第四話 良い日になりそう
やっぱり昨日は更新できなかった……。
トントントン。
規則正しく三回扉を叩く。
扉が内側からガチャリと開け放たれる。
「レット―三等軍政官です。入室の許可を」
「おや、レット―軍政官ですか。おはようございます。課長、レット―軍政官がいらしています」
「レット―軍政官?エイベルか。入らせろ」
「失礼します」
副官のケイウェンさんに会釈をして中に入る。ケイウェンさんはコーヒーカップを二つ用意していた所を見ると、ちょうどブレイクタイムだったらしい。一体いつから仕事をしているのやら。
課長は自分の机で葉巻を吸っていた。
わずかに開いた窓から逃げるようにして紫煙が空へと伸びてゆく。
「どうしたエイベル。副官の返品なら受け付けてないぞ」
「分かってますよ課長……。軍令には従いますよ、よっぽどのことでない限りは……。それに彼女は優秀ですよ。少なくとも今のところはこっちから手放そうとは思いませんね」
げんなりして返す。しかし課長は意外そうな顔をする。
「そうか。てっきりそのことだと思ったんだが……。まあ気に入ったなら良い。上手くやれ。……それと軍令は絶対だ。分かったなら肝に銘じておけ。この情勢で迂闊なことを言うものではない」
最後は思いっきり底冷えするような声であった。
軍務省に所属している以上、軍令は絶対だ。自分勝手な判断や行動をされると組織は脆く、あっけないほど簡単に崩壊する。
これは歴史が証明してきた事実だ。こんな理由で滅びた国の例など枚挙に暇がない。言葉の綾だったとは言え――特に課長の前で、そうそう軍令を否定するようなことを口にしたのは運悪ければ翻意ありと取られかねない。
完全に失言であった……とまではいかないにせよ軽率であったことは否めない。
「俺は貴様がこのようなことを言った背景は理解しているし、どのような文脈でなされたのかも分かっている。貴様がそのような意図でないこともな。だが中には言葉尻を取る連中も万といるのを頭に刻んでおけ。普段ならともかく……今は間が悪い。上からの標的になるぞ」
「はッ、了解しました!」
「いつもなら気に留めないのだが……。内務卿がピリピリしているらしくてな。どうやら街の方では内務省の治安警察が言葉狩りをしているそうだ……一部が暴走している形だそうだが。まあ何にせよ気をつけておけよ。省内ならまだいいが、外では特にな」
そう言って課長はふーっと息を吐く。その口からはもくもくと煙が一緒に吐き出される。
手に持った葉巻を灰皿にぐりぐりと押し付けて火をもみ消した。
「……内務卿はそれほど帝都内の反乱を警戒なされているのですか」
「……必要以上に、な。だがどうすることも出来ん。貴様らは貴様らの仕事をしろ。それで?話が逸れていたが何の用だ?叱られに来たわけではあるまい」
「課長、テレジア軍政官に査読をさせたところ……鉱脈を掘り当てました」
「ほう。五課の課長が手放したがらなかったわけだが……。なるほど、持ってるな」
眉が驚いたように上がる。
少し髭がのびた顎を撫で、口元を若干ながらもほころばせる。
初日からの金星に感心しているようだった。
抱えていた資料を差し出す。
「ええ、非常に優秀だと思っていますよ。鉱脈の規模が大きいので課長に判断してもらおうかと思い、資料をお持ちしました」
「多いな……。ケイウェン!休憩は中断だ。手伝ってくれ!」
ケイウェンさんを呼び寄せ、資料を半分手渡す。
一人でゆたゆたと持ってきた厚い資料を片手で。
思わず感嘆が口からこぼれた。
「これは……?なんだ内容はえらく薄いな。……西部地方軍の決裁報告か。ミレンザ連隊……。でかいな。組織ぐるみの匂いがする」
パラパラとめくり中身を確認してゆく。一目見ただけでその内容を把握できるのは流石としか言いようがない。
課長のその目は鋭く、鷹のようで、すべてを捕らえてるがの如く資料を睨みつける。
「……これは……」
ケイウェンさんも険しい顔をする。
一枚一枚紙をめくるたびに眼光が鋭くなっていく。
「エイベル……。貴様に選ばしてやろう。西部へ行くか行かないかを」
何かを察した課長はそう問いかけてくる。
低く、重たい声で。
そう聞かれると予測はできていた。だから用意していた言葉を返す。
「……行っても良いですが、それは調査しろということでよろしいんですよね?」
「調査しろとは言っておらん。貴様に選ばさせてやると言っているのだ」
しぶといな。少しは弱みでも露出させるかとも思ったが、全くだ。糸口さえも掴ませてくれない。
