43.オレンジの花
瞬く間に、季節は短い夏を終えようとしていた。
雪解けからこれまでの間に、私の周りは驚くほど変化があった。
クリストフは宰相に就き、ボードリエ侯爵は相談役として週に何度か王宮へと顔を出してもらっている。
魔力過多症の治療薬を飲んだリサも先代侯爵も、ほとんどの魔力を失った事以外は副作用も無い。念のため、月に一度、王宮の医師とブラハシュらに検査してもらっているが、問題も出ていなかった。
健康を取り戻したリサはデュフォ公爵邸に戻り、今まで出来なかった勉強や外出を楽しんでいるそうだ。
たまにお茶会に誘い話を聞くけれど、話をするリサの表情は輝いていて、本当に元気になってくれて良かったと思う。スカーレットとも仲を深めているようだ。
決闘以後、ステファンに対する風当たりも変わった。
彼が生み出した新しい魔術は高く評価され、今では他国の出身だが、王配として迎えるに相応しいと言われるようになっている。
クレモン侯爵一家からは、あの後、謝罪を受けた。一旦はそれで終わりとしたが、彼らは王宮外で不敬な発言を繰り返し、不敬罪で捕らえることになった。最終的に私が指名した別の者に爵位を譲らせることになり、おかげで夜会で不快な思いをすることがなくなった。
魔鉱石の鉱山についても、進め方の見直しを行った。
すぐに鉱山を拓くのではなく、十年単位でゆっくり進めていくことにしたのだ。
新カメル橋の建造費をスカーレットの起こした事故の補填で賄うことが出来たために、時間に猶予を持つことができる。
相談役として来て貰っている先代ボードリエ侯爵と、現宰相のクリストフと共に話し合いながら方針を固めているところだ。
私はなんとなく執務に集中できず、相変わらず机においている小鳥の小箱に手を伸ばした。
ネジを巻き、小鳥のさえずりに耳を澄ます。
ステファンとの結婚に関するほとんどのことに決着はついた。
ただ一つ、品評会の夜会でステファンとした約束以外は。
ステファンの魔術の腕前は、この国の貴族が認めるほどに上達している。
「私は、負けを認めなくてはならないのに……」
負けたら、ステファンへ気持ちを伝えるという約束だった。
それが嫌なわけではない。
ただ、もう少しで思い出せそうなのだ。
負けは認めているが、せめて昔の記憶を自分の手で取り戻したいというこだわりが、勝負について触れることを躊躇わせていた。
ステファンは勝負について何も言わない。
忘れてしまったわけはないだろうから、きっと私が言い出すのを待ってくれているのだろう。
ただ、いつまでも沈黙を貫くわけにはいかないので、そろそろ私も折れるべきかもしれない。
考えに浸っていたところで、ステファンの来訪を告げられた。
「迎えに参りました」
小鳥はまださえずっているが、時が経てば小箱に戻るため、そのままステファンのところへ向かう。
ブラハシュらに頼んでいた温室のうち一棟が完成したということで、今日はその見学に行くことになっていた。
「あの小鳥を気に入ってくださっているのですね」
小鳥の声が聞こえたのだろう。ステファンが嬉しげに微笑む。
「ええ。いつも癒やされているわ」
答えながらステファンの差し出す腕を取り、温室へと向かった。
馬車を使い、新設された温室の前まで向かう。
太陽の日差しをそのまま取り入れるため全面がガラスで作られた建物は、遠くから見ると大きな水晶の結晶のようにも見える。
枠組みには魔鉱石を使い、強度を強めているそうだ。
馬車を降りると、来ているのは私達だけだった。
「オルテンシアの方々は?」
尋ねると、ステファンが言う。
「スカーレット達も後で来るよ。先にシルヴィアと二人で中を見たかったから、少し早めに来たんだ」
「何があるのかしら?」
「中に入ればわかるよ」
ステファンは微笑むと、私を温室へと導いた。
温室の中は、汗ばむような陽気だった。
夏とは行っても、グレイシス国は気温はそこまで暑さを感じることはない。
植えられている植物も見たことがないものが多い。
「こちらです」
ステファンの先導で進んでいったところで、ふわりと懐かしい匂いが香った。
どこで嗅いだことがあっただろうかと、もう一度吸い込んだ甘く爽やかな香りに、幼いころの記憶が脳裏に閃く。
それは、白い小さな花をつけた艶やかな葉を茂らせた木の下で、金色の髪と、夏空を閉じ込めたような空色の瞳を持つ少年と出会った記憶。
一度きっかけをつかめば、雪崩のように当時の記憶が蘇る。
調子を崩しがちだったお母様と、お父様と三人での秘密のお出かけ。
どこに行くとは教えてもらっていなかったけれど、今までになく長く馬車に乗って出かけたのは、見たことのない景色で。
