CHAPTER.47 『生まれるのはやさしいが、人となるのは難しい』
「たまらなく……愛おしいんだ」
アデルは、一人そう呟いて絶頂に達したかのように膝から崩れ落ちる。
「こいつやべぇ……」
そんな彼女に誉は苦笑いしながら、ドン引きする。
「くそっ……最悪な奴にバレちまった」
「どうしよ、ねぇ、これじゃ、シヴィルは……」
マノンとファイエットが心配そうな表情をしながらひそひそと何かを話す。それにアデルは耳をぴくりと動かした。
「うひゃひゃひゃ、アンタらはアタシのことをよ~く分かってるねぇ。そうさね、今頃シヴィルも見たところじゃないかい?」
「……何をした?」
「なに、ちょっとあの馬を小突いただけなんだけどねぇ。吹っ飛んじまって木の枝に刺さったから、保存魔法をかけただけさ。なに、良い名所になりそうじゃないか」
悪びれる様子もなく笑うアデルに誉は怒りを覚えた。
「今頃、シヴィルは頑張って枝から降ろそうとしてるのかねぇ。それを考えると、ま~た口元が緩んじまう」
「……」
シヴィルは自分が育った森に来ていた。
あの頃と同じように靴を脱いで、少し湿った土を直に踏みしめる。
その少し後ろで、シヴィルをジッと見る影が居たが、彼女はそれには気付かなかった。
彼女にとって、ここに捨てられるまでは産まれていないも同然の認識だった。
人並み以上に愛情を受けて育ったという記憶はある。毎日世話をしてくれる両親も笑顔に満ちて、自分のことを見てくれていた。友達と呼ばれる存在は居なかったが、毎日のように近所の人が贈り物をくれて、当時は幸せだと思っていた。
でも、ときおり両親はふっと、気が抜けたようにうつろな表情になることがあった。幼いながらも、シヴィルにとってその表情は気がかりなものだった。
ある日シヴィルは、母に思い切って聞いたことがある。
「与えたもの全て無くなるのにな、って……うんん、何でもない。ごめん、忘れて」
母の言葉は当時、理解できなかった。だから、彼女は言われた通り聞かなかったことにして、偽りの幸せを享受する毎日を送ろうとした。
だがその翌日、シヴィルの七歳の誕生日に彼女は母の思いを理解することとなる。
シヴィルは思い出したくもない過去に眉をひそめながら、森を進み続ける。何度も、魔女養成所に通っていた頃から通った師匠が居る泉への最短ルート。地形はほぼ変わっておらず迷いなく足を進める。
師匠に大きくなったと褒められる自分を想像して、シヴィルは嫌な思い出を払拭しようとした。が、どうしても一人で森の中を歩いていると記憶は甦る。
その日は、珍しく外出を許可された。これまでは穢れが付くという理由で許可なく外に出ることは許されていなかったのだ。だから、彼女にとって世界は家の中で完結しており、外の世界は窓から見える幻想のように感じていた。
そして夜、彼女は母親と共に外に出て、驚いた。
いつも彼女が窓から見ていたのどかな村の景色とは、まったく違う様相を呈していたからだ。夜だというのに、見たことも無いくらい大勢の人が集まって談笑している。が、集まっている村の人はシヴィルを見れば直ぐに、いつも家に贈り物をくれる時のように手を合わせ頭を下げる。その様子に彼女は普段通りだ、と安心感を覚えた。
そんな風に、拝まれながら彼女はどんどんと村の奥へと連れられる。
シヴィルと母親についてくる形で出会った全員が列を為すので、村の一番奥の広場に着くころには大行列となっていた。
広場のさらに奥には、森がある。
ぽっかりと口を開けるように背の高い木が並ぶ森の前で、シヴィルはその日初めて父に会った。父は、シヴィルの腕を掴み自分のところに引っ張る。少し乱暴に見える行為だが、ごつごつとした大きな手と力強い腕は、どこか安心感を覚えてシヴィルは大好きだった。でも、その日の父の手は震えていた。震えたまま、地面にうつぶせに寝かせる。
