夢-7
気が付けば九月。
校内、特に三年のフロアはピリピリしている。
異様に試験の回数も増え、学校に行くのが嫌になってしまう今日この頃。
でも、私は今日も懲りずにハッチを追い回している。
「ハッチ♪」
「何でしょう、永田 夢さん?」
「好き」
「またですか……受験生なら受験生らしく質問にいらっしゃったらどうなんですか?」
「何、先生みたいな事言ってんの?」
「先生ですから」
確かに。
ハッチを教師として意識していなかったから時々忘れちゃうんだよね。
「大学に進学なさるなら本業である勉強をきちんとなさった方がいいですよ」
「なさってますよ」
「そこは “しています” と答えましょうね、永田 夢さん」
今日も日本語がおかしいと訂正を入れられてしまった。
でも、それを狙って鸚鵡返ししてるって気付いてないんだろうな。
「勉強ばっかりじゃ頭がおかしくなっちゃうからこうしてハッチに会いに来るんだよ」
「僕を見ても英単語は頭に入りませんよ」
どうしても勉強に話を持って行きたいらしい。
「ハッチに会ってる間は勉強を忘れるのっ」
「そうですか」
「ハッチ」
「はい」
「好き、大好き。結婚前提に付き合って下さい」
「その一途さを勉強に向けて下さい」
また振られた……。
「気晴らしも結構ですが、七十点ではまだまだ補習が続きますよ」
そんな……点数を廊下で言わないで欲しい。
「そう言えば、三井先生とお約束をしたんですよ」
「何の?」
「永田 夢さんが合格点である八十五点をクリアしたら補習を代わる、と」
三井先生こと、ミッチは英語の先生だ。
私のクラスの担当ではないんだけど、補習ではミッチのクラスに回されてしまった私。
先生方もあの手この手と考えているようだ。
絶対に先生達の陰謀だと思ったけど、私の成績を上げるためにハッチから引き離したのか……。
先生達め、私のコントロール方法を知り過ぎだぞっ?!
ハッチじゃない分勉強に集中できるんだけど、ハッチじゃない分やる気も半減。
合格点に達したらハッチに代わるなんて聞いたら頑張っちゃうに決まってるじゃないか!
「本当?! クリアしたらハッチが手取り足取り腰取り教えてくれるの?!」
「普通にお教えします。手も足も腰も取りませんし、集団受講であって個人指導ではございませんから」
そんなきっぱり言わなくても……。
「ハッチと一緒に居られるなら死ぬ気で頑張るからっ」
「はい、頑張って下さい。その死ぬ気を遠くから見物させて頂きますよ」
「いやぁん、近くで見ててよぉ」
「近くに居ると身の危険を感じますので」
確かに。
涎垂らしながら舐めるように見てしまうだろう。
視線だけでもハッチを襲っているわけだし。
「こんなところで遊んでないで、教科書や参考書と仲良くして下しね」
「ハッチ」
「はい」
「愛してます、結婚して下さい」
「すみません、無理です」
ハッチはいつものように私の告白を流して背を向けた。
「ハッチ」
「はい」
「今ので五千回達成」
「それはそれは。凄い執念ですね」
「お祝いちょーだい?」
「お祝いですか……生憎、何も持ってないんです」
「ハッチの唇があれば充分」
ハッチは自分の身体を触って何かないか探し始める。
そんなにキスが嫌なのか……。
「あ、お守りを差し上げます」
ハッチは胸のポケットからシャーペンを取り出して私の掌に乗せた。
「英語が少しでも出来るようになるといいですね」
ハッチは優しい眼で微笑んで階段を下りて行ってしまった。
「何ニヤけてんのよ?」
放課後補習に向かうために動き出したクラスメイト達。
私はニヤニヤしながら自分の席に留まっていた。
席替えで私の斜め前になった望は顔を引き攣らせながら私を眺めている。
「ふっふっふっ。ハッチからプレゼント貰ったのぉ」
「略奪したの間違いじゃないの?」
「五千回突破記念に何か頂戴って言ったらコレくれた」
シャーペンを見せると、望はそれを持って鑑定士のように凝視した。
「これ、結構な代物よ?」
「え?」
「イニシャルも入ってるし、何かのお祝いに貰った物なんじゃない?」
「……かなぁ?」
望の言葉で私は一気に落ち込む。
確かに私が何か頂戴と言ったわけだし、望が言うように略奪に近いものがある。
「入試が終わったら返そっかな」
「その方がいいかもね。お守りだって一年で奉納するんだし」
望の言葉に私は頷いた。
ごめんね、ハッチ。
入試まで貸して?
終わったら返すから。
合格でも不合格でも返すから。
私はそれをハンカチに包んでポケットに突っ込み、補習の行われる隣の教室へと向かった。
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次回更新は今週にもう一回……の予定です。
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