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立場は客人ではなく飼い猫

「初めまして、リラさま。陛下より、リラさまの身の回りのお世話役を拝命しましたアドルフィーネと申します。フィーネとお呼びくださいね」


 朝から自分の元に現れたひとりの女性の存在にリラは動揺を隠し切れなかった。自分とたいして年も変わらないであろう若さの娘が恭しく頭を下げてくる。赤茶色の髪を両サイドで編みこみ、やや日に焼けた肌にアーモンド色の瞳は彼女の快活さを表していた。


「あの、お世話なんて必要ありませんから」


 手始めに部屋のカーテンを開けていくフィーネにリラはベッドの上で上半身を起こしながら躊躇いつつ告げた。しかし、そんな発言をフィーネはものともしない。


「なにを仰います。リラさまは、まだ安静にしておかないといけないお体ですよ」


「でも、そんなお世話をしていただくような立場では……」


「リラさま!」


 強く名前を呼ばれ、カーテンを開けきったフィーネが厳しい顔でベッドまで歩み寄ってくる。リラは窓から入ってくる日の明るさに目を(すが)めた。そして、ちょうどフィーネが影になってくれたところで、その口が動く。


「あなたは陛下の客人です。まだ混乱しているかもしれませんが、ご自分の立場をご理解ください」


 客人という言葉は、どう考えても間違えている。自分は王に人としてではなく、物として献上されたような存在だ。手酷い扱いを受けないのなら、それ以上のことは望まない。リラが反論しようとしたところで、それを許さないかのごとくフィーネが続けた。


「私に仕事をさせずに、陛下の命令に背かせるおつもりですか? そうなってしまっては、私みたいな使用人など……」


 わざとらしく俯いて泣きそうになっているフィーネにリラは慌てた。


「そ、そんなつもりではないんです。自分のことばかりで、あなたの立場を考えずにごめんなさい」

 

 素直に謝ると、フィーネは顔を上げ、ぱっと花が咲いたような笑顔を見せた。


「分かってくださればいいんです。では、まずはお召し物を替えましょう。髪も梳かせてもらいますね。朝食はそれからにしましょう。リラさま、お嫌いなものはなにかありますか?」


 てきぱきと話を進めていくフィーネにリラは額を押えた。自分の扱われ方が、あまりにも変わりすぎてついていけない。


「あなたは、私のこと怖くないんですか?」


「正直言うと、少しだけ怖いです」


 躊躇いがちに告げられ、リラは目を白黒させる。その顔を見て、フィーネは困ったように笑った。


「ですが、陛下に命じられては逆らうことはできません。残虐非道、悪魔のような国王だと好き勝手言う者もおりますが、民のことはもちろん、我々使用人のこともきちんと考えてくださる方なんです。そんな御方があなたさまのことを大事に扱え、と仰るんです。我々は陛下の仰せのままにするだけです」


 やれやれ、と肩をすくめながら苦笑するフィーネに対し、リラは静かに視線を落とした。


「……慕われているんですね、ヴィルヘルム王は」


 恐怖ではなく信頼で家臣を動かしているのだ。この国が安泰な理由はそういうところもあるのだろう。そして、未だに自分に対する行動も考えもまったく理解できないが、ヴィルヘルム王のことがリラは少しだけ気になった。


 また様子を見に来る、と言っていたが今夜もまた彼は現れるのだろうか。なぜ、こんなことを思うのか。リラは複雑な気持ちに囚われながらもフィーネの指示するままに過ごすことになった。



 その日の夜、リラの目はやけに冴えていて、人の気配がどんどん消えて暗闇が濃くなる一方で、意識だけははっきりしていた。なんといっても、まだ安静を言い渡され、一日のほとんどをベッドの上で過ごしているのだ。眠りすぎて睡魔が襲ってくる様子は微塵もない。


 明日は、少し体を動かすように、フィーネにお願いしてみよう。そんなことを考える。フィーネは元々喋るのが好きなのだろう。リラのことを怖い、と言いながらも態度にも言葉にもそれを感じさせることなく接してくれるのが有難かった。


 そのとき部屋のドアがゆっくりと動いた。静かすぎる空間に、わずかに軋むその音はやけに響き、リラは急いで上半身を起こした。


「今日はおとなしくしていたようだな」


 声だけで誰だか分かる。そばにゆっくりと歩み寄り、徐々にその輪郭がはっきりとしてきた。


「ヴィルヘルム……陛下」


 笑みをたたえているのが分かる。けっして幸せや嬉しさを伴ってはいないが。


「不自由はないか?」


 尋ねられ、リラは慌ててベッドに頭をつけて身を低くした。


「身に余るほどの待遇、陛下のご配慮、心より御礼申し上げます」


 本当はベッドから降りて頭を下げるのが正しいのだが、すぐにそこまで気が回らなかった。体勢を急に変えたから、まだ治りきっていない傷が痛む。しかし、そんなことを言っている場合ではない。


