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魔女と疑われし娘

 ふわっとではなく、どんっと突き落とされたように意識が覚醒した。見慣れない天井が、正確には天蓋が視界に入り、全身のあらゆる場所が痛んで顔をしかめる。


 反射的に体を起こそうとするも、それは叶わない。なぜなら両腕を頭の上で縛られ、その先はベッドにきつく結ばれているからだ。縄ではなく、紐でよかった。そんなことに安堵したそのとき、


「気がついたか?」


 硬い無機質な声が耳に届き、急いでそちらに意識を向ける。声の主を思い浮かべる前に、紫眼が人影を捉えた。


「自分の目を潰そうとするとは、なかなか腹が据わっているらしい」


 ヴィルヘルム王。自分を見下ろしている王の姿に、娘は信じられない思いだった。噂でしか聞いたことがない、死を司ると言われている烏の羽色にも似ている艶やかな黒髪、象牙のような白い肌、そしてなにもかもを見透かすような瞳はまさに吸い込まれそうに深い。


 そのあまりにも人間離れした美しさは、人形というよりも、神か悪魔か。髪の毛一本までも計算尽くされたかのような、まさに芸術品。王の顔を不躾にじっと見つめていると、その形のいい唇がゆっくりと動いた。


「だが、自分の立場を理解できるほど、頭はよくないようだ」


 次の瞬間、強い衝撃が娘を襲った。柔らかなベッドに体が沈んだと思えば、閉塞感に包まれる。王が覆い被さってきたのだ。感情を他者にまったく悟られることのない強い瞳が、至近距離で女だけを映していた。


「お前は私のものになったんだ。勝手に傷をつけることは、お前自身であろうと許されない」


 その声が、その瞳が、自分を捕らえて放さない。これを恐怖と呼ぶのか。その御前(みまえ)に誰もを平伏させるだけの絶対的な威圧感が肌に突き刺さり、身も心も震え上がらせる。


「もう一度訊く。名はなんという」


 答えない、という選択肢は、もうなかった。名前がそんなに大事なんだろうか、必要なんだろうか。そんな疑問もどうでもいい。女はゆっくりと口を開く。


「リ、ラ」


 久しぶりに出した声は思う以上に(かす)れていた。


「リラ、なるほどLilaか。その瞳の色にぴったりの名だな」


 王が女の上でかすかに笑った。声を出せたことで、女は、リラはさらに続ける。


「私は、魔女では、ありません」 


 必死に訴えるリラに、王は口角を上げたままリラを見下ろしている。その笑みは妖艶でこの状況を楽しんでいるように思えた。そして、なにも答えずに薄い布の上からリラの脇腹に手を滑らせる。


「いっ」


 思わず声が出て、リラの顔が苦悶に満ちる。触れられただけなのに、あまりにも場所が悪かった。そんな様子を見て、王はリラの首元に腕を伸ばし服に手をかける。


 古い布切れはそんなに力を込めなくても、驚くほどあっさりと裂けた。その音よりも、肌が外気に触れたことで、ありありと実感する。リラは王の元に自身の肌を晒していた。


 予想もしなかった事態に、全身の血の気が引いていく。そして心の中は、羞恥心よりも恐怖の方で満たされていった。


「なるほど、烙印を探されたわけか」


 そんな気持ちを知ってか知らずか、まじまじとリラの体を見つめた王は納得したかのように呟く。その薄い布の下には多数の痣や傷があった。新しいものから古いものまで、白い肌に、紫色に変色した箇所はよく目立ち、とても痛々しい。


 肌が空気に触れて、慣れていた痛みがまた疼き始める。そして痛みと共に次に襲ってくるのは絶望だ。


 この人も同じだ。同じように私を――


 目を瞑ることはせずに、じっとその紫の瞳に王を映す。それがせめてもの抵抗と思い、唇をぎゅっと噛みしめたところで、いきなり王が身を起こした。さらにベッドのシーツを剥ぎ取ると晒されたリラの体を覆うように被せてきたので、これにはリラも面食らう。


「クルト!」


 そして入口の方に向かって叫ぶと、すぐにその扉が開き、険しい表情をした男が速やかに中に入って来た。


「陛下。っこれは一体……」 


 状況を見てクルトは呆然とした。ヴィルヘルムは確かめたいことがあると言って、他の家臣たちはもちろん、自分やエルマーまでも部屋から出て行くように指示をした。


 当然、クルトは反対した。いくら相手は女で、腕を縛り動きを封じたとはいえ、王の身になにかあっては洒落ではすまされない。


 しかし、ヴィルヘルムは譲らず、命令という形で自分たちを部屋の外に追い出した。おかげで扉一枚隔て、もしも部屋でなにかあったら、いつでも入り込めるようにと待機していたわけだが。


