42.説得
ボードリエ侯爵邸に着くと、クリストフとドミニクが出迎えてくれた。
「陛下、殿下、ようこそいらっしゃいました」
クリストフが言う。
「大変な時に、見舞いを受け入れてくれて感謝します」
お見舞いの花を渡し、申し訳なさを滲ませながら言うと、クリストフは悲し気に微笑んだ。
「お二方に足をお運びいただいたこと、光栄に思います」
「お父君の具合は?」
「今は眠っております。時々目を覚ましますので、その時に陛下に会っていただければと思います」
クリストフは一瞬言いよどんだ後、続ける。
「……おそらく、父を見て陛下にはおわかりになってしまうでしょうから先にお話ししますが、父は加齢による魔力過多症を発症しております」
「魔力過多症……?」
父と同じ病だった。しかし、魔力過多症ならリサが飲んだ薬が効くはずだ。
そう思って隣にいるステファンを見ると、私の意図が伝わったのか頷いている。
「あの薬ならば、御父君も回復なさると思います」
ステファンの言葉に、クリストフは首を振る。
「私もデュフォ公爵令嬢が飲まれたお薬のことは耳にしております。父にも、陛下におすがりしてはどうかと伝えました。しかし、父は『高い魔力は、ボードリエ侯爵家の誇り。その魔力を失うくらいならこのままで良い』と言って、首を振るばかりで」
「お父君の意思を尊重されたのですね」
頷くクリストフとドミニクの顔には苦悩が滲んでいる。
この国で生まれ育った人間が後天的に魔力を失くしてしまうというのは、きっと想像を絶する恐怖だろう。だから、クリストフらも、先代侯爵の意思を尊重しようと決めたのだ。だが、家族としては助かる可能性があるのに、その機会を手放すことになる。その苦悩はいかばかりだろうか。
もし、リサがあの時薬を飲まないといったら、私はどう振舞っただろうか。
リサの意思を尊重しただろうか。いや、きっと説得しただろう。
最後はリサの意思だというのはわかっているが、それでも納得するまで言葉を尽くしたはずだ。
「私が、お父君を説得してみます」
クリストフは苦笑した。
「私達も何度も父に願いました。ですが、父は首を振るばかりで、陛下の思う結果にはならないでしょう」
「それでも、私の気持ちは伝えておきたいと思います。先代侯爵のことは第二の父とも思っているのです。できるだけ、長く生きていただきたいのです」
「父のことをそのように思って下さり、感謝いたします」
クリストフは頭を下げると続ける。
「……どうぞ、陛下のお心のままに。もしかしたら、父も陛下の言葉には揺らぎそうだと思ったから、陛下の前で不調を隠し、今まで見舞いを拒否していたのかもしれません」
「そうだといいのですが……」
意見の対立から、先代侯爵はクリストフに席を譲ったとばかり思っていた。
少しでも勝算はあるのだろうか。
先代侯爵が目覚めるまで、私は思考の中に沈んでいた。
屋敷の使用人がクリストフのもとへとやってきて、小声で何事か囁く。
「父の目が覚めたようです。ご案内いたします」
そうして、二階の奥にある部屋へと案内される。
先代侯爵は、ベッドに体を起こしていた。
眼光は以前の鋭さを失っていないが、その頬はこけ顔色は青い。状態はかなり悪いようだった。
「父上。陛下と殿下がお見舞いにいらっしゃってくださいました」
「我が家としては光栄ですが、臣下が臥せった際はすべての者にその栄誉をお与えになるおつもりですかな」
「久しぶりね、ボードリエ卿」
相変わらずの毒舌に微笑みが零れる。
「殿下もつれて参られたのですか。御見苦しい姿をわざわざ見に来られなくてもよろしいでしょうに」
「とても心配しておりました」
「宰相閣下にはこの国に来たばかりの私を気にかけて頂いていたものですから、せめてお見舞いにと参りました」
私の言葉にステファンが続けた。
「来ていただいても、老いはどうしようもありません」
先代侯爵は無表情に答える。
