欠けた一枚の肖像画
この城は要塞としてではなく、宮殿としての役割が強かった。おかげで城の窓はどれも大きく、そこから差し込む太陽の光の力を借りて、懸命に明るさを取り込んでいる。日が沈んで夜になると、できることは限られてくるので、時間の使い方は大事だった。
廊下の幅はリラの家よりも広く、歩くだけで緊張してしまう。ピカピカに磨かれた床は、外からの光を反射しキラキラとしていた。そして鏡のように高い天井を映し出している。
窓から見渡せるのは広大な王家の庭だけだった。十分に手入れされている木花は季節によって違う顔を見せてくれる。今は夏から秋にかけて季節の変わり目ということもあり、木々の色が緑から赤に変わっていく様がそれをよく表していた。
この城はどこまで広いのか見当がつかない。今、リラたちがいるのは城の中心部だった。王が仕事をするうえで欠かせない執務室や謁見の間、王と近しい者たち用の居住スペースなどを有し、他にも食堂や大広間、リラが使っている客間など。
窓から見える別塔について、フィーネが説明を加える。この城には塔がいくつかあり、渡り廊下のようなもので、それぞれここと繋がっている。使用人たちの住まい、礼拝堂、そして後宮。
話を聞きながら、リラはフィーネの支えを借りつつ、部屋から一番近い広間へとゆっくり足を進める。あれから数日経ち、リラの怪我も徐々に回復の兆しを見せている。そこで薬師からの許可をもらい、ろくに歩いたり動いていなかった分、落ちた筋肉を取り戻すため部屋から少し歩いてみることにしたのだ。
ヴィルヘルムは宣言した通り、あれから毎晩リラの部屋を訪れた。たいした時間を過ごすことはない。今日はどんな日だったのか、不自由はないのか、とお決まりの質問をされるだけで、会話もそんなにはない。本当に顔を見せる、という言い方がしっくりくる。
昨日は、この城に来るまでの経緯を尋ねられ、リラはぽつぽつと手短に答えた。家族のことや、住んでいた村のこと。いつも自分は尋ねられ、答えるばかりだ。しょうがない、それが今の自分とヴィルヘルムの関係なのだ。逆らうことは、許されず、自分の意思を彼にぶつけることは、してはならない。
軽く頭を振って、足に力を入れ直す。壁を伝ってフィーネに支えながらリラは一歩ずつ前を目指していた。その間、フィーネは気晴らしにと言わんばかりに、様々な話をしてくる。
年は十六でリラよりもひとつ年下だということ。両親共にこの城に仕えていること。最近、大好きだった祖父が亡くなったこと。
明朗快活なフィーネではあるが、そう話す声には悲しみを伴っていた。リラは自分も幼い頃に両親を亡くしていること、そしてこの城に来る前に唯一の肉親であった祖母を亡くしたことなども話した。
人は相手の性格以上に、同じような境遇には親近感というものを覚えるらしい。お互いに身の上話をした後、少なくともフィーネは昨日よりもリラに打ち解けた雰囲気を見せた。
「祖父はとても優しくて、本が大好きで、たくさんのことを私に教えてくれました。でも、まさか突然亡くなるなんて。『フィーネが大人になったら見せてあげよう』なんて言っていた本も結局、どこにあるのか分からないままなんて」
リラの胸が締めつけられる。リラの祖母はずっと体調が悪く床に臥せがちだった。祖母も自分が長くないことを分かっていたのか、リラに大切なことをたくさん教えてくれた。だからか、リラも亡くなったときはショックではあったが覚悟はどこかでできていた。
どちらが悲しい、なんて比べるものではないが、突然、自分の大切な人がいなくなるのはきっとこの上なく悲しいに決まっている。リラはフィーネをじっと見つめた。そして、散々迷った挙句、口を開こうとしたそのときだった。
「さぁリラさま、着きましたよ!」
努めて明るく告げたフィーネに促され、リラは顔を上げて前を見た。前に進むのが精一杯ではあったが、なんとか広間までついたようだ。
ここは、普段あまり使われることがないようで、少しかび臭い。フィーネは奥に駆けると重厚なカーテンを開けた。部屋の中に光が差し込み、埃が舞うのもよく見える。止まっていた時間が動き出したようだった。
縦長のテーブルに同じ装飾を施された椅子が対面式に三脚ずつ並んでいる。会議でも行われそうな雰囲気だ。そして、壁には絵が飾られていた。肖像画だ。
「これは……」
「これは、我がシュヴァルツ王国の四大方伯の現当主たちの肖像画です」
疑問を口にしようとしたところでフィーネが先に説明をしてくれた。リラと同じように視線を肖像画に向ける。一列ではなく、横に二枚並び、その真ん中の上に一枚掛かっている。なんとも不思議な並びだ。
一番上には、細身でどこか落ち着きなさそうな目がギョロっとした男性。。その左下に描かれているのは、中年でふっくらとしながらも貴族としての気位が高そうな男性。そして隣には、随分と年老いている男性が描かれている。細くて鋭い目に、白くて長い顎鬚が目を引く。
「我が国の東西南北の領地をそれぞれ治める方伯たちです。この広大な領地を治められているのは、もちろん王家の力もありますが、彼らの力が必要不可欠なのは言うまでもありません。なにか大きな物事を決める際には、必ず彼らの意向も確認します」
淡々と説明するフィーネの言葉を受けながら、リラはある疑問が過ぎった。
「あれ、あともう一方は?」
四大貴族、そしてこの並びが東西南北をそれぞれ表しているのだとすれば、ここにはもう一枚肖像画があるはずだ。その証拠に二枚の絵の下の壁は日の光を浴びずに変色を免れたのか、薄っすらと同じように絵が掛けてあった跡が残っていた。
「南領地を統括していたズーデン方伯は没落しました。今は東のオステン方伯が兼任しています。あとは北のノルデン方伯、西のヴェステン方伯」
そう告げるフィーネの声はどこか緊張を帯びている。それを裏付けるかのように、リラさま、と低い声で呼びかけた。
「私も詳しいことを知りません。ですがここで方伯たち、いえズーデン方伯の話は慎んでください。私もそう両親に言い聞かされてきました」
「……はい」
もちろん断わる理由もない。しかしここまでタブー視されるということは、王家となにかあったのだろうか。そんな考えを巡らせることさえ許されない気がした。
所詮、自分には関係のない話だ。リラはもう一度だけ肖像画に目をやり、フィーネに促されるまま部屋を後にした。
部屋から出ると空気が軽くなったように思えた。なにかから解放されたような気がして、ほっと息をつく。フィーネも何事もなかったかのように話を続けた。
夕方になり、差し込む光が眩しい。リラは来たときと同じように廊下を伝って部屋を目指した。
「では、リラさま、なにかありましたらいつでもお申し付けくださいね」
運動、と呼べるほどではないが、体力の落ちているリラにとっては、近くの広間を往復するだけでも、十分な重労働だった。フィーネに支えられ、ベッドに横になろうとする前にリラは付き合ってくれたフィーネに再度お礼を告げる。
そして笑顔を見せてくれたところで、部屋を出て行こうとするフィーネを思い立ったようにリラが呼び止めた。フィーネは不思議そうにリラの方に顔を向ける。
「どうされましたか?」
「あの、その」
リラの中でふたつの意見がせめぎ合う。しばらく悩んだあと、リラは躊躇いがちに口を開いた。




