ep.??「リティ・インモータル」
リティ・インモータル。
といっても私の本当の名前は、私自身も覚えていない。もしかしたら、なかったかもしれない。
私の一番古い記憶は、暗い牢屋の中だ。体中がボロボロだったが、その時にはもう痛みを感じない体になっていた。
脳が苦痛を和らげるために痛覚を感じる部分を意図的に閉じたのかもしれないが、それは逆効果だった。
口紅を厚く塗っている太った女性が、私のことを何度も鞭で叩いたり、指の骨を無理やり上に折り曲げたり、太ももにいくつもの切り傷をつけられて宙吊りにされたこともあった。
反応を示さなくなった私に興味がなくなったのか、彼女は私のことを火の中に放り込んだ。
痛みは感じなかった。ただ、このまま死ぬという恐怖が心の中を埋め尽くした。
小さい子どもで力もなかった私は何も出来ず、全身が黒焦げの状態で道端に捨てられた。捨て猫の方がまだマシな捨て方をされるものだ。
ポツポツと雨が降り出し、いつの間にか土砂降りになった。
冷たい雨粒が当たるたびに心地よさを感じるが、あの世へ一歩近づく感じがした。どうにか生きようと這って動いていたとき、突然雨が遮られた。
くっつきかけた瞼を無理やりこじ開けると、そこには一人の、灰色の作業服を着た男が傘を持ってしゃがんでいた。
「雨降って地固まる……だったか? まぁいい。生きたいか?」
その男は、答えが決まりきっている問いかけをした。
全ての力を首に集約させて、小さく頷いた。
目が覚めたときに目に入ったのは、あの暗い牢屋ではなかった。
それだけで涙が出た。涙を出したのは、記憶にある中で、アレが最初で最後だ。
灰色の男はヴォラン・ヴェイキュルと名乗り、私を養子にすると言った。
「うーん……お前の名前は、そうだな。リティ……インモータルだ」
「リティ、インモータル……?」
「そうだ。リティは適当だが、インモータルは意味があるぞ。不死者、って意味だ」
なんだこいつ。
人の名前を適当に決めるのは、少し感覚がズレてるんじゃないのか。不死者ってのも意味がわからない。
「死なないって……」
「本当だ。お前……いや、インモータル。黒焦げになった体を治すために超再生バクテリア、という物を打ち込んだんだが……何故か突然変異して、うっかり不死になったのだ」
「うっかり?!」
「うっかり。」
その後、私はヴォランの研究の助手になった。
助手をしていたときに資料や日記を漁って気づいたのだが、どうやら私は善意で拾われた訳ではないらしい。
ヴォランには生き返らせたい女性が居て、その女性が二度と死なないようにするために、私の体を調べるために養子にしたそうだ。
それでもよかった。
日の光を浴びながらベッドから起き上がり、誰かと話しながら朝食を食べる。
暖かい布団の中に包まり、何も考えずに眠る。
それだけで嬉しかった。言葉に表せないほど、幸せだった。
私が子どもから、すっかり成長しきった大人の体になった時のことだ。
あの時と同じ、土砂降りの暗い夜の日。
赤い髪の毛をうっすらと生やした赤ん坊が、力強く、生きようと大声で泣いていた。
野犬に囲まれている絶望的な状況だったが、それでも生きようと、強く。
ヴォランは私を拾ったことに、明確な理由があった。私は、彼とは似ていないのだろう。
野犬を追い払い、赤ん坊を優しく抱き上げる。
目の中が白く濁っていて、手を目の前で振っても全く反応しない。
しかし、私が抱き上げたことに気づいたのか、キャッキャと可愛い声で笑った。
本当に私と彼は似ていない。感情に任せて行動するのは余りよくないが、今回ばかりは感情に任せよう。
親と子は似るもの、とは誰が言ったものだろうか。
「ん、どうしたそんなに……赤ん坊?」
「私はこの子を育てたい。いいか?」
「いいよ」
あっさりと了解を得た。
しかし、私のような意識がハッキリとしていた年齢ではなく、この子はまだ赤ん坊。成長するにつれて自分の両親がいないとわかれば、きっと悲しむだろう。
ここは、私が本当の親の代わりにならなければ。
「名前は……ウォト・ネギブア。どうだろうか」
「ん~まぁいいんだろうけど……本当の親代わりになるんなら、苗字ぐらいは揃えたらどうなんだ?」
「た、確かに……そうだな、えーと……」
「まぁまた後で考えろ。ほら、ネギブアの視力治しておいたぞ。うっかり……」
ヴォランが途中で言葉を切り、ネギブアを渡してくる。
腕の中で優しく揺らしながら、冷たい感情をこめてヴォランを睨んだ。
「ほお。うっかり、何だ?」
「いや~その……うっかり弄りすぎちゃって、透視できたり視力が10.0になっちゃったり、その他にも色々……」
……まぁそのぐらいなら、いいだろう……
とでも言うと思ったか?!
