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銀髪紫眼の娘の秘密

 リラには生まれたときからどこか他者と違っていた。この瞳の色、そして金に近い銀の髪。この外見のせいで何度も辛い思いをしてきた。今、ここにいるのもこの見た目のせいだ。しかし、さらに厄介だったのは見た目だけではなく、リラの紫の双眼には、この世のものではないものが映るということだった。


 それは死者の魂だったり、人ではないなにかだったり。自分が他者とは違うと気づいたとき、目に見えるものすべてに戸惑い、恐ろしいと感じた。目を潰そうとしたのは、この目が見えなくなればいいと願ったのは一度や二度ではない。


 そんなリラを祖母は懸命に慰め、この力のことを教えてくれたのだ。代々、この紫の瞳を受け継いだ者だけに現れる力だと。


 フィーネの話を聞いているときに、そばに優しそうな老人の姿が見えた。なにかをこちらに必死に訴えかけてくる。すぐにフィーネの祖父だと分かった。


 そして、先ほどの件。なかなかコルネリウスのことを直視できなかったが、ヴィルヘルムのやりとりとの最中に見る事ができた、青年の中に潜む黒い影を。


「なんでも見ることができるわけではありません。意志をもってこちらに働きかけてくる存在ではないと」


「十分だ。奴らは常に憑いた人間を取り込み、自己を主張してくる。祓うとき、必要なのは名前だ。名前はすべてを暴き、すべてを縛る。私は名前どころか、奴らの姿を見ることもできないからな」


 軽い吐息とともに告げられた言葉。ヴィルヘルムが最初にリラの名前を訊いてきたのは、名前の重要さを知っていたから。そして、今までのヴィルヘルムの態度をリラは納得した。こうして自分を客人として城に置いてくれたのも、自分に優しくしてくれたのも、すべてはこの瞳の持つの力のためだったのだ。


 確かめるには、手の内を明かさなければならない。だから回りくどいながらも、こうして確証が得られるまで自分は泳がされていたのだ。


 分かってすっきりするどころか、切られたような鋭い痛みを感じるのはどうしてなのか。リラは自分の感情が一気に沈むのを感じた。それは声にも表れる。


「分かりました、陛下。もしも次に悪魔がっ」


 そこでリラはまったく予想もしなかった展開に目を丸くした。いきなり頬に手を添えられ強引に王の方に向けられたかと認識する間もなく、唇が重ねられる。何度目か、だが、この独特の感触に慣れることはまだない。


「その名を口にするな」


 たっぷりと間があってから唇が離され、至近距離で王の瞳に捕まる。怖いくらい真剣な強い眼差しと厳しい声。闇よりも深い黒、青みがかっているその色がリラの心を放さない。


「陛、下」


 弱々しく呼びかける。しかしそれはなんの抵抗にもならなかった。触れられたところが熱く、心臓が早鐘を打ち出す。


「奴らに惑わされない一番の方法は、その存在を信じない、その名を口にしない、そして思いっきり蔑んでやることだ」


 そう言って、ヴィルヘルムはゆっくりとリラを解放した。


「滑稽だな。実際に対峙する我々は、その名を呼ぶことはしないのに、人々は易々とその名を口にする。そこにつけこむ隙を与えていると言うのに」


「申し訳、ありません」


 知らなかったとはいえ、リラは静かに謝罪の言葉を口にした。自然と王に触れられていた箇所に手が伸びてそこを撫でる。


「謝ることない。こちらこそ驚かせたな」 


 リラは静かにかぶりを振る。


「いいえ。ですが、陛下が私になにを望まれているのかは、よく分かりました」


「と言うと?」


 一拍置いてからの王の問いかけ。それは意地悪い笑みと共に発せられた。おかげでリラは少しだけ言葉を迷う。


「……この瞳で陛下の力になりましょう。なんなりとご命令ください」


 伏し目がちに告げて、長い睫毛が影を作ると、王は再びリラとの距離を詰めた。


「そういう解釈なら半分、不正解だ」


 そう言ってリラの肩に力を入れると、その身はあっさりと後ろのベッドに倒れた。すかさずそこに王が覆い被さる。なんの抵抗もできないまま、リラは自分の見下ろしているヴィルヘルムを見つめることしかできなかった。


「ここに来たとき、お前は生きる気力を失い、死んでもかまわないという目をしていた。孤独と絶望だけをその瞳に映して。冗談じゃない。生きる気力がないなら与えてやる。私のために生きてみろ」


