夢-5
「っの、馬鹿っ!」
「馬鹿で悪かったね、馬鹿でっ」
「小学生からやり直して来なさい!」
「小学生は英語なんかできませ〜ん」
「今は小学校でもやるのよ、あんたはそのレベルがちょうどいいんじゃない?!」
自習の教室内に望の怒鳴り声が響き渡る。
クラスメイト達も日々塾に補習にと勉強尽くしのため教科書を開いてもいない。
短い休憩時間みたいなものだ。
この学校は何度も言うけど進学校。
通常授業の後に補習という名の授業が二時間。
土曜日だって三年生は補習という名の授業が三時間あるし、試験結果が出ると、そのテストで最も点数が低かった教科の補習を受けなければならない。
今更ながらとんでもない高校に入ってしまったと後悔してしまう。
私の性格を熟知している中学の先生方に上手く乗せられてしまったのだと気が付いたのも高校に入ってからだったっけ。
「次、( )there before, Mary knew what to see.括弧には何が入る?」
「Being、Be、Been、何これ? はびんぐびーんって読むの?」
「これくらい読めてよ……で? 何が入る?」
「Be」
「ブー」
望の持っているノートが私の後頭部で軽くいい音を響かせる。
「いい音。中身入ってないといい音がするのね」
「入ってるってば」
「英語以外ね」
「う〜っ」
言い返せないのが辛い。
私はずいぶん前から望に英語を教えて貰っている。
お馬鹿な私に教えてくれる人なんてそうそういない。
ハッチにはさすがに訊けなかった。
恥ずかしいという気持ちもあるけど、中学の英語さえも分からない私を見られるのが嫌だったというのもある。
まぁ、散々な私の答案用紙を見ればそんな事言わなくても分かっちゃうんだろうけど。
「じゃBeing?」
「ブー」
再び後頭部にノートが。
「Been?」
「ブーっ! 消去法で最後まで正解がないってどういう事よ?」
「だって分かんないんだもん……」
「正解はHaving been、で訳すとどうなる?」
わけが分からないけど、取り敢えず単語を並べてみるか……。
「えっと、beforeは前でしょ、thereって何? あそこだっけ? マリー、知ってる……What to seeは、何を見る?」
「日本語にして」
「あそこは前に行ったからマリーは何を見るか知っている」
「その日本語おかしいから。ってか、マリーじゃなくてメアリーだし」
人の名前さえ読めない自分が情けない。
ってかMaryってマリー誤読しても仕方ないじゃん。
誤読されたくなきゃMearyって書けばいいんじゃない?
こんな低レベルの特別授業をやってるところなんて見られたくない。
絶対に見せるわけにはいかない。
ハッチが好きだから、ハッチの担当する教科を何とかしたいと自分なりに頑張っている。
でもって、約二年間望は私専属の英語教師をやってたりする。
望に見捨てられてたら私の大学合格も夢と消え、この学校には大学進学しなかった生徒が出てしまって、私の名は汚点として未来永劫語り継がれてしまうんだろう。
「以前そこへ行った事があったため、メアリーは何を見ればいいのかを知っていた」
「そうそう、そう言いたかったの」
望が大きな溜め息を漏らしながら私の隣に腰を下ろす。
「でも……ま、進歩よね」
「でしょ?」
「単語の意味を随分覚えたから、多少はそれらしい訳が出来るようになったもんね」
「睡眠学習の賜物」
「は?」
「寝る時は枕の下に英和辞書敷いて寝てるから」
ふっふっふ。
最初からそうしとけばよかったとか思ってたりするんだけどね。
「家で勉強してないの?」
「してるよ。それなりに」
各教科一時間くらいずつ。
勿論、英語は二時間分からないなりにやっている。
おかげで就寝時間は日付の変わった深夜。
これくらい受験生なら当然なのか?
「睡眠学習なんて当てにならないよ、起きてる間にやった事を脳がちゃんと記憶してるの」
「それでも、こんなに英単語を覚えた私って凄くない?」
「当然の事なんだけど?」
「うっ……」
当然の事が出来ていなかった私って……。
「夢が本気になればこのくらい覚えられるのよ、単なる食わず嫌いなんだから」
「食べ物じゃないもん」
「分かってるわよ」
少しでもハッチに追い付きたい。
ただそれだけなんだけど、それでも勉強しようと思えたから頑張った。
ハッチの好きなものを少しでも好きになりたいから……。
チャイムが鳴れば私達も休憩時間。
私は勉強道具をそのままに教室を飛び出す。
「帰りにお茶買ってきて」
「はぁい!」
私が向かう先は勿論、ハッチのところ。
一時間目の授業だった二年四組から一番近い階段を駆け上がるとハッチを発見。
でも、廊下に居るハッチはお話し中。
二年生の質問に答えてるみたいだ。
私は邪魔をしないように階段の途中で足を止めてハッチの声だけを聞く。
「ですから、この場合はonではなくofになるんですよ、分かりましたか?」
「はい、ありがとうございました」
「いいえ、他にご質問は?」
「大丈夫です」
「そうですか。では、失礼します」
ハッチの声を聞いて私は階段を上る。
「ハッチ」
「また出ましたね、永田 夢さん」
「出ましたよ、林田 俊哉さん」
ハッチは皆に向けるのと同じ笑顔を私に向ける。
「どうなさいました?」
「好き」
「はいはい」
「結婚して?」
「僕の意思は無視ですか?」
「無視したくないから訊いてるの」
「でしたら、すみませんと言わせて頂きます」
再び二回撃沈。
「ハッチ。いい加減分かってよ、もう四千回超えてんだからさぁ……」
「それはそれは。お祝いに先ほど使ったプリントを差し上げましょう」
ハッチは二年生の授業で使ったプリントを私に差し出す。
おとなしく受け取ってしまうのは、やっぱり惚れた弱みなのかもしれない。
「これ全部合ってたらデートして?」
「それは無理というものです」
「じゃ、一緒にお茶して。学食で」
「その程度ならばお付き合いしましょう」
「本当?!」
「はい、学食でお茶ですよね」
私はプリントを握りしめて教室にダッシュした。
「夢、お茶は?」
「あ……」
望に頼まれていたお茶はすっかり頭から抜け落ちていた。
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次回更新……今週中にもう1回、の予定。
予定は未定ですが。




