1-17.王子様
フェーデルの中央広場が人で埋め尽くされるのは珍しかった。毎週決まった日にモンスターの解体ショーが行われるが、住人たちにとっては見慣れているため、広場の中央の処理場付近にしか人は集まらない。しかも集まる者の半分以上が解体後の肉を購入することが目的のため、純粋な見物人は少ない。
そんな閑静な場所である広場だったが、今では催しを待つかのように興奮気味の人々が集まっていた。
処理場の上には、いつもは解体用の台座が置かれているが今は無い。視線を遮る障害物が無いため、処理場に立った者の姿がどの方角からでも見られるようになっている。広場にさえいれば、これから行われる処刑がどこからでも見物できるというわけだ。
広場の一角で声が上がる。その付近では竜であるロロを入れた檻が運ばれていた。馬車は檻に入った者を衆人に晒すようにゆっくりと進む。企てた者の目論見通り、住人たちからの罵声がロロに浴びせられた。
「このクズが!」「さっさと死ねえ!」「人喰い竜め! 消えちまえ!」
時折石を投げる者も出る始末だったが、檻の中にいるロロは何の反応も見せない。ただひたすら唇を噛み、じっと動かずに堪えていた。
広場の中央に近づくにつれ、興奮した住人たちの声が大きくなる。ロロを乗せた馬車が処理場の横に着いた時には、地面が揺れたと錯覚するほどの音となっていた。
「竜だ! 竜が来たぞ!」「殺せ! 早く殺せ!」
町中の殺気が広場の中央に集まる。殺意に気圧されたのか、処理場の周囲に立って警備をする戦士たちの身体に汗が流れる。安全を考慮してフェーデルの戦士団のなかでも経験豊富な戦士が配置されていたが、あまりの殺意に彼らでも怖気づいてしまうほどだった。
周辺にいる戦士でも恐怖する殺意。果たして処刑される竜はどれほどの圧力を受けるのか。宿敵であるはずの竜に、僅かばかりだが戦士たちは同情した。
住人たちはかつてないほどの興奮に陥っている。熱気は収まらない。時が経つにつれて増すばかり。このままでは混乱が起きることを予期した戦士もいた。
対策を打とうと警備を承った老練の戦士が動こうとしたときだった。
「静まりなさい!」
処理場の上で、竜狩りの戦士エリザベスが声を上げた。甲高い女声が響き、住人たちの耳に届く。
間もなくして、熱狂に包まれていた広場に静寂が訪れた。竜狩りの戦士の力に、戦士たちは只々驚くだけだった。
広場が静まり返ったとき、エリザベスは宣言する。
「今日ここで、黒竜を討ちます。あなたたちを裏切った竜を、殺します。全人類の敵を、処刑します」
静寂な広場でエリザベスの声が響く。
「この竜は浅はかにも、堂々と町に潜入してきました。あなたたちを殺すために、食べるために、己の血肉にするためだけに、身勝手な理由でこの地に訪れました。見つけた時点でこの竜を殺すべきでしたが、私はそうはしなかった。なぜなら、ただ殺すだけでは、同じことを企てる竜が現れるからです。今回は早期発見により被害はゼロでしたが、もしまた侵入された場合、同じように被害が出ないとは限りません」
僅かにだが、広場でざわめきが発生する。しかしエリザベスは再び喋り出すと、ざわめきは収まった。
「故に、竜共に知らしめる必要がある。町に侵入してきた竜がどのような目に遭うのかを、伝えなければならない。この広場で処刑することで、竜に恐怖を与えるのです。そう―――」
エリザベスは声を張り上げた。
「人が竜に怯える時代を終わらせるのです! このときをもって、竜が人に恐怖する時代の幕を上げましょう! あなたたちの力と共に! あなたたちの正義と共に!」
広場から、歓声が沸き上がった。
誰しもが声を上げ、天に向かって拳を突き上げる。熱狂の渦が処理場を中心に発生し、町の意思が一つになった。
