ep.55「通す武術」
「あれ、ヴォランさん。何してるんですか?」
以前、太平洋横断を行ったときに使った砂浜を気晴らしに散歩していると、上半身裸のヴォランさんがいた。汗だくの体を、地面に置いていたタオルでふき取りながら近づいてくる。
「武術の鍛錬だ。もう長いことやっているからな、習慣なんだ」
白いタオルを首にかけながらそう言ったヴォランさん。
「どんな武術なんですか?」
「うーんと……名前が……忘れた。もう四百年は前だからな」
四百年? 古武術の継承者なのかな?
白いタオルをズボンに挟み、右足を前に出す。全開に開いた左手を上に構え、右手を腰のあたりで力強く握る。
息を口からゆっくりと吐き、周りの砂が浮き上がるほど強く左足を前に出す。それと同時に、右の拳を前に勢いよく突き出した。
ヴォランさんの正面の砂が一斉に吹き上がり、雨の様に降り注ぐ。
「えっ……」
声にならない声が口から漏れる。武術というよりかは超能力と言ったほうがいいぐらいの威力だ。
「きちっと構えればこれぐらいはできる。ただ、構えるのに時間がすこしかかるから、使えるところが本当に限定的だな。本来はこんな感じの、攻撃を補助する技だ」
ヴォランさんが、左手を腕に添えてくる。そして、自分の左手の甲を右手で叩いた。
普通なら痛みを感じるのはヴォランさんの手で、こちらには何もないはずだ。しかし、実際に痛みを感じたのはこっちの腕で、ヴォランさんは平然とした様子で左手を戻した。
「いたっ!」
「すまんな。俺の武術は、痛みや衝撃を通すことができるんだ。口で言ってもわかりづらいが……二つ重ねた石を上から叩いて下だけを割る、ということができたりするな」
腕をさすりながら、ヴォランさんの方を見ながら考える。
一応、教えてもらっておいても損はないかもしれない。簡単に習得はできないだろうが、さわりだけでも知っておけばいつか役に立つかも……。
「ヴォランさん、その武術教えてくれませんか?」
「いいぞ。といっても、感覚的なものだからな。実際に通した感覚を味わうしかない」
ヴォランさんが置いてあった上着を着ながら、拳の握り方を親切に教えてくれる。
足の開き方や重心の動かし方、呼吸の仕方などを教えてくれるが、やはり一番大事なのは通した感覚らしい。
日が傾き始め、空が赤くなるまで教えてもらったが、通した感覚を味わうことはできなかった。石を殴り続けたせいで右手が真っ赤になりながらじんじんと痛むのを見ながら、第三チームの部屋に戻った。
――――――
「……うっ!」
薄れ掛けていた意識の中で、走馬灯のようなものを見た。
腹から流れ出る血を抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。
硬い鱗は、素手ではビクともしそうにない。竜が息を切らす様子すらないのがその証拠だ。
肺の中の空気を全て吐き、ゆっくりと息を吸う。
ヴォランさんに教えてもらったときには一度もできなかったが、あの武術なら竜の内臓を直接攻撃できるかもしれない。
右足を前に出し、左手を前に構えた。
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