第一話 初めての副官(4)
今日は早めに。
誰もいない廊下を歩く。
ドアから漏れるかすかな声以外はまるっきり静かだ。寂しいくらいに。平時であれば勤務時間が終わりを告げたあとだ。帰り際に談笑する軍政官の姿も見られるのだが、あいにくと平時ではない今はそれもなし。ようするに、みんな帰ることができないのだ。
ふと物音に反応し、そちらを見る。すぐ先のドアが開いた。
出てくる人影とぶつかりそうになり、すんでのところで回避に成功する。
「おっと失礼」
「いえ、こちらこそ……。ってフォウンじゃないか。どうしたんだ、お前の部屋は上だろうが」
「反乱軍のことですり合わせをな……。まったく反乱軍のやつら、事務方の苦労を分かってねえだろ。絶対に許さん」
「完全に同意するよ。財務省の連中と軍務省のやつは碌に家にも帰れてないからな」
「全く、全く。財務卿なんて決済と心労で不眠症にかかっているらしいぜ。あの爺様は苦労が絶えないな。徴税事件が片付いたばかりだろう?それなのにすぐこれとは」
いくら強力な軍隊があろうとも食糧や武器がないと戦えない。
いくら優秀な後方部隊がいようともお金がなければ食糧や武器を購入することはできない。
兵隊、事務方、財務方。この三つが揃って軍は初めて体を成す。
そして一番しわ寄せがいくのは財務を司る財務省である。そこのトップである財務卿に降りかかるストレスは並大抵のものではないのは察せられた。
「僕はこれから下で飯を調達するけど、どうする。フォウンも来るか?」
「そうだな。腹も減ったし俺も行くか。……そういや気付いていたか?予算を捻出するために食堂のクオリティが下がったの。南部からのは現地部隊とかに使わせるから代替しなくちゃならないしな」
「最近は味なんて気にする余裕がなかったからな。腹に詰めれば良いみたいな」
「それは分かるな。最近は、食事なんて栄養補給か情報交換くらいの意味合いしか持ってないしな。ああ、ひと月前が懐かしく感じる」
「……うちはひと月前はすでに忙しかったけどな」
「中央担当の一課と地方担当の二課との違いだな。諦めろ」
にやけながら言われるとなんか腹が立つな。
ああ一課が羨ましい……と思った所で気付く。
今は一課のほうが修羅場っていることを。
中央軍は精鋭ぞろいだけれど、拠点が帝都にあることもあって出撃の準備は地方軍よりも大忙しだ。地方軍はその性質上、ある程度権限が地方にある地方司令部にあるのだ。その分、二課は一課より細かく詰めなくていいと言える。
その分管理が行き届きにくい、運搬がだるいとか言った欠点もあるのではあるが。
「さっさと鎮圧してくれないもんかね……。中央軍はいつ南部に派遣されるんだ?」
「あと一週間て所だな。それでも第二軍の派遣しかできない。第三軍を送り込むにはもう少し時間がかかりそうだな」
「そうか……」
話しているうちに食堂に着く。
少し早めに来たこともあり食堂はすいていた。もう少ししたら疲れ切った軍政官たちでお通夜のような雰囲気を醸し出す食堂も、余裕のある人だけで構成されており平時のような活気があった。
フォウンと手早く料理を頼み、テーブルに着く。
ジャガイモがたくさん乗ったプレートにバターと肉を細切れにしたものをかけたものだ。これをパンにはさんで食べれば十分なカロリーが摂取できる。
一口口に運んで違和感に気が付く。
フォウンの言っていた通りだ。意識して食べてみたらわかる。いかに栄養価重視の食堂とはいえ、確かに味が落ちている。
一緒に頼んだスープで飲み下すようにいつもは食べるが、今日は歓談もかねて。
それに、いつもそんなことをしていては胃があれる。健康のためにもたまには休ませてあげなければならないではないか。
