第二話 ナカトネリ元帥
同刻、元帥府。
そこにはナカトネリ元帥を始め、参謀、高級将校の主な者が揃っていた。
ナカトネリ元帥を中心として右に参謀たち。左に将校ら。地図の置かれたテーブルを囲むように座っている。
「閣下、我が第一軍に出撃命令を下さい!このままでは戦線が大きく退いてしまいます!」
そう訴えるのはダッチマン大将。第一軍の将だ。
きっちりと着こなしている軍服は彼の生真面目ゆえか。
初老をとっくに迎えているにも関わらず、全身からあふれ出る覇気は衰えることを知らない。
「そうです閣下。第一軍の運用主旨は即応。この危機に際して用いずにいつ用いるというのですか」
「軍政部からは補給計画も上がってきています。どうかご再考を」
「帝都の守備は我ら第四軍で十分じゃ。どうか前線に兵を差し向けてくだされ」
口々にそう訴えかける。
ここにいる誰もが第一軍の派遣を望んでいた。
「そもそも中央軍の運用は元帥府が決めるのではないのか?これは越権行為であろう」
「それが軍務卿を通しての要請であるので越権行為とはいえず……。軍政部に問い合わせたところ『グレーではあるが黒ではない』との回答が――非公式ではありますが、なされました」
参謀の一人が答える。
つまりは裁量内だと。
「しかし軍務卿と言えども元帥府に口を出すのは如何なものか」
「今までほとんどなかっただけで、軍務卿は中央軍の作戦及び運用について要請することができるんです。あくまで要請ですので無視することもできますが……」
「ならば無視すれば良いじゃないか」
「そうだ、要請ならば断われば良い!」
参謀の言葉に湧き立つ。
望みがあるならそれに縋らんとするばかりに。
第一軍を派遣できるならそれくらいの価値はある。将らはそう考えていた。
しかし参謀の言い方に引っかかりを覚えた老将がいた。
第四軍の指揮官、イシュール中将だ。
「要請を無視したらどうなるのじゃ」
「少なくとも軍政部からの支援が受けられなくなります。あちらは軍務卿が直接関与することが可能ですので……」
「軍政部なしでどれだけ戦えるのかのう?」
「帝都近郊ならともかく、南部への派遣ですと……。三日が限度だと」
補給計画を立て、兵站を一手に担う軍政部。
補給部隊はあったとしても、その補給部隊に補給が回ってこなければ意味がない。
手持ちだけで戦えるのは三日。参謀たちはそう判断していた。
「三日だと?どうにかならんのか?」
「いや、三日あれば十分だ。その間に反乱軍を蹴散らせば……!」
「だがその後が続かなければどうすることもできない。反乱軍は前線に全ているわけじゃないんだぞ」
紛糾する。
三日。打撃を与え、潰走させることができなくもない制限時間。
しかし反乱軍を抑え込むには圧倒的に時間が足りない。
ナカトネリ元帥とともに今まで保っていた沈黙を破る者がいた。
参謀総長だ。
「……三日と言うのは南部に到着してから三日だ。移動で疲労した兵を酷使したとしての時間だ。実質戦えるのは一日だな。それも天候によってはなくなる一日だ」
押し黙る将校ら。
無謀だということを悟ったのだろう。いや、彼らとて無能ではない。認めたくなかったのだろう。可能性にすがりたかったのだろう。
しかし現実は無情。歯ぎしりの音さえ聞こえてくる。
目を瞑りそれらを聞いていたナカトネリ元帥が口を開いた。
「……第一軍は待機だ。決定は覆らん」
「しかしッ」
「言いたいことは良く分かる。だが、補給がなくては戦えん……。堪えろ」
有無を言わせぬ重い言。しかしその口元は怒りに震えている。
「……」
静寂が訪れる。
誰よりも憤っているのは元帥閣下なのだ。
その場にいた誰もが察する。
「諸君らを集めたのは第一軍を派遣するためではない……。目の前の危機……反乱軍にどう対処していくかを話し合うためだ。参謀総長、頼む」
「現在、第二軍を南部に派遣するべく軍政部が急ピッチで準備を進めている。七日ほどで終わるとのことだ。第二軍は二手に分かれてバム城塞とシルエ要塞に入る。現時点で決まっているのはここまでだ。何か異論のある者はいるか?」
「一つ良いでしょうか」
第二軍の指揮官、トマジ中将。
まだ二十代と若い将である。
トマジ中将は父を北部大貴族に、母方の祖父を司法卿に持つコネクションのサラブレットだ。しかし、彼自身軍才に溢れており帝国軍最年少の軍団指揮官となるに至った。
