第六話 馬車に揺られて
寒くなってきました。
「ん……」
目が覚めると首が妙に痛んだ。
思えば座ったままで寝ていた。頭は前に倒れこんでおり、首には相当の負荷がかかっていたのだろう。
「あ、起きられましたか?気分はいかがですか?」
「ん、すっかり良くなった。今何時だ?」
「ここは軍務省ではないので正確な時間までは分かりませんが……。少し前に教会の鐘が三時を告げるのを聞きました」
「そうか。結構寝てたな」
「お疲れのようでしたし、それくらいは良いのではないかと。御者が言うには日没辺りにはシーク市へ着くそうですが、どうなさいますか?」
「そうだな。うん、今のうちに資料は読んでおこうか」
傍らに置いてあった紙束をひっつかむと、パラパラとめくっていく。やがて目当てのページを見つけるとその手を止め、じっと文字を目で追っていく。
「これをどうぞ」
差し出されたのは小さな白っぽい丸薬。三つほど手のひらに乗せてくれる。ツンと独特で刺激的。それでいてどこか落ち着かせてくれるこの香り。
間違いない。これは……。
「生姜、か」
「はい。生姜と幾つかの薬草を蜂蜜で固めているんです。もともとは戦場での携帯食だったんですけど、酔い止めにもなるので。祖母謹製なので安心してください。味は保証しませんが」
やはり生姜であったかと納得する。
うん、生姜は良い。美味いし、保存がきくし、薬効もある。あれの砂糖漬けは好きだ。
南国諸国との交易が南部の反乱のせいで海路のみになってから生姜を始めとした南域で育つ美味しいものが軒並み値上がりしている。食卓にまで影響を与える反乱軍。全くもって許すまじ。
そこでふと、資料のとある名前に目が行く。
オリバー・メディチナイ。
クナイン連隊の副連隊長で階級は中佐。会計部のジャバ・メディチナイは次男――。
……メディチナイ家か。決して大きな家ではないが、薬で財を成した薬師の家として知られている。
ここの長男は帝都にいたな。確か典医をしていたはずだ。
……締め上げれば袖の下が重くなるかもしれないな。それを材料に中央の要請を受けさせるか。
個人的には賄賂に興味がなくもないのだが。
今回は五課からの応援も来ている。そういうことは慎むのが吉だろう。
疑わしきは罰せずという言葉もあるが、火のないところに煙は立たないという言葉もある。怪しい動きは意識して回避せしめるのが賢いやり方だ。
やる時は迂遠で分かりづらく。何か名目を立ててから。
……ただまあ、今後のためにも個人的な繋がりくらいは持っておいても良いだろう。あくまで個人的な繋がり。友情は素晴らしい物だ。個人的好意で何かしてもらおうとも建前上は何の問題もない。
「嫌だなあ、こんなのは僕のスタンスじゃないのに。どちらかと言うと課長の得意分野なのになあ」
と言っても仕方ない。やるべきこと……と言うよりはした方が良いことは変わらない。それにリターンもあるなら率先してやるべき事柄だ。
溜息が出そうだ。しかし利のあることは率先してやるのが務めと言うもの。
当座の狙いはこれで決まりだ。
「ミレンザ連隊の不正に切り込みつつ、メディチナイ家を連座させるか、不正を見つけ出す」
幸いこちらには監査のエキスパートが同行しているのだ。比較的、あくまで比較的だが、容易にやれるだろう。
チラリと向かいに座る己の副官を資料越しに覗う。
五課の課長が手放したがらなかったというその手腕。早速発揮してもらおうではないか。
鉱脈の発見者である彼女は表情一つ変えずに頬杖をついて、外を眺めていた。
「テレジア、この資料で気になったところはある?」
「気になったことですか……。そうですね……強いて言えば、冊封されて間もない貴族は協力的で、土着の貴族が抵抗しているように思えます」
「ほー」
言われて気が付く。
確かに、抵抗している連隊の長たちは古くから――百年以上前から数世代を西部で経た家の者ばかり。
しかし――。
「単なる偶然じゃないの?西部は南部や東部と違って建国当初から帝国だった場所だ。元々、古くからの家が集まっている地域でもある」
つまりは確率。作為なく、ランダムに抽出したとしてもこうなる確率は低くはないのではないかと言う数学的見地に立った疑問。大体、新しく冊封された貴族の連隊なんて三つしかない。
「偶然かもしれません。しかし、そうと決めつけるのは早計だと思います」
「どうして?」
「西部地方軍の連隊には全て目を通しました。そして、抵抗する連隊は連隊長は勿論、副連隊長や参謀辺りまでが全員古参の貴族でした」
「なるほど。面白い関連性ではある。確かに連隊の幹部連中が全て古い家なのは少ないね。大抵が、混在したような形になっている。……つまり、あれかな。連中は軍権を取り戻したいって考えているのか?かつての貴族軍のように、自らが意のまま使える私兵が欲しいと。そういうことなのか?」