そうだ。バカンスに行くと聞いていたけれど、その年は知らない所へ行ったのだ。
そして、両親は他の大人を交えて難しい話をしていたから、待っている間に庭で遊んでいたのだ。
「あっ――」
そして、ステファンが導いた先にあったのは、記憶にある白い小さな花をつけた木々だった。
「見覚えがあるのかい?」
ステファンが、はにかむように尋ねる。
「ええ。今、この花の香りで思い出したわ」
ステファンは驚いたように目を開くと、微笑みを深くする。
「そっか。思い出したんだね」
「これは、なんという木なの?」
「オレンジの木さ」
「これが、オレンジ……」
初めてのお茶会で、ステファンが好むと言っていた実がなる木。
それ以上に、今は懐かしさがこみあげてくる。
目を閉じて、花の香りを吸い込むと、あの日の場所にいるようだった。
「少し、昔の話をしていいかい?」
ステファンが尋ねる。
「聞きたいわ」
ステファンは、頷くと少し頬を染めながら話し出した。
「あの頃、僕は既に優秀さの鱗片を示していた兄上とスカーレットに挟まれて、自分の存在意義が見いだせずに悩んでいたんだ。それで、実家に居づらくて、その夏は、たまたま外国に行くという叔父についていくことにした。そこで、女の子と出会ったんだ」
誰とは言わないけれど、ステファンが私を見て微笑むので、私はそれが自分のことだとわかった。
「その子とは、どこから来たとか、家族は何人いるとか、そういう他愛ない話をしていたんだと思う。たまたま魔術を習っているという話をしたらね、その子はすごく興味を示してくれて。まだ簡単なことしかできなかったのに、すごく喜んでくれたんだ」
ぼんやりと覚えている。確か、持っていたハンカチで作った人形を、風で操って遊んでくれたのだ。
「でもね、兄上だったら、もっとすごいことができたのかもしれない。そう言った僕に、その子は言ったんだ」
「なんて言ったの?」
「違う人間なのに、どうして比べるのかって。できることを使って楽しいことを考えた僕のことを、とてもすごいと言ってくれて、自分のことを認めてあげるべきだって」
「随分大人びたことを言うのね」
「そうだね。でも、僕は、今までそんなこと言われたことがなかったから、とても驚いたんだ。それからかな。僕が変わったのは。叔父にあの子が誰だったのかを聞いて、それで、背負っているものを知ったんだ。いつの間にか、将来、その子の支えになりたいって思うようになっていた」
「素敵な話ね」
「単純だなって思わなかった?」
首を振ると、ステファンは恥ずかしそうに笑う。
「本当は、もっと早くに伝えるつもりだったんだ。でも、どうしても、これをできるようになってから伝えたくて」
ステファンはいつか私があげた氷の薔薇を取り出すと、魔術を発動する。
氷の薔薇にかけた魔術にステファンの発動した魔術が干渉し、青白い光が薔薇を取り巻く。
光の中で、薔薇は花びらの縁から形を失くしていき、ゆっくりと氷が解けるように形を変えると、オレンジの花の一枝に形を変えた。
「すごい……」
それは、亡き父しかできなかった私の魔術に干渉する魔術だった。
「たくさん、練習したよ」
「いつの間に……」
「時間はたくさんあったからね」
ステファンは、氷で出来たオレンジの枝を捧げ持つとその場に片膝をつく。
「一人の女性としてシルヴィアを愛しています。どうか僕と結婚してください」
私はオレンジの枝を受け取ると、ステファンの手を取り立ち上がらせる。
「私もステファンを愛しています。喜んでお受けいたします」
見つめ合ったままの状態が気恥ずかしく、目を閉じると、ステファンの唇が私の唇に重なり、すぐに離れていった。
薔薇の花びらのように柔らかな触れあいだった。
じっとステファンを見つめると、ステファンは困ったように眉尻を下げる。
「調子に、乗りすぎただろうか?」
「いいえ。一度でいいのかしらって思っていたの」
「えっ」
「でも、もう皆が来たみたいね」
驚きの声をあげるステファンに、私は微笑むと、後ろを振り返った。
外の方から馬車の音と人のざわめきが聞こえてきたのだ。
私はステファンの腕を取ると、スカーレット達を出迎えるために入り口へと向かうのだった。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
一旦完結とし、本編で拾えなかった勝負の行方などは後日番外編で投稿したいと思います。
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