 目の前では、なぜか王までベッドに上がっている。そのベッドは乱れていて、女にはなぜかシーツがかかっている。これは、どういうことなのか、クルトは頭の整理が追いつかなかった。


「あれ? 陛下、ついにその気になられたんです? 我々お邪魔でした? それとも事が終わった後ですか?」


 固まっているクルトの横からエルマーがひょいっと顔を出し、なんともあけすけな言い方で現状を問うた。そのおかげでクルトがようやく我をとり戻す。


「陛下、これはどういう」


「薬師を呼べ。それから彼女に合う服も用意しろ」


 クルトの言葉を遮り、ヴィルヘルムはゆっくりとベッドから降りた。そしてその場から離れていく背中にリラは視線をやる。リラもまた状況に頭がついていかない。


「リラ」


 ふいに名前が呼ばれ、リラは動かせるだけ、精一杯顔をそちらに動かした。


「もう一度言う、お前は私のものになったんだ。勝手な真似はくれぐれもするな」


 相変わらず冷たい目を向けられ、王はその場を後にした。久しぶりに呼ばれた名前にリラはなんとも言えない気持ちになった。




「それでは陛下、改めて説明して頂きましょうか」


 すべての執務を終え、書類を渡したところで、相手の眉間の皺は深く刻まれた。近くに立っていたエルマーは、他の者たちを払い、辺りに人がいなくなったことを確認してから、クルトに向かって目で合図する。


「説明とは?」


 ヴィルヘルムはつまらなさそうにきっちりと着ていた服を緩め、背もたれに体を預けた。


「とぼけないでください。彼女のことです」


「情けをかけてやっただけだ」


「なら、ここに置いておく必要もありません。すぐに手配して」


「その必要はない。あれは私への献上品だ」


「陛下!」


 二人の間の刺々しい雰囲気にエルマーが割って入る。


「まあまあ、お二人とも落ち着いて。それにしても、どうしたんです、陛下? 後宮に一歩も寄りつかないあなたが。まさか本当に彼女を慰みものにするおつもりですか?」


 相変わらず飄々とした言い方だが、口調から真剣さは伝わってくる。ヴィルヘルムは大きくため息をついた。


 その見た目、地位から花嫁候補には困らない。位ある貴族たちの娘、他国から国同士の結びつきを考え送り込まれた娘、様々な思惑を背負って多くの女性たちが王の元にやってきたが、王は誰一人として興味を持つことはなかった。


 いきなり見ず知らずの相手と結婚しろとは言わない。強制的に結婚させる法もこの国にはない。少しでも心を通わせられるよう、彼女たちを後宮に住まわせ、それなりの待遇をして、いつでも王が足を運べる状態にしていた。


 しかし、肝心の王にその気がなく、それを王の債務が忙しいから、という理由だけでは通せなくなっていた。後宮に通うのも債務のうちのひとつである。


 王は女性ではなく男性が好きなのではないか、自分と釣り合うほどの美しい相手ではないと許せないのではないか、ものすごく加虐主義者(サディスト)で普通の娘では耐えられないのではないか。様々な憶測が憶測を呼び、それはどうやら他国まで尾ひれをつけて伝わっているらしい。


 それが今回の件を物語っていた。どのような噂を信じたのかは知らないが、とんでもないものを押しつけられたものである。


「慰みものにするつもりはない。ただ、あの紫が気に入っただけだ」


 リラの紫の瞳を初めて見たときのことを思い出す。珍しさか、初めて見るからか、それともそんな力でもあるのか。なぜか心臓が大きく跳ね、目にあの色が焼きついた。


 王の言葉にクルトとエルマーは視線を交わらせる。


「珍しい、というよりなかなか見ない色でしたね。魔女と言われていましたが」


「随分と手酷い扱いを受けていたようだ。全身に痣があった。恐らくサバトに行ったかどうか確かめるため、烙印を探されたのだろう」


 その発言にクルトは顔をしかめた。エルマーも眉を寄せている。先に口を開いたのはエルマーだ。


「魔女と疑われていたようですが、真偽はいかがでしょうか」


「本人は否定している」


 その言葉にクルトが噛みついた。


「信用に値するかどうかは計りかねます。奴らは忠実と思われる魔女にはけっして烙印を()しません。彼女が魔女でなくとも、間者という可能性も……」


「無論、信用しているわけではない」


 クルトの忠言をヴィルヘルムは遮った。そして軽く肩をすくめる。


「それは徐々に探っていこう。とりあえず彼女はもう少しそばにおいておく。確かめたいこともあるしな。それに、魔女なら魔女で大歓迎だ。私にとっては、な」


 エルマーは苦笑を浮かべ、クルトはまだなにか言いたそうな顔で王を見つめた。

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