攻めを得意とする第一軍のダッチマン大将とは違い、意外にも守りに定評がある将である。若さに任せて突撃を好むのを良しとせず、老獪な罠を仕掛け相手を消耗させていく。その才覚は彼より年上な他の軍団長達も認めるばかりだ。
「バム城塞は分かるんですが、シルエ要塞に派遣するのですか?前線からかなり距離がありますが」
「南部地方軍は戦線の引き下げを決めた。バム城塞とシルエ要塞を柱とした防衛線を構築するそうだ」
どよめきが走る。今ある前線からシルエ要塞まで約三十キロ。
歩いて半日はかかる距離だ。今の前線のある砦より守りやすくはあるだろうが、その分失う領土も増えるということだ。
「思い切った決断をしたな、南部地方軍は」
地方軍の指揮官はその地域の貴族であることが多い。
南部地方軍の指揮官もその例に漏れず、南部の貴族だ。
収入に直結する自分の土地を守ろうとするから、戦線後退をしたがらないものなのだが……。今回は戦線後退を、それも大幅にしている。何か理由があるのだろうか。
「シルエ要塞の前には平原が広がっている。騎兵団を主とした編成の部隊を送ると良いだろう。ダッチマン大将、今派遣している騎兵団はシルエ要塞に配置してもよろしいか?」
「構わない。一時的に第二軍の隷下におこう」
「ありがとうございます。騎兵、お借りいたします」
ダッチマン大将に礼を言うトマジ中将。
二個騎兵団、それも第一軍の騎兵だ。追加の戦力としては申し分なかった。
「ここからが本題だが……。第二軍には防御に努めていただく。打って出ても良いが、牽制程度にとどめ戦力はできる限り温存するように。深追いは許可できない。攻勢は第三軍の到着を待ってからとする」
「第三軍はいつ頃派遣されますか?」
「軍政部からはひと月以内と言われている」
「ひと月ですか……ギリギリですね」
季節は既に秋半ば。秋の収穫も終わりかけた頃合いだ。
いかに温暖な南部と言っても冬の間は兵站が圧迫され、大規模な軍事行動は危険が伴う。
籠城はできても本格的な攻勢にでるには厳しいかもしれない。
「冬に入る前に今の前線まで押し返すことを目標に掲げているが……。第三軍の……スーシャ中将の意見はどうだ?」
「今の前線で良いのなら何とか間に合う。バム城塞に戦力を集中させ、敵を追撃。シルエ要塞に張り付いている敵が引かなければ包囲してもいいし、素直に引くならばそのまま押し上げる。これで大丈夫だろう」
「それですとシルエ要塞に配された騎兵団が腐りませんか?それならシルエ要塞から騎兵団を引き抜いたほうが良いのでは?」
参謀総長が首を振る。
「それだとシルエ要塞から打って出るとなった時に支障をきたす。主攻をバム城塞から行うにせよ、欺瞞も兼ねてシルエ城塞にも戦力を置いておく必要がある。騎兵団はシルエ要塞だ。参謀共、何か意見はないか?」
参謀の方を見渡した。
一人の年老いた参謀が立つ。
第四軍の参謀だ。
彼は地図のバム城塞に手を置きつつ、しわがれた声で意見する。
「参謀長殿……。今の計画では第三軍を第二軍と同じく、バム城塞とシルエ要塞に分派することになっておりますが、バム城塞に纏めてはいかがでしょう。バム城塞からすぐに打って出るのでしたら、バム城塞にのみ送り込むほうが良いかと存じます」
「……そうだな。戦力分散の愚を犯すことにもなる。よし、今のザホムル参謀の意見に反対の者はいるか?」
「ありません」
「私もありません」
「私もです」
「そうか。トマジ中将、スーシャ中将、それでよろしいか?」
「構いません」
「ああ、こちらもそれで構わん」
両中将は首肯した。
参謀部の意見を受け入れる。
満足そうに頷く参謀総長。しかし、その顔に笑みは一切ない。
彼は分かっているのだ。これはあくまでも次善の策だということを。
最善は無論、第一軍の即日投入。
参謀将校として、これを幾度となく主張するも認められることはなく。
参謀の義務とはいえ、参謀達の疲弊は凄まじかった。
……栄光ある帝国中央軍が遅滞戦闘などと抵抗されるかと思ったが……。トマジ中将は物分かりが良い方で助かった。
上の馬鹿どもは反乱軍を暴徒と同じように考えている。数が多いだけの烏合の衆だと。
阿保じゃないのか。
