ep.119「日記」
「……最初からしばらくは、ただの惚気話ばかりですね。ジュリアって人と付き合ってたみたいです」
親指でページを適当に捲る。その日、一緒に何をしたかなど、ごく一般的な恋人同士の記録が残されている。
数十ページほど捲ったところで、文体が急変した。丸っこくも楽しそうな文字から、角々しい達筆な文字へ変わり、文章の量も短く纏められている。
「途中でジュリアって人が死んでしまった、と書いています。胃癌が体中に転移した、とも書いていますね」
癌なんて、数十分も病院に居れば治る病気だ。
今の時代では、まず癌で死ぬことはない。狂人に殺される可能性の方が高いぐらいだ。
「癌、か……ワシの記憶だと、癌の完璧な治療法が発見されたのは大体三百年前だな」
「つまり、それより前ってことですね。読み進めます」
そこから先は、恐ろしいほどに達筆な文字の日記が続いていた。内容はとても短く、『山に登った』『海に行った』などが延々と続いている。
あまりに短すぎる内容と文体の丁寧さのチグハグさに恐怖を覚えだし、流し読みするようにページを捲る手を早める。
せわしなく動いていた視線があるところでビタリと止まり、ページを捲る手を止める。
「リティ……?」
「ん、リティ? そうか、ヴォランの養子だったからな」
「いや、違います。『リティ・ジュリア、彼女を助ける術を見つけた。偶然開発できた不老の薬、これがあれば永遠に研究を続けることが出来る』と書かれています」
「じゃあ、何だ? 奴は死んだ彼女を生き返らせるために不老になって、五百年も研究を続けたということか? ……ワシには理解できんな……」
正直、俺にも全く理解することが出来ない。
たとえ恋人が死んだとしても、そこまでする覚悟が俺にはあるだろうか。恋した人が未だ居ないから確実には言えないが、きっとできないだろう。
頭がおかしくなって自殺するのが関の山だ。
しかし、それはヴォランさんも同じだったようだ。一日ずつ丁寧に書かれていた日付がいつの間にかただの丸に変化し、滲んだ血の跡が数ページおきに残っている。
途中で自傷行為に手を出したのか、ページ丸々全てが真紅色に染まっていることもあった。
「……見ているだけで吐き気がするような文字ですね……何と言うか、恨みが込められているような……」
日記を捲り続けて、例の彼女、という人物が死んでから二百年ほど経った頃。
ついに生き物を作り出す術を手に入れたようで、男と女の二人の人間を作ったことが記されている。
「『人間を作り出すことに成功した。しっかりとした意思を持ち、生殖行為なども問題ない。経過観察のために適当な星へ放り込んでおくことにする。』」
「……おいおい、まさか……」
コクリと頷き、ページを捲る。
途轍もなく太く大きい文字で、とある一族の名前が書かれていた。
「『ヒューマノイドから取り、あいつらをヒュイド族と呼ぶことにした。』」
「……私の一族が、作られたですって……?」
「ヴォランの野郎……」
信じたくないし認めたくないが、実際にそうなんだろう。そんな下らない冗談を日記に書くほどつまらない人ではない。
あの人が作った最初の二人が悪いわけではない。わかっているのだが、あの人が原因でオーロさんが死んだという思想がヘドロのように頭に付いて離れない。
「ここから先は、一気に研究が加速してますね……」
「なあ坊主、もうその日記を見るのはやめないか? ワシにはどうも、それの内容を聞いていると嫌な予感がするんだ」
「あなた方が読まないなら私が読ませていただきます。いわばそれは、私も知りえない一族の歴史なのですから」
フュジさんの言葉通り、嫌な予感はする。それは、初めてルマルと会った時よりも強く。
心臓がゴム手袋で擦られているような恐ろしい感覚がするが、なんだろう。どう転んでも最悪の結果にしか辿り着かないような、ゲームでバッドエンドを予測できているような……。
「いえ、読みます。しかし……ここから先はほぼ研究結果ばかりです――」
「待て。そこでページを止めろ」
ルマルがいきなり日記に手を突っ込み、食い入るように日記を見つめた。
頭を手で押さえながらグラグラと体を揺らし、資料の山に腰から突っ込んだ。
「だ、大丈夫か?!」
「予定変更だ。……私はこの後自分の星に帰るつもりだったが、地球に同行させてもらう」
ルマルが投げてきた懐中時計を左手で受け止めた。
開閉式の懐中時計の中には、緑色の髪が特徴の四人家族が写っている。以前見せてもらったのと同じで、ルマルはこの一番小さい少女である妹を探しているらしい。
「『増えたヒュイド族の少女を一人持ち帰った。特にめぼしい発見は見当たらなかったので、月のスラムに放置しておいた。』」
「そうだ。そしてそれは、恐らくだが私の妹だ。すまないが、今すぐ出発してくれないか。……頼む。」
立ち上がったルマルに懐中時計を渡し、フュジさんの方を見る。
静かに頷いた彼は、腰のホルスターから引き抜いた拳銃で培養液が入った筒を破壊し始めた。
「ワシも行こう。その日記は一応持ってきておいてくれ」
「わかりました。」
机の上のデスクスタンドの電気を消し、日記を持ち上げる。
山積みになった資料を全て剣で斬り飛ばし、研究室の扉を開けた。
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