いつもの朝
マフィアの朝は早い。窓から容赦なく差し込む光で目が覚めた。ごしごしと目をこすり、首を鳴らす。あくびをひとつしてからベッドから降りた。姿見で自分の姿を確認すると、寝ぐせで腹の『親分』の二文字が乱れていたので毛並みを整えた。
「んなぁーーーご…んん、昨日飲み過ぎたか」
喉をゴロゴロと鳴らすと、いささか調子が戻ってきた。寝起きは声が変になる。
廊下に出ると香ばしい匂いがした。一階のカフェは既に開店している時間だ。ニコがまたパンでも焼いているのだろう。コーヒーのいい匂いにつられながら階段を下りた。
「親分さん!おはようございます!」
店に降りてきた俺にいち早く気が付いたのは、カフェの主ニコだった。亜麻色の髪をまとめ、白いシャツに紺のチェックのエプロン。いつもの格好だ。カウンターの向こうで忙しそうに動いている。
俺は彼女の挨拶に低い声で返事をすると、定位置であるカウンターの一番端に座った。
「コーヒー」と頼むと、ニコはアイスかホットかと聞いてきた。確かに今日は少々暖かい。俺は少し考えてホットを頼んだ。
「もうおっさんだ。体冷やしちゃいけねえ」
俺のおっさん発言に、ニコはくすくすと笑った。俺は自然と漏れてしまった笑みをさりげなく隠した。ニコは「どうぞ」と惜しみないスマイル付きでコーヒーをカウンターに置いた。全く、こいつには適わねえな…。
「いやいやいや。何言ってんだ」
俺とニコのほっこりタイムに口を挟んできたのはカウンターに座る若造だった。こいつはシオン。カフェの常連だ。そして…。
「毎回そう言ってるけど…それホットでもないだろうが。アイスではないかもしれないけど、湯気も立ってないよな。飲めないんだろ。ホット。猫舌で」
「…」
「猫だから」
何かといつもこうして突っかかってくる命知らずだ。
「このやろう!青二才が!親分に何て口ききやがる!」
「てめえ!どうなるか分かってんだろうな!」
「表に出ろ!八つ裂きにしてやる!」
カフェの店内でモーニングを摂っていたファミリーの野郎たちが一斉に立ち上がった。オラオラと野太い声を上げるが、シオンにビビった様子は無い。若造の不遜な態度に、部下たちは更に熱くなった。
にゃあああ!!と一番キレやすい幹部の一人が叫び声を上げる。
「やめろ」
俺の一言に部下たちはピタリと口を閉じた。ボウズ一人になに熱くなってやがる、と窘めれば、それぞれ舌打ちを鳴らし、シオンに鋭い一瞥をくれながら席に戻って行った。やれやれ、とため息をつくと、ニコが困ったように眉を下げていた。
「ニコ、気にするな。それよりも今日は何を出してくれるんだ?」
彼女が手元で準備していたであろうモノに注意を向けると、ニコは「あ!」と表情を明るくさせた。嬉しそうに「じゃーん」と彼女がカウンターに出したのは、真っ黒な球であった。
マットな質感の黒い表面(中身も)に、ずっしりとした重量感。一見大砲に詰める球かと見紛うソレは、香ばしさを通り越した焦げ臭い匂いで金属ではないことだけは否定していた。
「…」
そうとも。分かっていた。こいつが出てくることは。昨日ぶりだな。全く短いお別れだったぜ。俺はちょんちょんと突ついて、硬度を確かめる。おおう、今日は一段と硬い。
「今日のパンは昨日より上手に焼けたかなって思って。でも【ふわもち】食感はまだ難しいです」
照れながらそう言うニコに俺は「そうか」としか返すことができなかった。彼女曰く、日々向上しているそうだが、出てきたものと対面すると、実は兵器でも作り出そうとしているのではないか?と思わず疑ってしまいそうになる。
「いただきます!!」
密かに戸惑う俺に対して、隣の青二才は黒い物体にがっついた。これも見慣れた光景である。毎朝無理して噛り付くため、午前中はいつも歯ぐきから血を流している。俺は自分のパンにガジガジと歯を立ててみた。噛めねえ。
仕方が無いので、ニコが背を向けた瞬間に胸元の毛の中に忍ばせた。
「どうなってんだよソコ。あと食えよ」
口から血を流しながら、シオンが俺の犯行を見咎めた。こいつは非常に分かりやすくニコに惚れている。俺につっかかってくるのも、俺がニコの庇護者だからだ。再び部下たちが殺気立ったのを片手を挙げて制すと、俺はコーヒーを啜った。いちいち相手していたらキリがない。
カウンター越しに、いそいそと楽しそうに動き回るニコを見ながら、俺はそっとため息をついた。ニコは俺と目が合うと、ふわりと笑った。