「それで?第一軍はどうした?あれは即応できるはずだろう。なんで南部に派遣しないんだ」
「……第一軍からは二個騎兵団を送っている」
「それだけだろ。第一軍の戦力からみれば微々たるもんだ」
二個騎兵団。治安維持なら十分かもしれないが、今回は地方軍が手を焼いているれっきとした武力組織であり、反乱軍だ。即応で投入する戦力としてはあまりにも少ない。
フォウンが目を伏せがちにする。
口元も少し歪んでおり、言いにくそうに口を開く。
その声音は張りつめていて、声が小さくなったにも関わらず耳に響く声であった。
「……第一軍は動かせん。元帥府の決定だ……」
「なっ……。それじゃ、何のための即応だ、何のための第一軍だ」
「ナカトネリ元帥は第一軍を全て南部に派遣させるつもりだったらしい。第一課の最初の兵站計画では、既に第一軍は南部に展開し終わっている頃合いだ。けどな、そこで上から待ったがかかったんだと」
「上って、軍務卿か?」
「最終的にはそうだな。内務卿と宰相閣下辺りから軍務卿に圧力がかけられたらしい。最精鋭たる第一軍は、帝都の守備に就かされたし。ってね」
「帝都まで来るにはまだ時間がある。それまでに叩き潰すのが第一軍の役割だろ」
「それが分かっていないんだよ、お偉いさんたちには。自分のいる帝都の守りは厳重にしときたいんだろう。帝都で反乱を起こされるのを一番警戒しているみたいだな」
はあ……。ため息しか出ない。
帝都には最精鋭たる第一軍がいなくても三個軍団の兵力が近郊にいる。
それで満足できないのか。
これだから保身しか頭にないやつらは……!
「それでナカトネリ元帥は二個騎兵団しか送れなかったわけか」
「その二個騎兵団も偵察任務と言う体での援軍だからな。派手に立ち回るわけにもいくまい。……地方軍は持ちそうか?」
「僕はあくまで軍政の人間だから断言はできないけど……。厳しいだろうね。第一軍が使えるなら話は別だったろうけれど……。北部と西部の地方軍を抽出する方針で二課は進めている。それでも、まとまった数を送り込めるにはひと月はかかるかな」
「それなら中央軍のほうが早いな。ひと月立てば第三軍も投入できるだろう」
「それまでにどこまで戦線が後退するのかねえ……。戦線が近いほうがこっちは楽だけど、元帥府とか財務省は確実に悲鳴を上げるな……」
「南部には穀倉地帯が広がっているからな。長引けば税収に甚大な被害が出る。財務卿がますます眠れなくなっちまう」
温暖な南部は小麦を始めとして数多くの作物を育てられている豊かな地だ。
それゆえに商人や豪農と言った勢力が他の地域よりも強く、反乱軍の鎮圧に苦労している一因にもなっていた。中には真っ当な取引をしていると見せかけている裏で反乱軍にも援助をしている輩もいるという。それも少なくない数がだ。
しかも厄介なことに、疑わしくも証拠がないのだ。憲兵たちが今必死に捜査をしているもののそう簡単には見つかるまい。なんせ、相手は商人。こういった腹芸はお手の物だろう。
まったくもって強かなことだと苛立つ。こっちの苦労を味合わせてやりたい。
そうでなければ商人なんてやっていけないのかもしれないが、それでも恨み言くらいは言わせて欲しい。
「バム城塞は堅い。最前線からはまだ距離もあるし、しばらくは落ちないだろう。問題はバークナルン砦だ……。街道の要所にある重要な拠点なのにいまだに要塞に格上げされていない。報告によれば五千の兵を周囲に展開しているらしいが、ひと月持つとは考えにくい」
頷く。反乱軍は正規兵より装備には劣るものの数万はいるらしい。砦程度で五千では到底防ぎきれないだろう。
