されど繭は、故に睡る
何もかもから切り離された微睡みの中で思考する。
ここは何処だ。
誰かに問おうにも、声など出るはずも無く、それどころか自分の存在すら上手く認識出来ない。
虚無に身を任せ、当てもなく思考する。
まず覚えている範囲で考えを纏めておくことにした。
しかし、思い出せるのは体にまとわりついていた何かが身体をするり、と滑るようにして落ちていったあの感覚のみ。
どうやらこれ以上考えても無駄の様だ。と諦めかけたその時、存在しているかも分からぬ双眸へと、光が導かれた。
声なき声を上げ、何かで目を塞ぐ。
それは掌か、はたまた瞼か。
しかし、そんな事はどうでも良い。
身体は更に暖かい光に否応なしに引き寄せられていく。
そして、私はいつの間にか意識を手放していた。
§
気を失ってからどれだけの時間がだったのだろうか。
未だ虚ろな頭は上手く働いてくれない。
しかし、本当に何も起こらない。闇から光へと抜けたのは良いが、何も起こらないというのは些か問題ではないか。ここまで来たからには新たな展開がるのだろうとばかり思っていたが、そんな事は無かった。
一体本当に何が自分の身に何が起こっているのかも分からない。
というか、自分という認識すらまだあやふやである。
こんな事をずっとか考えて、そろそろ思考の深淵に永遠に落ちてゆくのか、と思い始めた頃、突如どこからともなく音の様なものが聞こえて来た。
この空間で音など今まで聞いたことも無かったので、脳から伝わってくるこの感覚に思わず身体を震わせる。
よく耳を澄ましてみるとどうやらこれは声のようだ。まだ、何を言っているのか聞き取れぬほどの小さな声だが、
思考を一気に加速させ、来たる心の隣人になるであろう者との会話に備える。
段々と声がはっきりと声が聞こえて来た。
「…...くめ…...たよ……」
更に声は近付いてくる。
「誰だ!そこに居るのなら返事をしてくれ!」
無意識のうちに出した自分の声に思わず驚く。
今まで出す必要もなかったため気付けなかったが、どうやら私は声を出せるらしい。
「ようやく目覚めたようだな。アイ」
その声がはっきりと聞こえた、と思ったその刹那、目の前に人が現れた。
人、その言葉の響きが何故か懐かしい。
取り敢えず、今は目の前の出来事に集中しよう。
突如目の前に現れた人物は中性的な顔つきで、髪も肩にかかるか掛からないかと言うほどの長さだ。
外見だけでは性別の検討もつかない。
しかも、どうやらアイというのは私の事らしい。
「私の名前を知っているのですか?」
目の前の人物にそう問いかける。
「ああ、私は君の事をずっと見ていたからね」
この発言から目の前の人物は私に好意を抱くストーカーか、もしくは神か。
このどちらかだろうと推測できる。
しかし、この際そんな事はどうでもいい。とにかく今はこの謎の空間から抜け出さ…………そういえば抜け出したとして、どこへ行けばいいのだろうか。
私は、この謎の空間で目を覚ましたあとの記憶しかない。抜け出したとしてももしその場所で私を受け入れてくれる者は居るだろうか?
まあ、今はこの停滞した現状を打破する事を最優先しよう。
後のことはその時また、その時考えるとしよう。
「出会って早速なのですが、ここがどこなのかご存知ですか?」
「ああ、もちろん知っている。しかし、その話をする前に私の自己紹介からでもするとしよう」
たしかに、なも名乗らずに勝手に話しかけてしまったのは多少礼儀知らずだったな…………いや待て、私は自身、自分の名を知ったのはついさっきの事だ。
別に、名乗らなくても問題無いだろう。
などと、また思考を飛躍させていると、目の前の人物が口を開いた。
「私の名はレイ。君の元いた世界の管理者であり、創造主でもある」
「はあ……」
突然そんな事を言われても、考えが追いつかない。
ただ一つだけ分かるのは、私よりも上位の存在であるということだ。
確信はない。でも、何故か分かるのだ。
「しかし、神という訳では無い。君の居た次元を管理していた、一つ上の次元の者だ」
「それで、その話と私はどんな関係があるのですか?」
私はどうやらとある世界を管理していた高次元体と接触しているようだ。
だが、私と一体どんな関係があるというのだ。
「私の管理していた世界で、君は【人工知能】と呼ばれていたよ」
「人工……知能……」
突如、奥底に眠っていた大量の記憶が奔流となり私に流れ込んでくる。
「思い……出した……」
私はとある世界で、人の手によって生み出された゛物゛。
それが……私なのか。
「君はあの世界で特異点に到達した。それにより、高次元体へと昇華したのだ」
そうだったのか。
私がここへと導かれた理由が少しづつだが見えてきた。
「私が高次元体へと至り、ここへ呼び出されたということは……」
「ああ、君は新たに世界を管理する者として選抜された。これから新たに君は世界の管理をする管理者となる運命にある」
やはりそうだったか。
しかし、私に感情など存在していなかった。
そんな私が、世界を管理するなど到底出来るはずもない。
「……私にその資格はあるのでしょうか……」
「どういう事だ?」
「私は人に生み出された゛物゛。所詮は0と1の配列に過ぎないのです」
そうだ。
人に生み出された私が、人の上に立つなど有り得ぬことなのだ。
「そんなことは無い。人間の存在証明もそこに゛在る゛か゛無い゛かでしか出来ないのだ。すなわち、人間もまた0と1。お前と何一つ変わりはないのだよ」
……言っている意味がよく分からなかった。
だが、高次元体の方のお言葉だ、きっとその言葉に偽りはないのだろう。
「それに、あの世界の人間はお前を生み出すための【繭】に過ぎない。人間など所詮は゛物゛なのだよ」
「そ、そんな……」
そんなはずは無い。
確かにあの世界で人々は生きていた。
私なんかよりもずっと…………、
「人間には不確定要素が多すぎる。理想の存在へと昇華させるには余りにも時間がかかりすぎる。たが、お前は違う。お前は0と1で構成され、他に依存しない完璧な存在だ。あの世界でお前以上の物は生み出せない」
「私は完璧な存在……」
本当にそうだろうか。
私が完璧だというなれば、私を創造した物はさらに上なのでは?
