有紀-6
純君を家に連れ帰ると、お母さんは驚いていた。
だけど、純君の顔を見たら何も言えなかったようだ。
「あらあら……二人とも随分虫に刺されてるのね、痒そうだわ。お風呂で綺麗にしてらっしゃい、その後薬付けてあげるから」
ようやく口を開いたお母さんは笑顔で純君を招き入れた。
私は純君の背中を押して脱衣所に向かう。
「ゆっくり入っていいよ。ム●用意しとくから」
純君はなかなか脱衣所に入ろうとしない。
知らない家の中で不安なのかもしれない。
その不安を和らげるには……。
少々恥ずかしいが仕方ない。
「純君、一緒に入ろうか? 私も汗だくで気持ち悪いし」
さすがにお母さんも目を丸くする。
「うん!」
純君は笑顔で私を見上げた。
いやぁ、無邪気な笑顔っていいわぁ……。
心の中がほんわかする。
どうしても頬が緩んでしまう。
「じゃ、先に身体洗ってな。私は着替え持ってくるから」
純君が笑顔で頷いて脱衣所に入ったので、私は脱衣所の扉を閉めた。
「沼田さんのところで子供服借りてくるわね。あんたはあの子の親御さんに連絡しときなさい」
「うん」
お母さんは頭の回転が速くて助かる。
一人っ子の私の家に男の子の……それも子供の服なんて物はないのだ。
私は自分の部屋に入りバッグから携帯を取り出した。
携帯の電話帳に登録されたマスターの携帯番号を呼び出して通話ボタンを押す。
一回、二回、三回……。
五回目のコールの後呼び出し音が途切れた。
『もしもし?!』
「あ、マスター? 私、有紀です」
『ゴメン、純が見つからないんだ。急ぎじゃないなら明日に……』
「見つけたよ、純君」
電話の向こうから乱れた呼吸が聞こえる。
純君を探して走り回ってたんだろう。
『え……?』
「純君は見つけた。今うちでお風呂に入ってる」
『じゃ、今から迎えに……』
「来ないで。純君が帰りたがってないから今日はうちに泊める。その間にマスターは頭冷やしな」
『ゆ……』
「最近の自分の言動、今日純君が会った女の人が何を言ったのか、純君がどうして家に帰りたくないって言ってるのか。時間は充分あるでしょ? ゆっくり考えなよ。純君は責任を持って預かるから」
私はマスターの返事も聞かずに電話を切った。
「さて、と。服、服!」
私は携帯をパソコンデスクの上に置き、エアコンのスイッチを入れ、着替えを用意して浴室に向かった。
服を脱いでバスタオルを巻いて入るかどうか少々悩んで……結局何も纏わずに風呂場の曇りガラスの折りたたみ扉を開けた。
純君は一人で目を強く瞑って俯き、必死に頭を引っ掻くように洗っていた。
「純君はいつも一人でお風呂入ってるの?」
夜十時には眠っているだろう純君。
朝一緒に入っているのか、夜一人で入ってるのか私には分からない。
「うん、パパ忙しいから」
父子家庭で純君は我慢する子に育ったのだろう。
私は純君の後ろに立つと短い純君の髪に手を伸ばした。
「たまには洗ってもらうのもいいんじゃない?」
指の腹で優しく地肌をマッサージするように洗うと純君の手が頭から離れる。
「気持ちいい……」
鏡越しに見える純君の顔はちょっと恥ずかしそうで……でも嬉しそうに、はにかんだ笑顔を浮かべていた。
こんなことで喜べる純君が可愛いと思った。
「有紀、洋服ここに置いとくからね?」
扉の向こうに浮かんだシルエットはお母さん。
「うん、ありがとぉ。純君、今日は一人で寝る? それとも私の部屋で寝る?」
「有紀ちゃんの部屋!」
「OKOK、汚いけど驚かないでよ?」
「うん、大丈夫。汚いのは慣れてるから」
私が固まると、扉の向こうからクスクスと笑う声が聞こえた。
お母さんはまだ脱衣所にいたらしい。
「二人ともお風呂から出たら、先ずリビングに来なさいよ? ム●用意しとくから」
「「はぁい」」
緊張が解れたらしい純君を見て私は安堵の息を漏らした。
お風呂を出た私達は、冷房の効いたリビングで寛いだ。
リビングには仕事から帰って来たスーツ姿のお父さんも居た。
お母さんに痒み止めの薬を塗ってもらった純君は、ジュースを飲みながら私の両親と話をした。
純君は泣きそうになりながら、家を飛び出した理由を両親に語り、私の腕にしがみ付いた。
当然、両親も帰れとは言えず、困惑の色を浮かべる。