 不敵な笑みをたたえながら紡がれた言葉にリラの瞳孔が散大する。その瞳を見据えて王は満足そうに微笑んだ。そして先ほどとは違い、今度は優しくリラの頬に触れる。


「お前は私のものになったんだ、拒否権はないはずだろ。精々、飼い猫として甘やかされて、時に役に立ってくれればそれでいい。その方がお前のためにも、他の者たちに対してもいいだろう」


 低い声が耳に心地よく、長い指がゆっくりとリラの頬を滑り、輪郭をなぞる。鼓動が速いのは、嫌悪感からではない。こうして触れられるのを受け入れているのは畏怖でも、相手が国王だからでもない。ヴィルヘルムに触れられるのは、嫌ではない。


 一度ヴィルヘルムの指が離れ、改めて二人の視線が交わった。自然と上目遣いに見つめると、ゆっくりと唇が重ねられる。それをリラは瞳を閉じて受け入れた。


 今まで意識することもなかった唇の温もりや感触に胸が痛くなる。名残惜しく二人の距離が離れ、自然とヴィルヘルムの左手がリラの頭を撫でるように髪に触れた。


 その瞬間、リラの体が震えた。電気が走ったような感覚に跳ね上がりそうになる。さっきまでの蕩けそうな感覚から一変して冷水を浴びせられたような緊張感が全身を襲う。


 そんなリラを気にする素振りもなく、ヴィルヘルムはリラの銀髪に指を通した。触れられる手は優しい。口づけもだ。今までは強引に唇を重ねられるだけだったのに、あんなキスをされるなんて。


 そのことに泣きそうになる。ずっと自分はこうして欲しかった。触れて欲しかった。それなのになぜか、不安の波が心の中に渦巻いていく。やめて! お願い、触らないで!


 相反するふたつの気持ちについていけない。黙ったまま唇を噛みしめていると、言葉を発しないリラを不審に思ったのか、王の手がリラから離れた。そして、無意識のうちに、そのことにひどく安堵していることにリラは気づく。どうしてこんな気持ちになるのか分からない。


「嫌だったか?」


「申し訳ありません。けっして、そのようなことは……」


 必死に言葉を紡ぐリラに、王は体を起こして距離をとってやった。


「たしかにお前は私のものだが、嫌なことを無理することはない」


「違うんです、陛下。私は……」


 リラも慌てて身を起こし、否定しようとするが言葉が続かない。そのとき、ノック音が再び部屋に聞こえた。誰か入ってくる気配はないが、その音は叩きつけるように乱暴だ。ドアに視線をやって、王はため息をつく。


「どうやら時間らしいな」


 軽く身なりを整えて、部屋を出て行こうとするヴィルヘルムにリラはどうすればいいのか分からなかった。そんなリラの頭に掌が乗せられる。


「戯れが過ぎたな。ずっと手酷い扱いを受けていたのだから、無理もない。でも、ここではそんなことはないから安心しろ」


 そして、「また来る」とだけ短く告げ、王の姿はリラの視界から完全に消えた。耳鳴りがしそうな静寂が再び舞い戻る。


 (はや)る胸を落ち着かせようとリラは必死だった。何度も息を繰り返し、過呼吸を起こしそうになる。そして軽く頭を振った。


 この気持ちの正体はなんなのか。ヴィルヘルムはどういうつもりだったのか。戯れ、と彼は言った。自分のことを飼い猫だとも。だから王が自分に触れることはなんでもないことなのだ。あの口づけさえも。


 リラは自分の顔を手で覆って、長くゆっくりと息を吐いた。まだ心臓は煩い。王がどういうつもりなのかということは、考えるだけ無駄だ。そもそも自分だってヴィルヘルムのことをどう思っているのか。


 それでも、自分のことを恐れたり、忌み嫌ったりせずに接してもらえるのは純粋に嬉しい。どんな思惑があれ、優しくしてくれることも。さらには、この瞳のことを肯定してもらえるなんて初めてだ。


『私のために生きてみろ』


 祖母が亡くなって、ずっと言い知れない孤独感を背負っていたリラの中に少しだけ光が差す。ずっと、とは言わない。けれど、王に助けられたこの命だ。しばらくは恩返しの意味も込めて、ヴィルヘルムの役に立とう。そして、できればもう少しだけここに、彼のそばにいたい。そう願いながら、リラは自分の唇にそっと触れたのだった。 


