1-15.大切なモノ
老婆の名前はミネルバ。夫には先立たれて、今は一人暮らしをしている。生まれてこのかたフェーデルから出たことがなく、ずっとこの村で住んでいるという話だ。
「そうそう。ここを真っ直ぐね」
「はいはい」
クリフはミネルバを背負いながら、行き先を聞いて歩いていた。
ミネルバの頼み事は、クリフに渡すものがあるからそれを取りに来て欲しいというものだった。何故クリフに、何を渡そうとしているのかを問い質したが、「着いたら教えるよ」と答えられ、仕方なくミネルバの家に行くことにした。
途中までは一緒に歩いていたが、ミネルバの足の遅さに見かねて、クリフが背負って行くことにした。
「悪いねぇ。重くないかい」
「全然。楽勝ですよ」
「さすがだねぇ。おっきい身体をしてるだけはあるねぇ」
「それに鍛えてますから。これでも戦士なんでね」
「見ただけで分かるわよぉ。こんなに立派な格好してたら、ねぇ」
裏表の無い賛辞に、クリフは気を良くする。何も考えずに受け取れる言葉は、今のクリフにとっては癒しとなった。
クリフは口角を上げたまま、ミネルバとの話を続ける。
「さすが。長年の経験って言うのは馬鹿にならない。俺……私もミネルバさんみたいに聡明な人になりたいものです」
「あらまぁ、聡明だなんて。そんなたいしたことじゃないよぉ」
「いえいえ。経験は大事です。私も戦士として色んな任務に就きましたが、歴戦の戦士の方々は、皆どこかに見習うべき事柄がありました。それは任務をただこなすだけでは身に付かないものだと、私は思いますよ」
「あらあら、立派な戦士に会えて良かったじゃないか」
「えぇ。ちゃんと努力し、積み重ね続けてきた結果です」
「そうねぇ……続けるってことは、難しいことだからねぇ」
寂しげな声を出したミネルバだったが、すぐに「ほら。あそこだよ」と語気を上げる。
ミネルバの指差した場所には、小さな一軒家があった。どこにでもありそうな、白い壁に囲まれた古い建物。出入口の扉はペンキが所々剥がれており、開けようとすると軋む音がした。中に入ると、キッチンとテーブルと椅子が三脚、奥には別の部屋に通じる扉があった。
家に着くと、ミネルバを背中から降ろした。「ここで待っておくれ」ミネルバは奥の部屋に行き、クリフをその場に残した。どう時間を潰そうかと考えていると、部屋に入ってから二十秒もしないうちに、ミネルバが戻ってきた。
ミネルバの手にはペンダントが握られている。先には歪な形の碧色の鱗のようなものが付いていた。
「これをあの子に渡してほしいんだよ」
「……あの子って?」
「あんたのガールフレンドだよ」
誰の事かわからず、クリフは首を傾げる。
「誰だい? それは」
「門の前で一緒にいた子だよ。きれぇな金髪のかわいい子が」
その見た目に該当するのは、ただ一人だけだった。
「ははっ、あいつは彼女なんかじゃないですよ。言うなら……なんだ?」
ロロとどんな関係と言えばいいのだろう。今更ながら、クリフは頭を抱えた。友達? 同僚? ペット? どれも間違っていて、自信を持っていない。
とりあえずクリフは、ロロと知り合いの関係ということにした。
「ただの顔見知り、ということで」
「……複雑な事情でもあるのかい?」
「……いえ、全然。で、これは何ですか?」
ペンダントの事をミネルバに尋ねると、老婆は壁の方に向かって顎をしゃくる。その方には一枚の絵が飾られている。一組の男女と、その後ろに竜が立っている絵だ。絵に描かれている者たちの素性に、クリフはすぐに勘付いた。
「ミネルバさんと旦那さんと……ファルゲオンですね」
「あぁ。二十年前に描いてもらった絵じゃよ。まだこの町が、ファルゲオンを受け入れていた頃なの」
「じゃあそれは」
ミネルバはゆっくりと頷く。
「ファルゲオンの鱗じゃよ」
胸が締め付けられるような痛みを感じた。さっきまでの穏やかな気持ちが一変し、途端にクリフの表情に陰りが差す。また面倒臭そうな事態になった。
クリフの心境を知らないミネルバは話を続ける。
「私はもう長くないからねぇ。私が死んだあとにこれを見つけられたらすぐに捨てられるから、誰かに受け取って貰いたかったんだよ」
「それをどうしてロロ……俺に連れに?」
「町の人は竜が嫌いだからねぇ。親戚や息子、友人にも預けられないさ。だからどうしようかと考えていたら、あんたの連れを見つけたのよ。ファルゲオンの像を悲しそうな目で見ていたあの子なら、ぞんざいには扱わんと思ったのさ」
期待に満ちたミネルバの眼を裏切れず、クリフは肯定する。
