3-2.心境の変化
鍛錬と朝食を終えたクリフは詰所へと向かった。出発日の前日に来るようにとハーロックに言われていたからだ。レイに聞いたところ、同じタイミングで呼び出されて壮行会を行ったらしい。竜狩り昇格試験に挑む戦士たちも呼ばれているので、以前と同じように壮行会でもするのだろう。
詰所に着いたクリフは、中に入って受付へと向かう。受付の横には中年戦士のガリックがいた。ガリックは受付の女性職員と会話をしていたが、クリフに気付いて顔を向ける。
「よう、未来の竜狩り。お前が最後だぞ」
「最後って何がだ?」
「明日の試験に出発するメンバーのだよ。他の奴らはもう来てるぞ」
「……早いんだな」
告げられた時刻まであと三十分程の余裕がある。これでもいつもより早く来たのだが、他の受験メンバーは予想以上だった。やはり昇格試験に挑むだけあって、他の戦士たちとは一味違う。
「ほら来いよ。案内してやる」
ガリックが受付の職員に一言言って奥の扉に向かう。クリフは慌ててついて行った。
「何であんたが案内するんだ?」
「俺が試験に引率責任者だからだよ。これも仕事のうちさ」
「あんたが?」
ガリックは普段から酒ばかり飲んで任務にあまり行かない。その姿を見ているだけあって、引率責任者が務まるのかとクリフは疑心を抱いた。
「おう。ちゃんと王都まで連れて行ってやるからな。こう見えて昔はすげぇ活躍してたんだぜ」
腕を曲げて二の腕の力瘤を見せてくるが、それはクリフよりも小さい。あまり凄みを感じなかった。
つつがなく壮行会を終えると、クリフは詰所から出た。迷いなく外に出たが、クリフは目的地を決めずに散歩することにした。要するに、やることがなかったのだ。
朝は鍛錬をしていたが、これ以上する気はない。鍛錬をし過ぎれば疲労が抜けずに昇格試験に影響が出るかもしれないからだ。軟な鍛え方をしてないが、万が一のことを考えて今日はもう鍛錬をしないことに決めていた。
ならば他にすることと言えば何か。明日の準備も終えているため買い物は必要ない。装備の点検も昨日までに終わっている。つまり、全くやることがないのだ。
だからその辺を散歩して、時間を潰そうと考えた。街行く人々の間を縫うように歩き、のんびりと散歩をする。クリフは久々に、完全に無駄な時間ともいえる時を過ごしていた。ロロやケイト、ルイスと一緒に街を歩くことはあるが、一人でぶらつくのは久しぶりであった。
クリフは気楽に過ごすことを楽しみながら、ぶらぶらと町を散策する。目的が無いまま歩いているので、あっちに行ったりこっちに行ったりと無駄な順路で移動してしまう。しかし意外にも苛立つことは無く、むしろ面白く感じていた。心に余裕があるのか。以前ならこんな無意味な行動をしなかったはずだ。
自身の心境の変化に内心驚きながらも不快には感じない。そうして新しい感覚を楽しみながらクリフは歩き続けていた。
ふとクリフは屋台に目を遣る。牛の串焼きを売っている屋台だ。美味そうな匂いがクリフの鼻腔をくすぐる。そういえばロロと初めて会った日、ここの串焼きを買っていた気がする。懐かしい気持ちに駆られ、クリフは屋台に近づいた。
「クリフ、君」
後ろからレイの声が聞こえた。振り返ると予想通りレイがいて、クリフの服を摘まんでいる。「よう」クリフが挨拶をすると、「うん。おはよう」とレイが返す。
「やっと、気づいてくれた……」
ほっとしたような顔だった。察するに、少し前からクリフに声を掛けていたようだ。
「すまん。声に気づかなかった」
「え? あ、えっと……。何も言って、ないよ。手振ったり、服摘まんだだけ」
「……いつからだ?」
「えっと、五分くらい前、かな? ずっと無視されてたから嫌われちゃったと思った……」
「いや、声掛けろよ」
「……ごめんね?」
首を傾げながらレイが謝った。男だと思っているときは何ともなかった仕草が、女性だと知ってしまうと身体が反応してしまう。普通に話す分には問題無いが、こういう挙動をされると顔が熱くなる。ロロ以外では、まだ耐性が不十分ではなかった。
クリフは静かに呼吸をして心を落ち着かせる。そうして少し冷静になってからレイに尋ねた。
「それでどうしたんだ?」
「えっとね、ちょっと教えたいことがあったから……。座る?」
レイが道の端にあるベンチを指差す。「そうだな」と同意し、レイと一緒に座ろうとした。
「ちょっと待ってろ」
クリフは座る前に屋台に向かう。そこで牛の串焼きを二本買ってからベンチに座った。
「ほら。一本やるよ」
クリフがレイに串焼きを差し出す。「え?」レイはきょとんとした。
「……いいの?」
「これくらいでいちいち遠慮すんな。食えよ。もしかして肉苦手だったか?」
「ううん! 大好き!」
なぜか大声でレイが否定する。驚いて串焼きを落としそうになった。
「そ、そうか……。じゃあほら、取れよ」
「あ、うん。……じゃあ」
レイは「いただきます」と言って串焼きに齧り付いた。クリフが持ったままの串焼きに。
予想外の行動に、クリフは目を白黒させた。今の状況は、レイはクリフが差し出した串焼きを受け取らず、口を運んで食べたという有り様だ。傍から見れば、仲の良い男女で、男が女を甘やかしているシチュエーションである。これではまるで……、