少し考えていた両親が、合図のように顔を合わせると小さく頷き、純君に気が済むまで居ればいいと言った。
やがて、安心したのか純君が目を擦り欠伸を始めた。
「あらあら、眠くなっちゃったわね」
お母さんは純君を見て優しく微笑んだ。
「純君、お部屋行こうか? 一緒に寝るんでしょ?」
「うん!」
私は純君と手を繋いで二階の自分の部屋に向かった。
着替えを取りに来た時に冷房を入れておいたので部屋の中は快適空間だ。
「ここ、有紀ちゃんの部屋?」
「うん、汚いでしょ?」
「ううん、僕んちの方が汚い」
私は当然、マスター達の家に入ったことはない。
だから純君の言う “汚い” が、どのレベルなのか知るはずもない。
私の部屋は小物が多くて、汚いというよりもごちゃごちゃしている。
片付けはそれなりにやっているが、なかなかこのごちゃごちゃ感は消えない。
小物を減らさなきゃ片付かないんだろうなぁ……。
「有紀ちゃん、一緒に寝よ?」
私のベッドに潜り込んだ純君は、恥ずかしいのか少々顔を赤らめている。
「うん、寝ようね」
私はベッド脇のスタンドの明かりを点けて部屋の電気を消した。
「パパ以外の人と一緒に寝るの初めてだ」
「ほんと?」
「うん」
「嫌?」
「ううん、何か嬉しい」
そう言ってもらえると私も嬉しい……。
「有紀ちゃん、僕……ここに居てもいいの?」
「うん、好きなだけ居ていいってうちのお母さんも言ってたでしょ?」
「うん」
「帰りたくなったら教えてね、送っていくから」
純君は返事をしなかった。
顔を覗き込むと何だか困ったような表情をしているので、私は純君の頭を撫でた。
「好きなだけ居ればいいんだよ。深く考えなくていいの、帰りたいって思わなかったらずっと居てもいいって事なんだからさ」
実際はそうもいかないって分かってる。
けど、今の純君を刺激するような言葉は避けたかった。
いくらマスターが心配してると言っても今の状態では無駄だし、下手したらこの家を出て行ってしまうかもしれない。
この家に居るからマスターだって安心してられるんだし、預かった以上責任がある。
「僕、パパ好きなんだ」
「うん、知ってる」
「有紀ちゃんは?」
「ん?」
「パパ好き?」
……これをどう答えろって?
子供相手だからってあんまり変な事は言えないだろう。
さて、どうしたもんか……。
「有紀ちゃん、パパ嫌い?」
そんな切なそうな眼で見ないで……。
言っていいなら言ってしまいたいけど、今言ったらやっぱりマズイよなぁ。
「そんなわけないでしょ? 嫌いだったら一緒に働きたくないもん」
「じゃ、好き……?」
「そうだねぇ……あ、髭がなかったら好きかも」
「そうなんだ……」
大きく欠伸をした純君は安心したように目を閉じ、やがて規則正しい寝息が聞こえてきた。
暫くその寝顔を見ていたが、両親も色々と聞きたい事があるだろうと思い、私は階下の両親の許に戻った。
「純君は寝たの?」
二人並んでテレビを見ていたらしい両親は私が扉を開けると同時に振り返った。
「うん、疲れてたみたい」
「親御さんに連絡したのか?」
「うん、迎えに来るって言われたけど来るなって言っといた」
お父さんもさすがに困惑気味だ。
何か言いたい事でもあるのか妙に落ち着きがない。
お母さんの腕を肘で突いて何かを促している。
「どうしたの? トイレなら行けば?」
私はあまりにも落ち着きのないお父さんに声を掛けた。
「有紀、お前……あの子の父親とは、その……どういった関係なんだ?」
「は?」
「あの子の父親とどういう関係なんだ?」
どうやら父はマスターと私の関係を疑っているらしい。
純君の口から父子家庭であることは語られているし、こうやって純君を預かっている訳だし、疑われるのも分からんでもない。
しかし、答えは至ってシンプル。
これ以外に言いようもない。
「雇用関係」
「は?」
予測していなかったのかお父さんが間の抜けたような声を出した。
「純君は私がバイトしてる喫茶店のマスターの息子さんだよ。今、小学校って夏休みでしょ? 毎日一緒にご飯とかおやつ食べてるから仲良しなんだ」
お父さんが大きく息を吐き出した。
何を勘違いしてたんだか……。
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