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裏方軍人の戦乱記  作者: 算沙
3/11

第一話 初めての副官(3)

投稿時間が一時間ずつずれてる……。

 カーンカーンカーンと終業を告げる鐘の音が鳴り響く。窓から差し込む光はほのかな赤みを帯び、辺りは夕暮れに染まりつつある。

 もっとも、この鐘を持って家へと帰ることができたのは昔のことだ。時間を問わず常に仕事部屋へ抑留されている今となってはとても懐かしく感じるのだが、こうなってからまだひと月といった所だろうか。


「んーーー」


 背を反らして伸びをするとポキポキと音がする。デスクワークで思いのほか背骨に負担をかけていたようで、筋肉が凝り固まっているように感じる。

 明かりをつけようと火種を持ってくる。この火種を穂口に突っ込み、パイプで空気を送り込めば辺りを照らしてくれる。なにかと夜間の書類作業の多い軍政部の必需品だ。油の質が悪いと匂いがするし、煤の掃除が大変なのが欠点なのだが、ガラスで燃焼部が覆われているから可燃物の多い仕事場では重宝されている。

 周りに燃えやすい物がないか確認する。ついでにバケツに入った水も。

 ここで火事を起こしたら誇張抜きで縛り首になってもおかしくない。なんせ紙という可燃物には事欠かないのだ。軍政部ごと消失したって何ら不思議ではない。無論、仮にも軍務省の重要機関であり、軍隊の土台となる軍政部なのだから防火対策もしっかりと施されてはいる。

 しかし、それでも火事というものは起こり得るものであるし、火種を扱うときには細心の注意を払って払いすぎるということはない。

 ジジッっと無事に明かりが灯る。まだ夕日が部屋を照らしてくれてはいるが、この季節は陽は傾いたら沈むのはあっという間だ。じきに暗くなるだろう。


「テレジア軍政官は灯りの場所分かってるかな?」


 灯りの使い方は分かるだろうけれど、物の場所が分かっていなければ当然ながら役には立たない。そして彼女は初日。場所が分かっていると考えるには少々危ういだろう。

 と言うか副官室の灯りは長い事使われていないはずだ。そもそもつくかどうか、それさえも定かではない。定期的に清掃は行われていたから手入れはされているのかもしれないけれど、つかなかったら新しく貰ってこなければならない。

 コンコン。ノックをする。

 本来なら内であるここから、外である副官の所に行くのに儀礼上ノックは必要ないのだが、何しろ初めてのことだ。気を使ってしまう。

 扉の向こうからドカッ、ドタドタと忙しない音がする。


「はい、何でしょうか?」


 ガチャリと招かれた彼女の背後を見ると、積み上げられた書類は雪崩を起こして机いっぱいに広がり、椅子は倒れて床にはマグカップが転がっていた。よく見ると書類の雪崩の中で灯りも倒れている。

 っ――。

 背筋に冷たい物が走る。

 危ないと頭が思う前に駆け寄り紙から引き離す。それは経験による反射というよりは本能に近い。職業病と言っても良い反応で可燃物から遠ざける。

 自分の行動を理解できたのはこの時だ。ぽかんと目を丸くしていたテレジア軍政官の方も何があったか気が付いたらしい。顔からみるみる血の気が引いていき、大丈夫かと思うぐらいの速さで下げてくる。


「申し訳ありません!」


 とっさのことだろうに乱れというものがない。美しいとさえいえるが、今は干渉している場合ではないだろう。


「いや、灯りの場所は分かるかなと思ったんだけど。その様子じゃわかったみたいで良かった」

「灯りなら棚のわかりやすい場所にしまわれていましたのですぐに分かりました。……危うく火事になるところでした。本当に申し訳ありません」


 触れないでおこうと思ったのだが、再度謝罪をされてしまう。

 しっかりしてそうに見えて意外と抜けているのかな。それともいきなりノックして驚かしちゃったせいだろうか。

 ……なんだろうこの罪悪感。

 灯りを倒したくらいでそんなに強く言うつもりもないのだが……。


「簡単には燃え移らないようにはできているけれど気を付けてね。何年か前に財務省が全焼した時は財務卿の首が飛んだから」

「はい……」


 力なくしょんぼりと項垂れる。確かに火の取り扱いには注意してほしい。ボヤで済めばいいが、軍政部が全焼とかしてしまった暁にはテレジア軍政官どころか僕の首、課長の首まで飛んでしまうだろう。