 ヴィルヘルムが部屋の外に出ると、そこには男たち二人が対照的な顔をしていた。不機嫌そうなクルトとどこか楽しそうなエルマーだ。先に彼が口を開く。


「随分、長い滞在でしたけど、話は十分にできました?」


「確証は得られた。当初の予定通り、しばらく彼女をここに置く」


「ならば、条件があります」


 含みのあるエルマーの質問を無視すると、すかさず言葉を投げかけてきたのはクルトだ。その表情は幼い子どもが見たら泣き出しそうな迫力がある。元々の造りのせいもあるが。


「条件?」


「後宮に足を運んでいただくか、それなりに花嫁を探す素振りを見せてください」


 またその話か、と口に出さなくても王の表情から簡単に読み取れる。しかしクルトもそんなものは百も承知で続けた。


「彼女のことを一応は口止めしておきます。けれど、そんなのが守られることなく、面白おかしく言う存在も出てきます。いえ、すでにいるでしょう。それは邪推を呼び、あなたへの評価にも繋がる」


「言いたいやつは言わせておけ」


 相手にしないヴィルヘルムに見かね、エルマーが口を挟んだ。


「陛下はそれでかまわないでしょうが、彼女はどうなります? 彼女は気にせずにいられますか? そばに置いておきたいと望むなら、多少の根回しは必要だと思いますが」


 その言葉にわずかに王の顔が歪んだ。そしてしばし三人の間に沈黙が流れる。


「……分かった、善処する」


 その言葉に驚いた顔を見せたのはクルトだった。エルマーの言い分はもっともだが、まさかリラを引き合いに出すだけで、こうも王が素直に言うことをきくことは思ってもみなかったからだ。エルマーが言葉を受け取る。


「ならば、近いうちに、久々に舞踏会でも開催しましょう。季節的には少しズレますが。名目はそうですね、ヴェステン方伯の誕生日が近いはずです。あなたに一目(ひとめ)会いたいというご令嬢たちの願いも叶えてあげましょう」


「正確には、娘を王家に嫁がせたいその血縁者どもの、だろ」


 てきぱきを事を決めていくエルマーにヴィルヘルムは毒々しく呟いた。ヴィルヘルムが王位についてからは、晩餐会や舞踏会と呼ばれるものはほとんど行われなくなっている。


 華々しい雰囲気の中、その裏では自分たちの権力を誇示しながら、互いに腹を探り合う。策略と思惑が巡り、自分に向けられる数多の視線。ヴィルヘルムにとっては不要以外のなにものでもないが、そういうわけにもいかない。


 そこで複雑そうにこちらを見ていたクルトと目が合った。


「なにか言いたそうだな」


「陛下、戯れや慰めならかまいません。ですが、あなたは一刻も早い世継ぎを持たなくはならないことを、くれぐれもご自分の立場をどうかお忘れのないように」


 いつもより慇懃無礼な口調で告げ、クルトは深く頭を下げると、先にその場を後にした。王はその後ろ姿を見つめてからゆっくりと視線を落とす。


 先ほど、リラと交わした口づけを思い出す。自分でも戯れ、と言った。でも今まで戯れのつもりであんなことをしたことはない。なら、どういうつもりだったのかと改めて自分に問いかけると明確な答えは出ない。


 ただ、魅せられていた。白い絹のような肌に、流れるような美しい銀の髪に、そしてあの唇に。紫水晶(アメジスト)のような紫の瞳が自分だけを映していることにひどく満足する。これが戯れなのか、慰みなのか。こんな感情を抱いたのは初めてで、自分の中でどう折り合いをつけていいのかさえ分からない。


 リラの力は自分の中のなにかが、薄々と勘づかせていた。それをわざわざ危険だと分かっていてもあの場に連れて行ったのは、他でもない、家臣たちを納得させるためだ。リラの力のことを考えれば、自分にとって有益なのは明らかだ。それが分かったからクルトもリラをそばに置くこと自体は反対しなくなった。


 だが、ヴィルヘルムにとってリラの力はそんなに大事なことではない。自分のために生きてみろと言ったのは本心だ。でもそれ以上に、とにかくリラをそばに置いておきたい。なにをこんなに必死になっているのか。


「それにしても、幸か不幸か、彼女もとんだ巡り合わせですね。まさかこんなところに捕まっちゃうなんて」


 エルマーの呟きにヴィルヘルムは、ふと我に返る。自分は彼女を捕まえたのだろうか。思い巡らせ、やがて気が抜けたような微笑みをエルマーに向けた。


「いや。捕まったのはどうやら、こっちらしい」


 その発言にモノクルの向こうにある瞳が揺れる。クルトには聞かせられない文句だ。それも分かっての発言だったのだろう。だから、


「これは、これは。祓魔師陛下が捕まるなんて、やはり彼女は魔女だったようですね」


 エルマーは喉まででかかった言葉を必死の思いで飲み込み、いつものようにおどけた返事をして王に笑顔を向けたのだった。

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