「どう、したの。クリフ君?」
そうとは気づかずに肉を噛んで呑みこむレイ。しかしクリフが硬直している様を見て、「あ」と声を出して赤面する。
「あの、その、どの……違う、よ? わざとじゃ、ない、よ」
レイがしどろもどろに弁解する。手をバタバタを動かして慌てる様が、不覚にも可愛らしく感じた。クリフの体温が再び上がる。
「ちょっと、びっくり、してて、で、ちょっと周りが、見えなくて、というか、不覚にも、慌て、ちゃって」
「分かった。分かったから落ち着け」
「その、あの、故意じゃなくて、思わずやっちゃ、て、下心無くて」
「分かってる。分かってるからとりあえず―――」
クリフはレイの顔に軽く頭突きをする。鼻を打ってレイは仰け反ったが、すぐに体勢を戻して鼻を抑える。少し涙目だった。
「冷静になれ。分かってるから、ちゃんと」
「……本当に?」
「当たり前だ。お前は今の関係で満足してんだろ。同い年の友達同士ってやつに」
「うん」
レイはホッと一息吐いた。
「分かってくれてるなら、大丈夫」
「あぁ。だからほら、さっさと受け取れ」
「うん」レイは頷いてクリフから串焼きを受け取る。クリフはやっと一安心して、自分の食事にありついた。
少し時が経って互いに串焼きを食べ終えると、「えっとね」とレイが話を切り出した。
「昇格試験のことなんだけど」
予想していたうちの事であったので、クリフはさほど驚かずに話を聞く。竜狩りのレイがこのタイミングで試験を受けるクリフに話しかける理由と言えば、これくらいだろう。
「明日、出発するんだよね」
「朝九時頃だ。向こうに到着するのは、三日後の昼頃になる予定だ」
「試験は全日程で五日間。合格発表は翌日、だよね」
最近竜狩りになっただけあって、日程は覚えていたようだ。
「そうだな。お前の時と変わってないらしいが、それがどうした?」
レイは少し考え込んでから答える。
「その期間中、町から戦士が、居なくなるでしょ? しかも、竜狩りになる様な、戦士たちが。アーデミーロ付近には黒竜が来たことは無いけど、それがちょっと心配で……」
竜狩り昇格試験の間、試験のために各町から王都へと戦士が向かうので必然と地方の戦士たちが少なくなる。しかも腕利きの戦士たちが居なくなるため、各町の戦力が大きく減少するという問題がある。だが竜狩りを増やすためにも試験は受けさせないといけない。そのために、戦士団はある方針を立てていた。
「それは問題無いだろ。期間中は市外に出る任務が無くなって、町の防衛に専念するようになるし、場所によっては他方の町の竜狩りを呼ぶことになってる。配置が上手くいっていないという話も聞いてない」
アーデミーロの詰所でも数日前まで、見慣れない戦士が増えていたり、顔見知りの戦士が居なくなっていることがあった。だが昨日今日では、そういう慌ただしさも無くなっていた。無事に配置が終わったのだとクリフは考えていた。
「うん。問題無く終わったよ。ここにも竜狩りが一人増えるってことになったから……」
「そうか。確かに今回はうちから試験に受けに行く奴が多かったからな。この町は結構大きいから、竜狩りも必要になるだろうし」
「その、来る竜狩りって言うのが……あのストレイグさんなの」
ストレイグ。知らぬ者はいない程の有名な竜狩りである。現役の竜狩りのなかで、最も多くの竜を狩っている戦士であり、最強の竜狩りと呼ばれている。強く、逞しく、頼もしい戦士であり、多くの戦士が彼を目指している。クリフもその一人だ。
あのストレイグが来るとは……。一目で良いからお目にかかりたい。
「で、その、なんだ。そのストレイグさんが来るってことを、何で教えてくれたんだ?」
「私、ストレイグさんに会ったことがあるんだけど……あの人、私と同じようなことが出来るの」
「同じ事って?」
「竜と、人の、判別」
冷水をかけられたかのように、頭が冷えた。浮かれていた気持ちが一気に落ち着き、事の重大さを認識する。
竜狩りは人と竜を区別できる。そういう話を講師から聞いている。ストレイグもそれが出来るということだ。最強の竜狩りと呼ばれているのだから、出来てもおかしくはない。問題は、それが出来る人がこの街に来るということだ。
「ロロが心配だな……」
レイがこくりと頷く。
「最近ロロちゃんとよく町で会うけど、ストレイグさんがいる間は、大人しくした方が良いと思うの。早ければ、今日来ているって話だから、クリフ君に伝えたんだけど……」
認定試験以降、ロロはレイとよく遊ぶようになった。正体を知っているということもあり、気を置けずに振る舞えるからだろう。レイもそれを楽しんでいた。だがストレイグが来るというのなら、しばらくの間は街に出ない方が良さそうだ。
「ありがとな、レイ」
クリフはベンチから立ち上がった。
「早いうちに聞けて良かったよ。お蔭で対策が打てる」
「ううん。気にしなくていいよ。だって、ほら……友達、だし」
ごにょごにょと恥ずかしそうに言う。クリフは微笑んで、レイに言った。
「そうだな。友達だもんな」
「そう! 友達だから、当然!」
レイは嬉しそうに声を張り上げた。すぐにハッとして、恥ずかしそうにベンチに座る。こうして眺めていると、色々と表情が変わって面白かった。