「僕は西部担当だから詳しいことまでは分からない。だけど聞くとこによると、南部地方軍はバークナルン砦含む四つの砦を放棄して、バム城塞とシルエ要塞に立てこもる算段らしい」
「シルエ要塞まで引くのか。引きすぎじゃないのか」
「なんでシルエ要塞なのか、そこまでは分からない。だけど大幅な農地が失われることは確かだ。砦では守り切れないと判断したのか……。もしかすると……」
しばし考えてから首を振る。悪い想像が頭をよぎった。だが、それはないと一蹴する。
南部地方軍には南部地方軍の戦略があるに違いない。
今まで長らく戦線を支えてきたのは南部地方軍なのだし。
「どちらにせよバム=シルエ・ラインが当面の防衛線になるわけか。ううん……引きすぎとは思うが……、そこまで引けば中央軍派遣には余裕ができるな」
「まあ、堅実な防衛ラインだからね」
戦力の逐次投入は愚の骨頂。
各個撃破される危険性だけが増す。
この大規模な戦線後退には、戦力を集中させて一気に押し返す。南部地方軍のそんな思惑があるのかもしれない。
「さてと、仕事に戻るか」
そうこうしている内にプレートに乗っていたジャガイモはすべて胃袋の中へと消え、スープも飲み干していた。
味わうことができたのは最初の一口だけ。やはり今日も、栄養補給としての食事しかできなかった。早く日常に戻りたい。
「そうするか。……おっと、テレジア軍政官の分を持っていかないと」
危うく忘れるところだった。
ファインプレー。パッと思い出した自分の脳みそを誉めてやりたい。
「ん?テレジア軍政官?誰だそりゃ」
フォウンが訝しむ。そういえばフォウンにまだ伝えてないんだっけ。
「ああ。テレジア軍政官は僕の副官だよ。今日付けで配属になったんだ」
「お前が副官をねぇ。まあ仕事が捗っていいんじゃないの。というか、副官なんだから軍政官まではつける必要ないんじゃないの?テレジアって呼んでやればいいじゃないか」
「うん、すごい捗る。……まだ初日だしね。流石になれなれしすぎやしない?」
あの速度で仕事してくれるなら仕事が終わるのが早くなって、家に帰るのが――いや、その分振られる仕事とか増えそうだな。
結局あんまり変わらない気がしてきた。
「馴れ馴れしいとは思わないが……まあ、人それぞれか。副官とはうまく付き合えよ。拗れると面倒臭いぞ」
「気を付けておく。それじゃ、ここで」
忠告にありがたく耳を傾けつつ。フォウンに別れを告げると、テレジア軍政官の夕食を調達しに動く。
何がいいだろうか。作業しながらでも食べられるものが良いだろうか。
女性でも男性と好みは似通っているのかとか、軽いのとガッツリはどちらが良いのだろうとか。悩みは尽きない。
「あーもう。無難にサンドイッチでいいか」
作業食の定番。もともとが手を汚さず、カードゲームをするため片手で食べるように作られただけはある。
必要は発明の母。この言葉を代表するがの如く。
ギャンブラーではないものの、片手間で食事ができるのは事務方にとっては便利極まりない。
……もっとも、食事と言う憩いが消滅することも意味しているのだが。
とりあえず一袋、サンドイッチを購入する。少し少ないかなとも感じたが、それは男の僕から見たら。女性であるテレジア軍政官にとってはどうかは分からない。
足りないようだったらまた買いにくればいい。残すとか、無理に食べるよりかはずっといいだろう。
自分の仕事場へと戻っていく。
……そういえば、最初は部屋で食べようと思っていたなぁ。
テレジア軍政官にもそう言って出てきていた。
少し遅くなったし……。悪いことしたかな。
長時間の作業で体中がエネルギーを欲しているに違いない。早く持って行ってやらねば。
小走り程度ではあるが。足を少し早めるのだった。