「貴様、そのうっかり癖をいい加減に直せ!」
「す、すまん! けど研究は失敗の連続で~!」
「どう考えてもこれは研究じゃなくて治療だろうがぁぁあああ!」
ヴォランの背後から体を掴み、ジャーマンスープレックスを叩き込んだ。
赤ん坊……机のバスケットに寝かされたネギブアはその様子を見て、キャッキャと笑っていた。将来、強かな子になるだろう……そういえば。
「……女の子か」
「インモータル、どうするんだ? デリケートな女の子など、さすがにどう育てればいいかわからんぞ」
多分、というか予想だが、この子は男勝りな強い子になる。
まぁ、予想だが。
数年後、その予想は現実になった。
ネギブアはヴォランに鍛えられ、本当にまだ年齢が一桁かと思うほど強くなった。どれほどかと言えば、私が思い切りぶん殴られると吹っ飛ばされるほどに。
あの不思議な、物を貫通する武術とやらは、私もネギブアも全く習得できなかった。あんな意味のわからん武術、習得できる者は天才という他ないだろう。
「りてぃぃぃいいい!」
「ギネブア、待て! プリンを食べたのはあやまゲブァアッ!」
冷蔵庫の中にあったプリンを食べ、ギネブアに吹っ飛ばされたときのことだ。
偶々その日は玄関の扉に鍵をかけておらず、家の外まで吹っ飛んでいってしまった。
ゴロゴロと地面を転がり、筋肉質な若い男の足へぶつかってしまう。
「大丈夫か? 相当強いお子さんを持っているんだな」
「はぁ、まぁ……」
その男の手を借りながら立ち上がり、騒ぎ立てるギネブアに謝りながら抱き上げる。
ポンポンと背中を叩きながら家の中に戻ろうとすると、ガシリと肩を掴まれた。
「なぁ。侵略隊、って興味ないか?」
「侵略隊?」
その男は、自らをゼバルと名乗った。
ヴォランは開発資金の為に侵略隊に入隊、私とギネブアも入隊した。
それから何年も経ち、静かだった侵略隊も賑やかになった。
その反面、ギネブアは私に対してとびきり厳しくなった。……体は痛くはないのだが、心が痛い。
私はヴォランに恩を返さなければならない。
だから、ヴォランが何かをするというのなら、私は全身全霊をもって手伝おう。
例え、それが侵略隊の仲間達を殺すことになっても……。
ギネブアは、ヴォランの作戦には賛同しない。言わなくてもわかる、赤ん坊の頃から見ていたのだから。
しかし。もし神様が、私とヴォランを巡りあわせたように、ギネブアと話すチャンスをくれたなら……。
一度だけ話してみよう。そして、何とかヴォランを説得するよう手伝ってもらおう。
あの頃の家族と侵略隊が取り戻せるなら、私は……。
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