もしや思惑を見抜かれているのでは。
あり得る。十分にあり得る。
しかし是が非でもここは言質を取っておきたいところ。
責任の所在は明らかにせねばならない……課長の所だと。
「私が選ぶのは私自身が西部へ調査に赴くかどうかであって、私が選ばなくとも課長が誰か別の人を調査へ送るのですよね?」
エイベルとセシル課長。二人の間には火花が幻視できるほどだ。
二人とも表情自体は笑みを浮かべているのが逆に異様で恐ろしいことになっているだろう。
「……それはもちろん送るとも」
「私は軍令には従いますので、行けと言われるのでしたら行きます。他のどなたかを行かせると言うのであれば資料の引継ぎなどがありますので早急に願えませんか?」
「時期はこちらが指定する」
「具体的にはいつ頃でしょうか。こちらも準備がございますので大体で良いのでお教え願えませんか?」
「今は返答できん。……それより返事はどちらだ。行くのか?行かないのか?はっきりさせろ」
鋭い、視線だけでも人を殺すことができそう……。
でも今は……不退転、だ。
「今は仕事が山積してますから……。査読もまだ残っていますし。あ、テレジア軍政官に頼んで五課に応援に応援に来てもらう手もなくはないのかな」
「…………」
「……!」
迂遠な脅し。
貴方が決めないならば、監査を司る五課にタレこみますよと言外に言っているのだ。
課長は口元をはっきりと歪ませる。
「……嵌めたな?エイベル」
「何がでしょうか?」
薄氷の上に立っている気分だ。
迂闊に踏み出せば地面は危うく、いっきに崩壊してしまうだろうが、不用意なことをしなければ氷は割れない。
しらを切るその顔には冷や汗が浮かんでいた。
課長と視線が交わる。
実際の所は十数秒程度なのだろうけれどもそれが数分、数十分に感じた。
「……まあいい。貴様が西部に行け。追加の人員もつけてやる……。調査が終わるまで戻ってくるな」
「拝領しました。では早速準備のほどに取り掛かります」
わざとらしくならないくらいで神妙な顔を作り、礼をする。
歯噛みする課長の横でケイウェンさんはクスクスと笑っていた。
「ケイウェン、なにがおかしいんだ……?」
「いえいえ、何でもありませんよ。それよりも課長、急ぎ人員を整理しませんと。レット―軍政官も西部へ行かれませんよ?」
ぎろりと睨まれても平然とかわすケイウェンさん。正直こういったスキルはとても羨ましい。どうやったら萎縮しないようになれるのだろうか。
「詳細は追って知らせる。それまでは通常の業務をこなせ。本日夜か明日朝には通知するので覚えておけ」
「人員はどれくらい融通してもらえるのですか?」
「今はどこの部署も余裕がない。ダース単位で何十人もは無理だ。……精々が十人くらいだな。まったく時期が悪い。案外と軍政部の業務に負荷をかける目的の、反乱軍の迂遠な攻撃かもな」
無論、冗談だがな。と課長は苦虫を磨り潰したような顔をする。
課長も反乱軍に対しては軍務省職員の例に漏れず、相当な恨みつらみがあるらしい。
……軍政部にこれだけの負担をかけているのだから当然ではあるのだが。
失礼しますと言って課長の部屋を出る。
日はのぼり、すっかりと明るくなっている。今が何時であるか一番わかりにくい時間帯だ。八時も九時も十時も大して違わないように感じるとか言ったら風流人に怒られた覚えがある。
懐から懐中時計を取り出し時間を確認する。
「ん……まだ八時か」
時計の針は八時を少し回っていた所だった。随分と課長の部屋にいた気はするものの、それでも一時間に満たないぐらいであった。
「濃ゆいな。あの人の部屋は時間が早い」
時の流れる速さが本当に違うんじゃないだろうか。
まるで伝説の竜宮城のようだった。
それはさておき。
上手く責任を押し付けられた……!
課長のことだからどこかで帳尻を合わせにはくるだろうが……昨日の意趣返しも兼ねたと考えるならば、まあ上々の結果と言えるのではないだろうか。目的も達成できたわけであるし。
今夜は旨い酒が飲めそうだ。まだ朝早いうちからそんなことを考える。
今日こそは家に帰ろう……。帰られないとしても仕事を切り上げて晩酌ぐらいはしよう……。省内での飲酒はあまり褒められたことではないけれども。
明確に禁じられているわけでもないから嗜む程度なら良いだろう。戦勝記念とかで何年か前に盛大に飲み会があったらしいし。
「とりあえず、今日の仕事にちゃっちゃと取り掛かりますか。早く終わらせて早く旨い酒を飲めるように!」
そう強く思うと俄然やる気がわいてくる。
今日は良い日になりそうだ。