らせた。

「あ、あの……、こ、この、み、みずは、これから……、その」

 彼女のカバンの中には水筒が入っていたが、その場の雰囲気にのまれて、しっかりとした受け答えが出来ずにいた。

 その様子を見守っていた妹のフロウもまた、同じように動揺して目を左右に泳がせていた。

 貴族の家に生まれた姉妹は今まで大きなトラブルに巻き込まれたことなどほとんどなかったのだから、当然の反応だったと言える。

(お姉ちゃんも私も、水筒は持っているけど、でもどうしたらいいの? 何を言ったらいいの?)

 胸に手を当てて少しだけ落ち着きを取り戻したフロウは、勇気を振り絞ってこう言った。

「私の水筒を使ってください!」

 フロウが水筒を取り出して青年に歩み寄ると、彼は立ち上ってフロウに腕を差し出した。

「先に僕の手を洗う。君は少しづつ上から水を掛けてくれ」

 腕まくりをしながら青年が声を掛けると、指示を受けたフロウは震える手を抑えながら両手で水筒を傾けた。

「ありがとう」

 手を洗い終えた青年は、彫像ちょうぞうのように固まっているフロウから水筒を預かると、再び農民に向き直った。

 彼は農民の足の傷に水を掛けながら、指先で傷口の汚れを洗い流した。

 声を殺し、苦痛で眉間にシワを寄せる農夫。

 それが終わると、青年はまだ血が流れ出している農夫の傷口に手の平の根本を強く押し当て、圧力を加え始めた。


「なんていう乱暴なことを……」

 うめき声を上げる農民を見てつぶやくパーセ。

 フロウも、彼が何のために一連の行動をしているのか理解出来なかったが、青年が農民に対して善意で行動を起こしていることだけは感じ取っていた。

(私は何もできなかった……。せっかくお父さまが様々な学問を授けてくれたっていうのに。いざ目の前に困っている人が現れても、結局は遠くから見守るだけ……)

 フロウは唇を嚙みしめながら、青年と農夫を見守っていた。


 ――― 9年後


 フロウは機を見て慈善活動に参加するようになっていた。

(誰かの役に立ちたい。あの時の、あの人のように)

 憧れの人物への想いを胸に、近隣の病人や孤児を見舞うなど奉仕活動に身を捧げるフロウ。

 支援を受けた人々はみな喜びの笑顔をフロウに向けたが、その活動を快く思っていない人物もいた。

 フロウの母、フランシスである。

「まったくもう、あの子ったら何を考えているのかしら! 貴族の子女が召使めしつかいのマネごとをするなんて、みっともないったらありゃしない! 他の貴族たちが知ったら、いい笑いものだわ」

 彼女はそう言って、ことあるごとにフロウの活動をたしなめた。

 ある日、フロウが病人のお世話をしに出掛けようと玄関の靴箱に目をやると、いつもの場所に自分の靴が見当たらなかった。

 彼女は姉のパーセに相談した。

「私の靴が1つも見当たらないの。お姉ちゃんどこかで見なかった?」

 パーセは母がフロウの靴を取り上げて隠してしまったのを知っていたが、彼女にはこう答えた。

「知らないわよ。これはきっと神様が「今日は働きに行く必要がない」って言ってるんじゃないかしら。キリストが「労働は罰」って教えていること、あなたも知ってるでしょ?」

 パーセは母をかばう為にそう言うしかなかった。

「じゃあ、お姉ちゃんの靴を貸して?」

 パーセは視線を逸らしながら答える。

「ご、ごめん。私もこれから用事で出かけなきゃいけないから……」


 フロウは母や姉との間に生まれた確執に気分が沈むことも多かったが、そんな時彼女は自分に言い聞かせた。

(私のしていることは間違っていないって、いつかお母さんもお姉ちゃんも分かってくれる)

 フロウは身内に反対されながらも奉仕の活動を続けた。



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