 けれども何もここまで……って感じだ。


「僕も結構いい加減な人間だし、楽したいひとだからそんなに気を張らなくて良いよ。まったりとやっていこ」

「……失敗した私が言うのはなんですが、このご時世でまったりとはやっていけないと思います」

「……いや、まあそうなんだけどね」


 そう言って背後の書類に視線をやられては何も言えない。

 自分で振った仕事だし。畜生、反乱軍め。


「ですが、ありがとうございますレットー軍政官」

「へ?」

「あなたのおかげで大事にならずに済みました。五課であれば始末書どころではすみません」

「存外に厳しいんだな……」


 倒しただけ……とは軽く言えないかもしれないが、それでも注意不注意関係なくやってしまうことである。


「私自身、新しい部署で気が緩んでいたのかもしれません。悪いところは改めますのでこれからもよろしくお願いします」


 そう力なさげに微笑む彼女はとても儚く見えた。五課は完璧主義とはよく言われるが、彼女もそれに染まっていたのかもしれない。

 完璧を求めるがゆえに些細なミスが許せなくなる。優秀なテレジア軍政官なことだ。こんなミスなんか起こしたことなどここ最近なかったのだろう。それが二課にきたとたんに起こしてしまった。気が抜けてると自省したくなる気持ちも分かる。

 気が抜けてるなんてことないとは思うのではあるが。すべては確率論に収束することだろう。


「ところで査読の方はどこら辺まで終わったかな」


 幾枚か床にも散らばってた書類を拾いつつ問う。


「えっと、これが問題ないと判断した分です。そしてそちらが問題ありと判断した分。あっちに纏めているのは、判断ができなかったものです。後ほどレットー軍政官の所へお持ちしようと思っていました」


 そう言って彼女が示した作業量は新人のそれとは思えない量であった。

 木箱いっぱいの書類はすでに半数近くが消えている。


「へぇ……」


 手にある、彼女が問題ありと判断した書類を一瞥する。

 二、三枚を確認しただけだが決して分かりやすいものばかりではない。中にはエイベルであっても見逃しうるものまで含まれていた。

 これは……使えるな。

 テレジア政務官、有能じゃないか。無論、これだけで判断することなんてできないが……。優秀と聞いていたがここまでとは。

 少なくとも今この時は彼女に対する評価はストップ高。灯りのこと?そんなのマイナス要素にすらなりやしない。何を隠そう、一週間前にも倒してしまった人がここにいるのだ。……反省してます。でもまたやらかすでしょう。


「うん、良くできている。じゃあ残りもお願いしよう。今日中に」

「え、きょ、今日中ですか……?」

「そう。今日中」


 テレジア政務官は信じられないものを見てしまったような顔をする。

 何かおかしなことがあっただろうか?彼女の作業速度からすれば家に帰られる時間には終わるはずだ。

 しかし僕が気が付いていない不安要素があるのかもしれない。環境はなるべくホワイトに。尋ねておいたほうが無難と言うやつだ。


「なにか不安点でもあるのかな」

「いえ……、終わると思います。作業に取り掛かります……」

「そうか。じゃあ頑張って」


 書類をとんとん、と整えるとテレジア政務官に渡す。

 ありがとうございます。と受け取った彼女は、椅子を起こすと崩れた書類の山をかき分け、無理やり作業スペースを作って査読を再開する。


「僕はこれから食堂に行って部屋で食べられるものを調達してくるけど、テレジア政務官、君はどうする?何か一緒に持ってきてあげようか」

「そんな。レット―軍政官がなさることではありません。ここは副官である私が……」


 ガタっと立つテレジア政務官。今座ったばっかりなのに立たせてなんだか申し訳ない。

 急に立ったり座ったりするのは膝や腰に悪いのだ。

 お爺ちゃんが言っていた。

 腰痛に悩まされる先達の言うことは、ある意味黄金よりも価値がある。

 手をひらひらさせながらテレジア政務官を制止する。


「いや、ついでにやっておきたいこともあるし。テレジア政務官は作業を続けて良いから。あ、何か食べられない物とかある?」

「いえ、ないですけど……」

「じゃ、何でもいいかな?」

「はい。何でも大丈夫です」


 何でもいいと言われると、誰も手を付けることのない裏メニュー。激マズで有名な携行式戦場食、バンディでも持ってきてやろうかと意地悪い考えが頭をよぎる。が、圧倒的な理性と常識を持ってこれを制圧。

 何でもいいと言ってもバンディを求めているわけでないのは当たり前。

 こんなつまんない悪戯心で関係を悪くはしたくない。

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