「ここで結論を出すのは早いですし、軽々しく出すべきではないと思います。思い込みは事実を色眼鏡を通してみることになり、違った真実を映し出すことになりかねません」
厳しい口調で窘めてくる。
確かにここで軽々に言って良いことではなかっただろう。
……というかそれは僕が言うべきことであるんだけどな。この優秀な副官は僕くらいは軽く超越するのではないだろうか。
「そうだね。すまない、気を付けよう」
「いえ、こちらこそ差し出がましい真似をいたしました」
そう言って頭を下げてくるテレジア。大分打ち解けたかと自惚れてはいるが、相変わらず彼女の真面目さは失われない。
テレジアの澄み渡る声は、凛と張りつめた空気を醸し出す。
まるで粗熱が取れるかのように、少々血が回りすぎていた頭がすっと冷めていく気がした。
まったく、兵学校で学んだではないか。物事は多角的に見ろと。一方から見ず、見たいものだけを見ず、他の可能性を考えてみろと。そのことは無駄にならない。たとえ最初に考えていたことが正しかったとしても、だ。
人間は都合のいいことを見がちだ。だからバイアスをかけず、可能性の一つとして考えろと。名前は忘れたが、あの老教師は言っていた。
と言っても、他の可能性なんぞとんと思いつかないのだが。だからといってその他の選択肢がないということにしてはいけなかった。
「可能性は可能性として心に留め置こう。それで?他には何か気づいた点は?」
「他には……。別の決算報告などの資料と突き合せたのですが、やはりミレンザ連隊の不正は間違いないものと思います。査読で見つけたものの他にも幾つか怪しい点がありました」
「ああ、それは応援に来てくれた五課の人も言っていたな。調べる時間は半日しかなかったけれど、これは間違いなくでかい鉱脈があるって」
テレジアの見つけたやつは氷山の一角に過ぎなかったということだ。あれで氷山の一角というのは驚きではあったが、応援の五課の人は「時間があればもう少し規模を算定できた」と言っていたものの、少なくとも半端ではない規模なのは分かると教えてくれた。
鉱脈の規模は数十万スノア。下手すれば百万スノアに達するのではないかと。
五課のその人は、自分の能力不足を嘆いていたがここまで分かるのならば十分だと言いたい。
……調べる時間に関してはうちの課長のせいなんだけどな。
嫌がらせのしわ寄せを他の課にまで与えるなと言いたい。こっちが気まずくなる。
まあ、嫌がらせは理由の半分も占めないのだろうけれども。
その五課の人は、自分の馬車の中で報告書制作の真っ最中だ。
今朝、馬車に乗る前に話した時は目の下に隈ができていたが。なんでも今日中に纏めて五課の監査メンバー間で共有しとかなくてはならないとか。
まだ眠れませんよと力なく彼は笑っていた。今まで二日酔いで眠っていた自分に罪悪感を感じる。
実働部隊は大変だ。少なからず権限がある立場で本当良かった。彼らの仕事は尊敬すべきものだし、実際尊敬している。憧れさえある。しかし、「やってみるか?」と問われれば「遠慮しておく」と答えときたい立場でもある。
五課の仕事の実働部隊が務まるほどの知識も能力も僕にはないのでそんなことを言われることなどあるはずもないのだけれども。
「まあ、いいように考えようじゃないか。規模が大きくなればなるほど貰える報奨金は大きくなるぞ。実に楽しみなことじゃないか」
ははは、と力なく笑う。
テレジアはポカンとこちらを見つめ、やがてふっと顔を緩ませる。
「そうですね。労力に見合った報酬があるのは良いことです。さくっと終わらせて帝都に帰還して、休暇を楽しみたいです」
「少なくとも冬になるまでは休暇は取れないと思うけど。休日返上でお仕事だよ? 刻々と変わる前線を支えるために後方がとれる余裕なんてない」
「……やる気が薄れてきます」
その口元はやや引きつっている。
まさにブラック。労働に見合った対価を得られそうにもない。
戦争なんてするもんじゃない。
今回は反乱鎮圧であるが。
「来春には治まっているだろうし、報奨金も出るから、その時に余暇を過ごせばいいんじゃないかな」
「春ですか……。遠いですね」
「遠い遠い。その前に過労死してしまう」
おどけた口調で資料をひらひらとさせる。
「大丈夫ですよ、レットー軍政官なら」
「んん?どういうこと?」
「そのままの意味です。余裕はおありでしょう?」
「……なんのことやら。僕は常に全力で仕事をしているけど?」
「ふふ。そういうことにしておきますよ」
そう微笑みながら上目にこちらを見てくるテレジア。
その瞳は悪戯っ子の眼そのものだ。
思わず苦笑してしまう。
「本当なんだけどな」
テレジアとは短い付き合いではあるが、随分と見透かされているような気がした。
次回更新は11月3日前後です。
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