「それは……えぇ、そうでしょうね。あいつなら大事にするでしょう」
「あぁ、やっぱりそうかい。じゃあすまんけど、これを渡してちょうだい」
クリフはミネルバからペンダントを受け取った。近くで見ると磨きたてと思えるほどに綺麗で、碧色に輝いている。
ミネルバはこのペンダントを余程大事にしていたのだろう。簡単なお使いのはずだったが、重要な任務のようなプレッシャーを感じる。落とさないようにポケットに入れ、上から軽く押さえてペンダントがある事を確認した。
「分かりました。ちゃんと渡します」
「えぇ、お願いね」
クリフは家から出ようと扉に向かう。扉に手をかけて開けようとしたが、その直前にある疑問が湧いた。
ミネルバの方に振り返り、そのことを訊ねた。
「なぜあなたは、これを大事にしてたんですか?」
ここは竜に裏切られた町。どの町よりも竜を恨んでいる地だ。町にあったファルゲオンに関するものは、すべて破棄されたという話を聞いたことがある。
だがミネルバは所有し続けた。しかも死後を考えて、大事にする人を探して託そうとするほど大切にしていた。
それほどまでにペンダントを、ファルゲオンから受け取ったものを持ち続けた理由が知りたかった。
「ファルゲオンはフェーデルを襲った。そんな竜のものを大事に持っているだなんて、私には考えられません」
「……そうかい」
クリフの言葉を受けたミネルバは、なぜか優しい笑みを見せた。
「あの子はね、弱いけど優しい子なのよ」
「ファルゲオンが、ですか?」
「えぇ。そんな子が好き好んで町を襲うわけがない。きっと何か理由があったんだと思ってるのよ」
ミネルバは幼い子供をなだめるような穏やかな声を出している。クリフはそれに引き込まれ、つい聞き入っていた。
「だからね、私はあの子を恨んでないのよ。だけどあの子は、町で暴れたことを後悔している、そんな子なんだよ。皆が怒ってるって思ってるのよ。けどね、そうじゃないんだよ。私みたいに分かってる人もいる。それを教えるためにペンダントを持ってたのよ」
ミネルバの言う通りファルゲオンが何らかの事情があって町で暴れたのなら、ミネルバの行動はファルゲオンの気を安らげるだろう。
しかし、事はそう簡単ではない。
「けど町で暴れて被害を出したことに変わりはありません。あなたたちが許してもそれはごく少数で、ほとんどの人はファルゲオンを恨んでいる。そんなことをしても、あなたが立場を悪くするだけです」
周りの町が竜と敵対する中、フェーデルは竜と交流を持った。それはフェーデルの住人にとってとても困難な選択だったが、彼らは竜と親交を深めた。
だがそれを、竜の方から一方的に破壊した。事情があったにせよ、そのことで住人たちは深い傷を負った。その傷はそう易々と癒えるものではない。ファルゲオンが今も存命なら、そのことを理解しているだろう。
にもかかわらず、過去の事を忘れて関係を修復しようとする態度は、他の住人からすれば理解しがたいものだろう。その事がばれたら、当然ミネルバもただでは済まないはずだ。長年フェーデルに住むミネルバが、それが分からない訳がない。
自分の立場を顧みず、人類の敵に手を差し伸べるミネルバ。彼女の真意が分からなかった。
「いいのよ、それくらい」
だがミネルバは、すぐにその答えを口にした。
「私が助けたいと思ったんだ。ちょーっと生きづらくなるくらい、どうってことないさ」
「老い先短いしねぇ」と付け加えるミネルバは、悲愴な顔を見せず、優しい笑みを見せ続けていた。
―――力をつけなさい。大切な人を助けるために。
その顔を見て、クリフは母の言葉を思い出していた。
逞しい父の背中。凛とした母の顔。クリフの頭にいつも浮かんでいたのは、両親のかっこいい姿だった。クリフは両親のようになるために、教えを守り、己を磨き続けた。
だがいつの間にか、クリフは二人の教えを同じものだと思い込んでいた。力をつけて弱き者を助ける。それが二人の教えだと。
両親の言葉を思い出していると、ふと外が騒がしいことに気づいた。ミネルバも「何やら騒がしいねぇ」と気になっている。
クリフは外に出て、それを探ろうとした。住民たちは家から出て、町の中央広場に向かっている。そんな彼らの話し声が、クリフの耳に届いた。
「おい、早く行こうぜ。もうすぐだってよ」
「焦んなよ。まだ時間はあるじゃないか」
「何言ってんだ。広場だと遠くからしか見えねえだろ。けど詰所前にいたら近くで見えるかもしれないぜ」
彼は喜々とした声で言った。
「これから処刑される竜の姿がよ」