ep.113「楽しい背後と厳しい前方」
白かった。
穢れ無き淑女が身に着けるドレスかの如く、純白の花が咲く草原がどこまでも続いていた。
雲ひとつない晴天が空を覆い、暖かく優しい日の光が体を照り付けてくる。
「……」
どこか、直感めいた物が囁いた。
俺は死んでしまったんだ、と。
こみ上げる熱い思いを吐き出す気にもならず、その場にあぐらをかいて座り込む。
やり残した事はたくさんある。それこそ数え切れないほどに。
目頭がやけに熱くなり、風で乾いた目が潤い始める。
瞬間。
背後から前髪を揺らす程度が精一杯の、小さな温かみを帯びた風が吹いた。
地面を踏みしめる、小さくも確かな音が背後から響き、その音がすぐ後ろで止まる。
「おっと、振り向いちゃいけないんだね~」
首を捻って振り返ろうとした瞬間、後ろの男に止められた。
俺の背中にもたれかかるように地面に座り、煙草の白い煙を漂わせ始める。
「少年、自分の最善は選べてきたか~い?」
「……わかりません。最善を選べたのかも、自分の信念も。」
力一杯に締め切った蛇口から水が垂れるように。
ポツポツと、自分の心の中で完全に封じていたものが漏れ始める。
己から人に話していた心の泉の上澄みではなく、底の底。
「俺だって、必死に頑張ってきたんです。死ぬような思いを何度もして、必死に……!」
怒りに任せて地面を思い切り叩く。
純白の花びらが舞い散り、まるで密室のような空間を作り出した。
「皆、みんなが俺の事を置いて行く! 皆が俺より一歩先、信念や強さで上回っている!」
目頭が更に熱くなり、頬を熱いものが伝う。
心の濁流を止める栓が抜け、自分でも止めることが出来ないほど感情が渦巻いていく。
「俺はそれに追いつくことが出来ない! どれだけ頑張っても一緒に並ぶことが出来ない!
覚悟も、強さも、信念も、何もかも足りない!
一体どうすればいいんですか! 俺に何をしろって言うんですか! 碌な事を言わずに人の事を生かして……選択の仕方じゃない、結果を教えてくださいよ!」
微笑むような、優しい風が吹いた。
後ろの男は一度煙草を肩を上げるほど大きく吸い込んでから、霧でも作るように優しくゆっくりと吐いた。
「結果。……少年、大切なのは結果じゃない。今まで何をどうしてきたかの過程なんだね~」
落ち着いた声色で話す男。
うなじに髪が当たる感触から、今は上を向いているのだろう。
諦めきったような、それでいて満足げで到達したような不思議な声を出す。
「少年が今、一歩振り返って踏み出せば、過程を全て無視した最終的な結果に辿り着けるんだね~……」
煙草を携帯灰皿に押し付け、立ち上がる背後の男。
振り返りはしなかった。何故かは、自分でもわからない。
「幸いにも、少年にはもう一度過程をやり直すチャンスがある。ルマルを倒すという結果、いや、他にもあるかもしれない……。けど、これだけは覚えておいて欲しい。
結果は過程の中にある。最高の選択は、決して最善の選択ではない。
……それじゃあ、俺は行くんだね~。」
背後の男が遠ざかる。
それと同時に、もう一人誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
「ふむ。私の指に残っていたバクテリアが、まさかこんな風に役立つとはな。
……いや、何も言うべきではないか。……頑張れよ」
その男が俺の右腕に手を伸ばし、何かを抜き取っていく。
次第に遠ざかっていく気配を背後に、ゆっくりと立ち上がった。
心の憑き物が完全に取れたかと言われれば、取れていないと答える。
渦巻く感情が全て収まったかと言われれば、収まっていないと答える。
示されたのは、結果のわからない無限の道だ。そのどれもが異なる世界に辿り着き、ハッピーエンドにもバットエンドにもなりうる。
「フハハハハハハハ! 我は高次元の生物だ!」
「ブハハハハハハッ! 酒もっと持ってこーい!」
「僕がそんな乱暴に酒を飲むわけがないだろ! たんぽぽでも見ながら優雅に飲め!」
あの人たちの楽しそうな声が後ろから聞こえる。
……本当に、楽しそうだ。よかった。
進める道は一つだけ。全てを同時に歩くなんてことはできないし、例えできたとしても、それは俺のような凡人ができることじゃない。
信念なんてわからない。
目標なんてわからない。
我が侭な自分と現在を相手するだけで精一杯なのに、そんな高尚なことを考えている暇はない。
純白の花が生える草原に似合う心に少しはなったかな。
そんな臭い台詞を考えながら、
厳しい過程の世界にもう一度、
足を踏み出した。
改善点などあればご指摘いただけると嬉しいです。