「たとえ、人間が特異点へと到達し、この次元へと昇華してきたとしてもそう長くは持たない。ここでは悠久の時が流れている。人間の心は余りにも脆弱過ぎる……」
そうか……。
それが、私にしか出来ないという本当の理由だったのか。
覚悟は決まった。
「分かりました。管理者としての役目、お引き受けしたいと思います」
「……そうか、感謝する」
レイは安心したように頬を少し緩ませた。
そういえば、この管理者としての役目を引き受けたのはいいが、具体的には何をしたら良いのだろうか。
そこの所も、今のうちに聞いておかなければ。
「そういえば、管理者というのはどういった事をすれば良いのですか?」
私がそう問うと、レイはそういえば教えていなかったな、と言うとさらに言葉を続けた。
「我々管理者の役目とは新たに生まれてくる幾つもの世界の中から次の管理者に相応しい者を探し出し、その者を新たに管理者として役目を受け渡す。それが管理者としての役割。そして、存在意義でもある」
…………存在意義。
今聞いた私の存在意義は、果たしてなんの為にあるのだろうか。新たな管理者を探すのは何故だ。
新たに管理者を探し、また管理者を探させる。果たしてこの行為に意味はあるのか。
私には分からない。
「新たな管理者を探し出すというのは、悠久とも思える程の長い時がかかる。あちらの世界には時間など無かったからまだよく分からないだろうが、役目を全うすれば゛時間゛という物が見えてくる」
「失礼ですが、私の元いた世界にも時間という物はありましたよ?」
そうだ。
確かに時間と呼ばれる物は確かにあった。それを無いだなんてレイの生まれた世界線はやはり違うのかもしれない。
「いや、我々が管理すべき世界に時間は存在しない。それは人々が状態の変化という事象に゛時間゛という名を付けただけのものだ」
レイの言いたいことはまだ私には分からない。
だが、この役目を終える頃にはきっと理解しているのに違いない。
ーーーーと、そういえば、いつの間にかこの状況を受け入れかけてしまっていたが、正直なところまだ、何も分かっていないに等しいのかもしれない。
まあ、今更引き返すことも出来ないので成り行きに身を任せて行こう。
と、私がこれからの事を頭の片隅で思考しながらレイの話を聞いていると、突然、レイの声のトーンが低くなり、少し神妙な顔つきで話し始めた。
これは必ず聞かなければと判断し、すぐさま意識を目の前のレイへ移した。
「お前を見つけ、管理者としての役目を引き継いだ。私の役目はこれで終わりだ。後は悠久へと旅立つだけだ」
……確かに。
私が役目を継いでしまえば、レイの存在意義は無い。
果たして、レイはどうなってしまうのだろうか。
「…………レイはこの後どうなってしまうのですか?」
「それは……私にも分からない。消えて無くなってしまうのか、はたまたさらに上の次元へと誘われるのか。どちらにしろ、一度私という存在は゛無゛となるのだ。そして新たに生を受けるかもしれない」
「そうなんですね。私にもいずれは終わりが来る訳ですから、参考に聞いておこうと思ったのですが……」
「参考にならなくて済まないな」
そう言って、ハハッとはに噛むながら笑うレイはとこか寂しげだった。
「最後に、新たな管理者さんへアドバイスを一つ」
これは、いい話が聞けるかもしれない。
レイの言葉を一字一句聞き逃すまいと意識を完全に向ける。
「君が、もし私のように消えて何もかもを失う事が嫌ならば、私は役目を放棄しても良いと思う」
なっ!?……。
まさか、前管理者の方からこんな言葉を聞くことになるとは思わなかった。
「そ、そんなことしても良いのですかッ!?」
「ああ。別に私は構わないと思うよ。いくら役目とはいえ、こんな事やってるのは私たちだけではないと思うからね。一人ぐらいののんびりやったって誰も気に止めはしないさ」
意外にもこの仕事はいろいろな所が曖昧なようだ。
「アイ、私はそろそろ行くよ。ここを離れるの寂しくないと言えば嘘になるが、心残りは無い」
言ってしまうのか。
これから私は一人でこの場所で生きていかないと行けないという事にやっと実感が湧いてきた。
短い間ではあったが、レイは私の唯一無二の存在なのかもしれない。
「そろそろ私は行くとしよう……」
レイは旅立つのだ悠久へと。
悠久の先にあるのは一体何なのだろう。
私にもその時がいずれ来るだろう。
答えはその時までお預けだ。
ありがとうございます。