そして、父はシヴィルの足首をゆっくりと撫で、そのまま後ろに隠していた斧を振り下ろした。
「……っ痛」
苔むした大木の根に足を取られて、シヴィルは足をひねってしまい思わずその場でしゃがみこむ。足首に外傷がないことを見て、彼女はホッと胸を撫で下ろし、再び歩き出した。
あと、もう少しで師匠に会えると思えば、険しい道のりも大したことないように思えた。それに、師匠の魔法なら、疲労も捻挫も一瞬のうちに治せる。
あの時だってそうだった。
ザクッ、という音が耳に届く前に鋭い痛みが全身を突き抜ける。骨への衝撃が脳に響き、シヴィルは絶叫する。視界が痛みによってチカチカと点滅し、金切り声と共に涙が溢れ出す。彼女の右足は完全に切り離され、骨は砕けていた。が、しかし左足首は骨で刃が止まってしまい、背中側だけがぱっくりと開き骨が剝き出しの状態。父は、焦ったように再び血まみれの斧を振り下ろす。直に重量感とスピードが上乗せされた斧の一撃が骨に伝わり、凄まじい痛みがシヴィルを襲う。
耐えがたい苦痛で薄れゆく視界が最後に捉えたのは、うつろな表情で自分を見下ろす母だった。
次に、シヴィルが目を覚ましたのは森の中だった。低い視界で見上げると、葉の隙間から見える空は暗い。とっくに日が落ちたのだろうと彼女は推測する。
夜なうえ、月すらも生い茂る葉が隠してしまい足元もおぼつかない中、彼女は取り敢えず立とうとした。が、鋭い痛みが走りそれは叶わなかった。
シヴィルがおそるおそる、自分の足元を見れば、そこにあるはずのものが無かった。ひとり生きて森から出るには、必須の身体の一部、足首から下が綺麗に無くなっていた。
どうしよ、これじゃこのまま死んじゃう……。
そんな不安の中で、彼女は生にしがみつくこととは真逆の直感を得た。
父と母はずっと自分を殺すためだけに育てていたんだ、と。
私はこうなる運命だったんだ、と。
彼女は、今までのすべてが嘘で、自分という存在は決められた運命の駒でしかないなら、自分は死んでいるも同然だ、と考えた。
このままここで眠るように死のう、と彼女が生きることを諦めて目を瞑った時だった。
「怪我をしているのか?」
夜だというのに眩しい光と、優しい威厳のある低い声で彼女は思わず顔を上げる。つやつやとした美しい毛並みを持つ白馬、つぶらな黒い瞳でこちらを見る頭には一本の角がついていた。
「ふむ、これはひどいな。少し待ってくれ」
シヴィルは、ようやくそこで目の前の白馬が喋っていることに気づいた。口を開いている様子はないが、そんなことは些事だ。なぜなら、そもそも目の前の存在がユニコーンという非現実的な存在だからだ。
ユニコーンは、ゆっくりと彼女の後ろに回り、足首に角を当てるようにした。
「あったかい……」
角が白く発光し、足首の痛みがみるみる消えてゆく。いや、それだけじゃない。傷一つない足が新しく生えてくる。優しさがこもったその奇跡にシヴィルは目を丸くする。
「これでどうだろうか?」
「……っ!あっ」
足が完全に元通りになったことを確認したユニコーンが、直ぐに去ろうとしたのを思わず引き止める。
「あの……行く場所、無い」
その一言で、彼女は初めて産まれたのだった。
シヴィルは、息を切らしながらもようやく目的地に到着していた。
樹齢何百年の巨大な木の前に広がる澄み切った泉。木漏れ日が、キラキラと泉に反射して、幻想的な空間が出来上がる。
そここそが、彼女と師匠が過ごした場所だった。
「……?」
が、見渡す限り彼女の師匠の姿は無い。
取り敢えず休もうと、彼女が泉近くの石に腰掛けて上を見上げた時だった。
「……!?」
大木の枝に、腹を貫かれているユニコーンが居た。はやにえのように、空中で脱力しているソレを見て、シヴィルは唖然とする。
「隙だらけだ」
上を見て止まっているシヴィルに一気に詰め寄る影、いや飛行機で会った男。
そのまま、シヴィルへ向けて男はナイフを振り下ろした。
 




