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素直な独占欲

 普段は会議などに使う部屋に移動し、各々がそれぞれの立ち位置につく。リラは戸惑いながらも、エルマーと共に着席することになった。フィーネが慌ただしく、再びお茶の準備にとりかかる。珍しそうにリラをじっと目で追っていたブルーノだったが、ヴィルヘルムに険しい顔を向けられ、お茶を待たずに本題を語り始めた。


「シュライヒ・オスカーという男からの相談だ。とにかく家の中で奇妙なことが起こっているらしく、例えば、部屋の中のものがすべてひっくり返っていたり、夜になって不気味な声が聞こえたり、人ではないなにかがいる気配がしたり。おかげで奥方はすっかり参っているらしい」


 そこでブルーノは一息つき、ヴィルヘルムの顔色を窺うようにして歯切れ悪く先を続けた。


「で、どうやらそこの娘が悪魔に憑かれているんじゃないかって話だ」


 悪魔という言葉に、リラは背筋を自然と伸ばした。あのときの光景が蘇る。


「根拠は?」


「そう先を急ぐなって」


 間髪を入れず問いかけたヴィルヘルムをかわし、お茶を運んできたフィーネに優しく微笑みかける。相手が国王陛下だろうが、どこまでも自分のペースを崩さない。そしてブルーノは、カップに口をつけてから、言葉を継いだ。


「娘の名前はメラニー。九つになるそうだ。なんでも、彼女は実の娘ではなく奥方の兄の娘らしい。両親が亡くなり、引き取ったそうだが、彼女を引き取ってから、その奇妙なことが起こるようになったんだと」


「仮に彼女が原因だとしても、奴らが憑いているとの結論はいささか性急ですね」


 話を書き留めていたエルマーが顔を上げると、ブルーノは応えるように頷いた。


「ああ。俺もそう思ったんだが、どうやら彼女の亡くなった父親が、黒魔術やらに詳しく、悪魔学にもかなり傾倒していたらしい。その集めていたコレクションはすべて彼女のものになっているらしく、疑うのも無理はない状態だそうだ」


「なるほど。血は争えないってことですか」


 ブルーノは再びカップをとり、中の液体で喉を潤す。行儀がいい飲み方ではなかなった。一気に飲み干して、軽くなったカップをソーサーに戻し、ヴィルヘルムを見据えた。


「事実がどうであれ、調べてくれないか? 奥方も娘のことで精神を病み、主人もいっぱいいっぱいらしく、このままなら娘を手放すことも考えているそうだ」


 そこには冗談のひとつもない、真剣そのもののブルーノがいた。ヴィルヘルムはしばらく口を閉ざした後、手筈を整える、と短く答えた。



「フィーネ、君の淹れた紅茶は抜群に旨かったよ。俺の専属になって欲しいくらいだ」


 部屋を出る際、打って変わって軽い口調でフィーネを口説いているブルーノを見て、リラはブルーノという人物がよく分からなかった。観察するように眺めていると、ふとフィーネからこちらに視線を移されリラはどぎまぎした。


「リラ、今日は会えて嬉しかったよ」


「ありがとう、ございます」


 笑顔で距離を詰めてくるブルーノにリラは礼を述べる。そしてブルーノはリラの頭のてっぺんから足の爪先までを観察するかのようにじっくりと見つめた。じろじろ見られて喜ぶ人間はいない。ブルーノは失礼を詫びてから、それでも納得したような表情を見せた。


「銀色の髪に、さらには紫色の瞳。なるほど。珍しく、そして美しい。ヴィルヘルムが魅せられたのもよく分かるよ」


 独り言のように呟かれた言葉にリラの心が波立つ。無意識に伏し目がちになり、はらりと滑り落ちた自分の銀髪が嫌でも視界に入る。シュライヒ家の件については、ブルーノが間に入りつつエルマーが詳しく段取りすることになり、この場は解散となった。




 人の気配が消え、しんと静まり返った真夜中。日中の喧騒が嘘のように、部屋には、今の主であるリラしかいない。あまりの静けさに、まるで世界中から取り残されたかのような気分だった。だらしなくベッドに体を投げ打ち、瞼を閉じる。今日は色々なことがありすぎて情報が頭の中を錯綜している。