竜を殺す。ただそれだけの行為に、人々は狂ったかのように興奮した。
エリザベスは処理場から下りると、檻からロロが出された。ロロの手首には手枷がはめられている。戦士が手枷に繋がれた縄を引いて、ロロを処理場に連れて行く。
ロロが処理場の中央で膝を着かされると、殺意の熱気は最高潮に達した。
「コ・ロ・セ! コ・ロ・セ! コ・ロ・セ!」
町中の殺気がロロに注がれる。ロロの視界に入った人たちは、一人の例外もなく殺意の眼を向けている。
誰にも必要とされてない。お前の味方はいない。お前は世界で一人ぼっちだ―――そんな風に言われている気がして、ロロの胸に悲哀が満ちて、眼から涙が零れた。
視界に誰も入らないように、ロロは顔を下げる。だが耳には絶え間なく人々の怒声が届く。耳を塞ぎたくても、手枷で両手が動かない。ロロはただ、声が鳴り止むのを待つしかない。だが声が止むのはロロが死んでからだと気づき、どうしようもならない感情が溢れてきた。
「言い残すことはあるか?」
ロロの右には、大きな斧を持った戦士がいた。首切り斧と呼ばれる処刑用の道具。大きな片刃の斧を目にしたロロは、恐怖で固く目を閉じた。
死が迫り、もう逃げることができない状況。だけど助けを求める言葉は出なかった。
ピンチの時に助けに来てくれる王子様。淡い恋の物語。そんな御伽噺を夢を見て、ロロは人里に下りた。
人の世界が楽しそうで、人の作ったものが面白そうだった。少しでもいいから触れてみたいと思い、人と一緒に時を過ごしたいと思い、ロロは勇気を出して踏み出した。
もっと楽しみたい。もっと知りたい。もっと触れたい。もっとドキドキしたい。
死んでも死にきれない想いが、ロロの胸に溢れていた。
アーデミーロでクリフに助けられたときは、まさに夢のような気分だった。本当に王子様が来たのかと錯覚したほどで、高揚を抑えきれなかった。
町に来てすぐにこんな素敵なことが起こるなんて。これからも良いことがあるかもしれない。そう期待を抱いていた。
だが次第に、その想いはしぼんでいった。
逃げてはいけない。死を受け入れないといけない。現実世界で縛られた制約が、ロロの夢から覚ました。
「クリフは竜であるお前を町に連れ込んで、人々を危険に晒した。っていう風に戦士団に伝わったら、あいつは戦士でいられなくなる。なんたってこれは、戦士団どころか人々に対する裏切り行為だからな」
牢屋の前で、イアンがロロにそう告げた。恩人であるクリフが迷惑を被るのは、ロロにとっては避けたいことだ。
何とかしてクリフを助けようと思い、イアンに願い出た。
するとイアンはこう答えた。
「そうだな……もしお前が大人しくしてくれたら、あいつはお前が竜であることを見抜いたうえで連れてきて、お前をここで捕まえようとした勇敢な功労者ってことにしてもいいぞ」
ロロは戸惑いつつも、イアンの言う通りに大人しくすることにした。処刑されることが決まったときも、ロロはそれを受け入れた。
逃げてしまったら、ロロを助けてくれたクリフに迷惑をかけてしまうからだ。
クリフに迷惑をかけるくらいなら、ロロは逃げない。クリフの使命を邪魔してしまうなら、ロロが犠牲になればいい。
ロロの身勝手で、ロロ以外に人と仲良くする竜が迷惑になる。恩人の夢を壊してしまう。それはロロが、絶対にしないと決めたことだった。
だからロロは、恐怖に耐え抜くしかなかった。
身体の震えを止めようと、奥歯を強く噛みしめる。ロロが死ねば皆が助かる。そう信じて処刑を待った。
首切り斧を持った戦士が動く気配を察した。斧を持ち上げる空気がロロの肌に伝わり、頭上で斧が止まる。
そのとき―――、
「助けに来たぞ、ロロ」
王子様がやって来た。