 出会ったときから、随分と不躾な態度をとってきたが、一国の王に、自分はここまでしてもらう存在ではないのだ。


「やめろ」


 聞こえてきた言葉は冷たさを帯びていて、リラの心が無意識に身構える。さらには、面を上げろ、と続けられ、リラはおずおずと顔を上げた。すると黒曜石のような瞳が自分をまっすぐに見下ろしている。その目から視線をはずすことができない。そしてリラの頤に手が添えられたかた思えば、強引に上を向かされた。


「死んだような顔をされるのは、もってのほかだが、妙に(へりくだ)られるのも気に食わない。私はそんなつもりで、お前をものにしたわけではない」


 掴まれている手に力が込められ、痛みでリラは顔をしかめた。その表情を見て王はリラを解放する。


「では、なぜ陛下は、私を?」


 恐れながらも疑問を口にすると、王は乱暴にベッドに腰かけ、そしてリラの方に向き直った。


「そうだな、どうやら私もその銀の髪と紫の瞳に魅入られたらしい」


 本気とも冗談とも分からない発言をリラはどう捉えていいのか分からない。王はかまわず続ける。


「だから、その目を潰すなどと馬鹿げた真似はするな。そして妙な気遣いは無用だ。お前はそのままでいればいい。それに、その瞳はきっと“役に立つ”」


 最後の言葉にリラの心臓は加速しはじめる。王は、どういう意味で言ったのだろうか。深い意味などないはずだ。そうに決まっている。自分は余計なことは一切話してはいない。心の中に波紋が広がっている中、ヴィルヘルムはベッドからゆっくりと腰を上げた。


「必要なものがあればフィーネに言えばいい。あれはお前と年も近く、物怖じしない性格だからな」


 それだけ端的に告げると、ドアのところへと向かう。リラはその後姿をじっと見つめた。鏡に反射する蝋燭の明りが穏やかで、王の存在を徐々に濃くしては消していく。


「リラ」


 静かな部屋に王の声はよく通った。リラにとって、自分の名前を口にされるだけで、こんなにも心が乱れた経験はない。振り向いた王と、ふたりの視線が絡み合う。


「また明日も来る。今日よりは少し遅くなるかもしれないが、どうせなかなか眠れないんだろう」


 からかうような言葉に、リラは急いで居住まいを正し、平伏する。


「陛下、私は言いつけを守ります。もう勝手な真似もいたしません。ですから……」


 フィーネから王がどれぐらい忙しいのか、十分に聞いた。近隣諸国との関係を安定させるために謁見を繰り返して使者を送ったり、民の暮らしのための必要な設備を整えるための計画や、税の納め方の見直しなど、世継ぎの前に、睡眠の方を望まれているのではないか、と心配していた。


 だから、わざわざこの状況で自分の下に足を運ぶ必要はない。そんな思いで必死に告げていた言葉は、王の言葉にあっさりと遮られる。


「なにを勘違いしている? 私がお前のためにわざわざここに通っていると?」


 声が次第に近くなる。ヴィルヘルムは再びリラのそばまで歩み寄っていた。その言葉に、リラはなんだか自惚れていたみたいで顔が熱くなるのを感じた。王はきっと自分を見張るために、自分の一存でここに置くこと決めたために、単に見張りで来ているだけなのだろう。恥ずかしさもあり、なにも返すことができず視線を落としたままでいると


「ここに来ているのは私の意志だ。自分の飼い猫を好きに可愛がってなにが悪い」

 

 あまりにも意外な言葉にリラは顔を上げて目を見開いた。紫眼が大きく揺れ、その様子を満足げに見つめると、ヴィルヘルムはリラの部屋を後にした。


 相変わらず、王がなにを考えているのかリラにはまったく理解できない。この瞳に対する王の真意も分からない。


 ひとつだけ分かったのは、どうやらフィーネを自分の元につけてくれたのは、彼女の性格を見越してわざわざ指名したらしい。王の言う通り、リラにとってフィーネはあまり気を遣わなくてすみそうな相手だった。


 それを王の優しさだと素直に受け取る自分にリラはどこか困惑していた。それに最後の王の言葉――飼い猫とは自分のことなのだろうか。可愛がる、とはどういうことなのか。


 考えても答えなんて見つかるはずもない。なかなか眠れそうにないのは、きっと昼間に寝すぎたせいだけではない。リラはいつもより速い心臓の音を意識しないように、ベッドに潜り込んだ。

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