「魔力過多症の薬があると、ご子息から聞かれたのでしょう?」
「魔力を失ってまで生きたいとは思いませんので。陛下は、私に無様をさらして生きよとおっしゃるのですか」
じろりとにらむように先代侯爵は答える。
「私は魔力がないから無様とは思いません」
「魔術が使えてこそのグレイシス国。魔力あっての貴族です。陛下は気にされないようですが、私にはこの国の貴族としての矜持があるのです」
断固とした口調から、翻意するつもりはないと伝わってくる。
私は、覚悟を決めて考えていたことを言葉にする。
「ボードリエ卿に宰相を辞すと言われてから、ずっと後悔してきたことがあります」
先代侯爵は、話を促す様に頷いた。
「私は、私の言葉で、どう国を導きたいのかをきちんとボードリエ卿と話しておくべきでした。私は国王の冠を戴くまで、いえ、ステファンと会うまでは、今まで同様に伝統に従ってこの国を治めていこうと思っていました」
「……陛下が殿下と婚約されてから、お考えが変わられたのは皆が知るところです。陛下はまだお年が若く、変化に柔軟に対応できるでしょうが、私のような頭が固い者にはそれは無理なのです」
「いいえ。そうは思いません。だって、私が目指す国の姿は、今までの王達と変わりません」
先代侯爵は、無言で私を見つめる。私はその視線を受け、続けた。
「ボードリエ卿も知る通り、この国は魔力がありながらも虐げられた者達のために作られました。伝統は彼らを守り育むために作られてきたのです。決して、縛りつけるために生まれたものではありません」
先代侯爵は黙って私の言葉に耳を傾けている。
「私も、民を守りたい。そして育んでいきたいと思っています。けれど、ステファン殿下を通じて外の国を知ることで伝統を守るだけでは実現できないと思いました。私は、魔力や慣習、そういった枠組みに囚われず、やりたいと思ったことにためらいなく手を伸ばせるような環境を民に与えたいのです。その結果、新しいものを取り入れることになるかもしれません。でも、考えの根底は、変わっていません。民を守りはぐくむという思いは、過去の王達と同じだと思います」
「……それで、陛下は私に何をお求めなのですか」
「私だけでは、どうやら行き過ぎるようです。ですので、これからも宰相として、私に力を貸してほしいのです」
「伝統に縛られた頭の固いことしか言えなくてもですか」
「ボードリエ卿の視点は私には無いものです。それに、一気に進めることが必ずしもいい結果を生むとは思いません」
「……ストッパーになれということですね」
「ボードリエ卿にしか、できないことです」
先代侯爵は、うめくように言葉を絞り出す。
「…………魔力を失くして、生きよと申されますか」
「苦しい選択を強いているとは思います。でも、私にはボードリエ卿の力が必要なのです。側にいて、私を支えてほしいのです」
ひときわ長い沈黙の後、先代侯爵は口を開いた。
「宰相職はもうクリストフに譲りました。相談役としてでしたら、陛下のお側に参りましょう」
「…………ありがとう!」
思わず、先代侯爵の手を握ると、侯爵は手を重ねた。
「陛下の理想とされるところは、容易には実現できないでしょう。それでもよろしいのですね」
「覚悟はあるわ。それに、私には、ボードリエ卿もステファンもいるのだから」
「……陛下には、かないません」
先代侯爵はステファンを見て頭を下げた。
「ステファン殿下。思うところはおありでしょうが、お力をお借りしたく思います。どうか私に薬をいただけますか」
「ボードリエ卿は、陛下が第二の父とまで言われていたお方です。陛下のためにも早くご回復なさっていただきたいと思います」
先代侯爵が私を驚きの目で見ている。その姿を見て、ステファンが微笑んだ。
「薬はデュフォ公爵令嬢の治療の際に作ったものがまだあります。王宮から、すぐに届けていただきましょう」
そうして、先代侯爵が薬を飲むのを見届けて、ボードリエ侯爵邸を後にした。