それだけだったら地方軍があれほど苦戦するわけないじゃないか。証拠があるわけじゃないが、他国の介入があることは間違いない。
南の……王国か?人の国の非常時に付け込みやがるのは。
反乱軍の鎮圧が終わったら示威行動を起こさねばなるまいか。あるいは占領も見越して……。
「いかんな。今は目の前のことに集中せねば」
戦いが終わった先のことも考えておくのは参謀としての義務ではあるが、今は反乱軍に対してどう対応するかを話し合う場。
先のことは、じっくりと参謀部で話し合うべきことだ。
参謀の一人が怪訝な顔でこちらを見てくる。
流石は参謀。同族だけあってこういったことには敏感だ。
「総長、いかがかなされました?」
「いや、少し思案に耽っただけだ。気にするな」
思考の海に一度踏み入れると、そのまま溺れていって中々抜け出せなくなる。参謀にありがちな職業病ではあるが、治すべき悪癖でもある。
自省しつつ、話を進める。
「両軍の装備についてなのだが……。悪いが、第二軍についてはこれ以上融通が利かん。軍政部は完全に音を上げていた。だが第三軍は派遣まで日数がある。少しくらいなら編制しなおすことさえ可能だ。軍政部はできる限りの要望は聞くと言っている。何か要望はあるか?」
「できるのであれば……。バリスタを配備願いたい。できるだけ沢山だ」
「バリスタか。軍政部に要請しておこう。だがあまり期待はしないでもらいたい。あれは数が少ないうえに重く、矢の互換性がない。軍政部は渋るだろう」
バリスタは通常の弓よりも飛距離や威力に勝るものの、運用にかかるコストから要塞など以外では敬遠されがちな武器だ。何より速射ができない。弓に練達したものならバリスタで一発放つ間に、矢を十本は射れる。
野戦ではただの荷物になりがちな武器なのだ。
「できればでいいので頼む。まとまった数が欲しい」
そんなバリスタを何に使うというのか。疑問はあるもののスーシャ中将の要求を軍政部に伝えに副官を走らせる。
こういうのは早ければ早いほうがいい。
とっくに日は沈んでいるのだが、今の状況で帰っている人など一人もいないだろう。
「バリスタとはまた面白いものを頼むのう。軍政部は悲鳴を上げるじゃろうが」
カッカッカッと小さく笑うイシュール中将。
長年、北で蛮族と戦ってきた老将は拠点防衛を幾度となく経験している。
バリスタの性能にも熟知しており、その運用にも長けていたと聞くが補給に四苦八苦していたとも聞く。
そんなイシュール中将だからこそ解る何かがあるのだろうか。
「バリスタはのう。初撃を取れる優があるからの。逆にいうとそれくらいしか使い道はないのかもしれんのじゃが……。おっと、スーシャ殿には釈迦に説法じゃったな」
「助言はありがたく聞き入れる。老将の言うことは聞いておくものだ」
スーシャ中将は武骨にそう答える。
敬老精神は豊富に持ち合わせているようだった。
「あー……スーシャ中将。バリスタ以外には何かあるか?」
「ない。慣れぬ編制より、慣れた編成のほうが使いやすい」
「そうか。ならば良い。ナカトネリ元帥、裁可を」
うむ。と頷きナカトネリ元帥はペンにインクを付ける。
参謀の一人が筆記官より受け取った元帥府令の書面を手渡す。
ナカトネリ元帥は文を一読し、内容に誤りがないことを確認すると、書類に自分の名前を書き込んだ。
「これを軍政部に送れ。トマジ中将、貴官は分派する部隊の選定に急ぎ取り掛かれ。期限は明日の朝だ。これ以上軍政部に負担をかけてやるな」
「はッ」
「了解いたしましたッ」
そしてナカトネリ元帥はその場に立つと全体を見渡して、重く低い声をだす。
戦いの前に飛ばされる檄。
これはそういった類に近い。
「良いか……。身内に足を引っ張られようとも、万全ではないとしても……。我らは帝国の盾であり矛である。敵を蹴散らせ。陛下に勝利の報をもたらせ。正義は我らにあり」
「……っ!」
その場にいた者は無言で敬礼を行う。
建国時の皇帝に仕えていた将軍が、最後の戦いで用いたと言われるこのフレーズ。中央軍の進軍前の定番として今もなお広く知れ渡っていた。
「この戦いは勝たねばならん」
ナカトネリ元帥は低くつぶやく。その場にいた誰もがそう思っていた。
誰もかもが帝国の勝利を信じて。
次は10/17、19時過ぎ投稿予定です。