ep.132「守られる側と守る側」
「じゃあ、私はあそこを狙おうかなぁ」
「……股間か?」
「違うよぉ。君も散々殴られた場所だよぉ」
頭の底からロジーと戦ったときの記憶を引っ張り出し、汗を垂らしながら顎を撫でる。
目を糸の様に細めた微笑をこちらに向け、コクリと首を振って頷き返す。
深い溜息を吐いて心を十分に落ち着かせ、鋭い呼気で戦意を奮い立てた。
「ちゃんとキツイの一発決めろよ!」
ピエロに向かって駆け、剣先を空から地面まで振り下ろした。
再びキリキリと錆びた歯車の回る音が響き、剣の動きが止められる。
「これで何度目? これで二度目♪」
瞳に向かって一直線に放ってきたナイフを首を捻って避け、剣を掴んでいた手を離す。
目を細めて刀身を確認すると、蜘蛛の巣の様に緻密に編まれた糸が、刀身に粘りつくように絡まっていた。
その蜘蛛の糸が、ピエロの全身を覆うように守っていたのだ。
「あはぁ。ガラ空きかなぁ!」
あたかも油断しているように体を止めていたピエロに、ロジーが飛びかかる。
「やめろロジー! 体が切れちま――」
鼓膜が破れるような乾いた炸裂音が響き、絡め取られていた剣に小さな火花が散った。
少しだけ湾曲した刀身に当てられた銃身は、速度を衰えずにピエロの右肩を貫く。
蜘蛛の糸が少しだけ緩んだ瞬間を狙い、ロジーの首根っこを掴んで自分の体に引き寄せた。
「……じょ、情熱的だねぇ。」
「冗談言ってる場合か!」
糸の中から剣を回収し、血が流れ出るピエロの右肩から左わき腹まで袈裟に叩き斬った。
深い切り傷が一瞬の間を置き、水溜りを作る勢いで赤黒い血が噴き出し始めた。
「……ピエロ、びっくり♪」
自分の傷跡から流れ出した血を眺め、楽しそうな声色でそう言い放った。
致命傷のはずなのだが、全く堪えている様子がない。やせ我慢しているだけなのか、それとも本当に効いていないのか。
ロジーを体から引き離し、剣を構えなおす。
「夢の世界は楽しいよ♪ なぜそんなに嫌がるの♪」
左右に体を揺らしながら、小さく歌う。
次第に体の揺れ幅が大きくなっていき、体勢を崩しそうに鳴った瞬間。
ふっと、少しの砂埃を残してピエロの姿が消えた。
「坊主、気をつけろ! ピエロは――」
フュジさんのその言葉が終わる前に、視界が一回転した。
顔面から固められた砂の地面に叩きつけられ、鼻の中から暖かい液体が漏れ出す。
「ピエロの特別サービス♪ 特急だよ♪」
首を後ろから掴まれ、全身が浮遊感に包まれる。
かすかに開けた目からは紺色のトランポリンが見え、視界の中の物体が前へ引っ張られていった。
全身に引きちぎれそうなほどの重力がかかり、空中に長い血の線が描かれていく。
「案内してあげる♪ 夢の国♪」
目を開けると、人工的な光に包まれた夜の街が一望できた。
人が居ない街に光が点いている光景は、今のこの状況でも一息吐いてしまうほど美しかった。
俺の首を掴んでいるピエロも景色を少しだけ眺めてから、すぐににやついた笑顔を顔に貼り付けた。
「チッ……」
この高さから普通に落ちるだけなら大丈夫なのだが、問題はあの糸だ。
あんな糸のこの速さで当たってしまえば、体がミンチよりも酷い何かになってしまう。
「ぬっ、ぬぉぉぉおおおぉおおお!」
咆哮を上げてピエロに斬りかかるが、右手をナイフで太ももに貼り付けられてしまった。
動かすたびに激痛が走り、ズボンに赤い血が滲む。
楽しそうに息を吸い込み、歌でも歌うような調子でピエロが言った。
「ダメダメ♪ 夢の国への特急は止まらない♪」
「そうだな。ただし案内人はワシで、客はお前だがな!」
夜空の闇を照らすような閃光と共に乾いた炸裂音が鳴り響き、首を掴んでいた手がすっと離れて行った。
拳銃を持ったフュジさんがピエロの頭を掴み、地面に向かって落ちていく。
二人の落下速度は俺よりも速く、喉がはちきれそうなほど大きく叫ぶ。
「何やってるんですかフュジさん! そのままだと糸に――」
「……ワシはこのままピエロと糸に突っ込んで死ぬ! 坊主は逃げろ!」
フュジさんがそう叫び、こちらに向かって銃を向けて発砲した。
太ももに刺さっていたナイフに銃弾が命中し、衝撃で体が吹っ飛ばされてしまう。
肉を深く抉りながらナイフが吹っ飛び、太ももに固定されていた右手が自由になる。
「また……俺を……!」
心臓がドクドクと動き出し、先ほどまで聞こえていた風の音が消える。
世界が動かなくなった時計の様に静かになり、頭の中に鼓動の音だけが響く。
『急がば回れ……? ふふっ、人生は短いからこそ輝く。悔いのないように行動しろよ。特に仲間や大切な人を大切にな』
誰かに背中を叩かれた感触がするが、振り返っても誰も居ない。
胸の奥に暖かい何かが生まれ、喉と肺が勝手に呼吸をし始めた。
一度肺の空気を全て追い出し、糸の様に細く開けた口からゆっくりと息を吸う。
右手の指を一本ずつ曲げ、硬い拳を作った。
「うおおおぉぉおおおお!」
腰につけていた鞘を外し、足元に放り投げる。
空中で鞘を両足で踏みつけ、二人に向かって勢いよく飛んだ。
「坊主?!」
「フュジさん、そのままじっとしていてください!」
慌てる彼の足を、全力で思い切り殴った。
フュジさんの体の骨、内臓、血管一本まで衝撃を通し、走らせる。
その衝撃はピエロを掴んでいる手にまで走り、ピエロの脳にまで達した。
「ぐ……ぶあぁっぁあああぁっ!」
つんざくような叫び声をあげ、耳の穴から赤黒い血を噴き出し、ピエロが地面に落ちて行った。
フュジさんの足首を掴み、必死に空気を掻き分けて空中を進む。
近くのアパートの窓に突っ込み、コンクリートの冷たい地面を転がる。
「坊主、坊主! 大丈夫か?!」
「それはこっちの台詞ですよ! 人体全部通すなんて初めてですよ!? 内臓とか大丈夫ですか?!」
すぐさま起き上がり、フュジさんと互いの体に致命傷がないかを確認しあう。
一分ほど確かめ合った後、二人で同時に深く、深く安堵の溜息を吐いた。
「……やっと、守れる側になれた」
自分の拳銃を額にぶつけて安心しているフュジさんを一瞥し、小さくそう呟く。
心の中に、ことわざをいつも間違える人と楽しそうな女性の声が響く。幻聴かもしれないが、きっと向こうでも楽しくやっているのだろう。
無機質な灰色の天井を眺め、力強くサムズアップした。