第一話 初めての副官(1)
初投稿です。よろしくお願いします。
「はあ……。誰だこの提案をしたやつは。馬鹿じゃないのか、手間のこと考えてないだろ絶対」
そうぼやきつつ書類の山を漁る。全くこんな奴らが上のほうにいるから反乱軍なんて物が生まれるんじゃないか?
そう叫びたくもなるが、立場上それは流石に憚られる。
帝国軍務省軍政部第二課三等軍政官。それが僕、エイベルの立場である。
帝国の中枢は能力主義と謳いながらも、その実。建国当初の国策も衰え。今では派閥とコネクションと建前が複雑に絡み合った実にカオスな人事体系が構築されている。
いまだに二十歳の僕が三等軍政官なんてやっているのもコネもコネ。
父親、祖父から絡むコネクションのおかげなのだ。
派閥なんて面倒臭く、煩わしい物だと思っていても地方軍を率いる派閥の嫡男として生まれたからには受け入れるほかない。
無論、面倒だからと言って適当に仕事をやるつもりはないのだが。
国のため皇帝陛下のためとかいうつもりはない。……建前は別として。自分が適当にやればこの国は瓦解する――なんてことは流石に無いが、有害であることには違いないだろう。
なんだかんだで母国だ。多少なりとも役に立てるよう励むのは間違いではないだろう。
叩き上げの軍政官もいる中で常に励みながら事に当たる。
派閥とコネクションに支配されていようとも、軍務省に無能は存在しない。
唯一居るとすれば僕なのかもしれないが、左遷や配置転換などされていないところを見ると、そこそこには使えるという事なのであろう。
「あー、第二十七号軍令の解釈ってどこまでやっていいんだ?拡大解釈し始めたらきりがない……」
そして無能認定をされないように今日もせっせと書類作業に勤しむ。
それなりにこの部屋にも愛着が生まれてきているのだ。怠けてこの部屋から出ていかなくてはならない事態など極力避けたいではないか。
ぽかぽかと徐々に暖かくなる陽の光が眠りに誘おうとも。それに逆らう精神力は多大なものではあるものの、眠ってしまったら書類の山に殺される。
それに祖父の希望もある。爺様の希望に応えたいというのも、孫として当たり前のことだろう。
自分でいうのもなんだが僕はお爺ちゃんっ子だ。
別に強制されているわけじゃない。喜ばせてあげたいと思う孫心。爺様は余計なことは考えんでいいと言ってくるかもしれないが。
そしてそんなことを考えている矢先。コンコンとノックがなされる。
こんな時間に来客とは珍しい。報告書ならさっき持ってきてくれたけれど、添付漏れでもあったのかだろうか。
どうぞ、と許可を出せば、ガチャリと扉が開かれる。
後から思えばそれは――いつもよりも固く乾いた音であった……気がする。
先ほどのノックは第二課のドンであるセシル第二課長からの呼び出しであった。
嫌々ながらも課長室に伺うとそこには、課長の他に長い銀髪を持つ、可憐な少女がいた。
「異動ですか?」
「ああ、そうだ。本日付で第五課より異動してきたテレジア四等軍政官だ。面倒を見てやってくれ」
「ルース・テレジアです。よろしくお願いします」
少女はそう言って丁寧なようで初々しく頭を下げてくる。
勝気な目とは裏腹に物腰の柔らかな声音。きちっとした装いに身を固め、その動作には歪みという物が見受けられない。
それだけ見れば明らかに良いところのお嬢さんが軍装を纏ったように見えるだけなのだろうが、右手にできているペンだこは確かに彼女が軍政官であることを物語っている。
ペンだこと腰痛は軍政官の職業病なのだ。
しかし、よろしくと言われてもどうしていいか困ってしまう。こっちだって職歴三年目のペーペーなのだ。
全くの新人でもないし一通りのことは出来はするが、後輩の面倒を見るのは少々荷が勝ちすぎているように思えるのだが。
それを読み取った課長はにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「不安なのはわかるが貴様には副官がおらんだろう。彼女を付けてやる。どうだ、悪い話ではないだろう?」
「い、いや。それは」
「それに彼女は優秀らしいぞ?第五課の課長は彼女を手放すのを渋ったぐらいだ」
「しかし」
「軍令だ」
「……」
卑怯な。第一、三年目のペーペーに副官という口実で指導を押し付けるのが間違っている。それをやるのは五年目以降の奴がするのが慣例ではないか。そんな文句が口を出かかる。
しかして慣例は慣例。明文化された規則ではない。しろと言われたなら組織人としてやらねばならない。
それに軍令と言われたからにはノーというのは許されないのである。
この腹黒が、と課長を見ると、薄い笑みを崩さずにこちらを悪戯っ子のような目で射抜いてくる。
慣例破りの常習犯。とっくに分かっていたことではないか。
これまでも何度かそれは良くも悪くも経験してきた。恨むなら課長ではなく脇の甘かった自分を恨まねばならない。
まあ、事前に分かっていたとしてもどうやって回避しろっていう話ではあるのではあるのだが。
ちらりとテレジア軍政官を見る。
ピシッと直立するその姿は文官たる政務官ではなく、武官のそれに近い。
桜色に色づく唇を一文字に結び、彼女もまた、こちらを真っすぐに視線を向けてくる。可憐ながらも凛々しさを併せ持つその姿は見惚れるほど美しかった。
訂正しよう。見惚れるほどという言葉を。
事実として見惚れてしまった。
数瞬のことではあるが確かに思考を放棄していた空白の時間帯が存在する。
むしろ数瞬で我に返らせてくれた己の精神力に心からの賛辞を送りつつ、課長へと再び向き合う。そして黙考しつつ返答を探していく。
もっとも返事の主旨は既に決まっているのだが。嫌がらせのようなものである。
我ながら子供じみている。
言葉のどうでもいい場所まで、一言一句を検討し、たっぷりと時間を使って白旗を兼ねた了承の言を紡ぎだす。
それは時間をかけた割に簡潔だった。それしか思いつかなかった。
「……辞令、拝領いたしました」
「よろしい。話は以上だ、彼女を連れてさっさと仕事に戻れ」
「はっ。失礼します」
話は終わりだと、薄い笑みを浮かべる課長。こう、何とも言えないがとにかく腹が立つ。
課長は既に手元の書類に視線を落としている。
そして、その顔もわずか数秒前とは打って変わって、真面目な仕事人の顔だ。
テレジア軍政官を先に部屋から退出させ、自分も出る。
扉を引いて閉めようとする時、課長が声をかけてくる。
その声は一段低く感じられた。
「エイベル……、西部からの移動はどれだけかかりそうだ?」
「……西部からですか。早くてひと月といった所ですね」
「そうか……。分かった」
その主語はすぐに思いつかく。あれのことを指しているのだろう。
こちらも最善は尽くしているが、それでも時間はまだまだかかる。期待している言葉を送れずに気まずい空気が場を満たす。
それはいつまでも続くものではない。
「それでは」
扉を閉める際に見えた課長はさっきと変わらず書類を読んでいた。
――だが、さっきよりもひどく真面目で。
その表情には影が差しているように見えた。