 だから、こんなにも興奮して眠れないのだ。リラはベッドの上でゆっくりと体を起こした。そしてドアの方をじっと見つめる。来るわけがない、そう思っているのになにを期待しているのか。唇を噛みしめて視線を逸らしたところで、ドアががちゃりと音を立てた。リラは目を見開いたまま固まる。それは入ってきた人物も同じようだった。


「まだ起きていたのか」


 驚き半分、呆れ半分という表情でヴィルヘルムが入ってきた。リラは急いで居住まいを正す。しかし寝間着を着ている自分は、どうも格好がつかない。慌てて髪を手櫛で整えながらヴィルヘルムを迎える。


 結局、いつものようにこうしてベッドで会うことになるのだが、最早それは定番化していて、今更リラも椅子に移動しようとはしなかった。冷静に考えると、とんでもないことではあるのだが。


 ヴィルヘルムはいつもの調子でベッドの傍に立ち、リラを視界に捉えてから端に腰掛けた。首元のスカーフを緩めて、短く息を吐いてからリラの方を向く。


「今日は突然、悪かったな。あんな調子だが、悪い奴じゃない」


 名前を出さなくてもそれが誰のことを指しているのかは分かる。リラは静かに首を振った。


「いえ、滅相もありません」


「おそらく、またエルマーと調べに行ってもらうことになる。必要があれば私も行く」


「はい」


「次から次へと悪いな」


「いえ。それが私の役目ですから」


 淡々と繰り返される会話が途切れたところで、残るのは沈黙と静寂だけだった。そして思い出したようにヴィルヘルムが口を開いた。


「その髪を覆うものを用意させよう。下手に目立つのはお前も本意じゃないだろ」


「あ、はい」


 反射的に返事をしてから、リラの心に小さな棘が沈んでいく。それは今日、最後にブルーノに言われた言葉を受けたときと同じような痛みだった。黙り込むリラを不審に思ってか、ヴィルヘルムが、リラの顔を覗き込む。


「どうした?」


「この髪、切りましょうか」


 抑揚のない声で提案する。そして、リラはヴィルヘルムの言葉を待たずに続けた。


「隠す手間を考えれば切った方が早いです。これからも外に出ることも多いですし。私のような外見の者が陛下のおそばにいて、あれこれ邪推されるのも、申し訳ないですし」


「余計な気を回す必要はない」


「ですが」


「私はこの髪が気に入っている」


 食い下がろうとしたリラに有無を言わせない強い口調で言い放った。おかげでリラもその迫力に黙らざるをえない。ヴィルヘルムはリラの銀色の髪に手を伸ばし、一筋(すく)いとった。(たゆ)んだ髪がはらりと落ちる。


「髪だけじゃない。その紫の瞳も、惑わすように美しく、よく似合っている。お前にとっては忌々しいだけのものかもしれないが」


 リラはなにも答えられなかった。他人に自分の外見のことを、こんなふうに肯定して、好いてもらえたのは初めてで、それはとても嬉しいことだった。それなのに、こんなにも苦しいのはなぜなのか。胸の奥につっかえているものの正体が分からない。


「……この稀有(けう)な見た目に対し、そのような勿体ないお言葉、感謝します」


 必要以上に謙った精一杯の答え。それ以上は声にならない。代わりに目の奥が熱くなって、なにかを必死に耐えた。


 変だ。私、変だよ。ずっとこの髪もこの瞳も大嫌いで、この見た目のせいで辛い思いをしてきたのに。それをこの人は気に入っていると言ってくれて、恐れることなく大事に触れ、慈しんでくれる。


 それで十分なのに。これ以上、なにを望むの? それに、この見た目じゃないと、きっと“見つけてもらえなかった”のに。


「なにをそう卑屈になる? べつに珍しい見た目だけで、お前をこうして飼い慣らし続けているわけではない」


 王のなんでもないかのように続けられた言葉が、あまりにも今の自分の心を突いたもので、強い衝撃を受けた。ヴィルヘルムは変わらずにリラの髪に指を通して触れる。


「珍しいものを欲しがる人間が次にする行動はひとつ。それを持っているということを誇示することだ。誰かにひけらかすなりして、他の者が持っていないものを持っている自分に優越感を覚える。だが、生憎私はそういった欲望は持ち合わせていない」


 そこでヴィルヘルムはそっとリラと視線を合わせた。その手から銀の髪を解き、そのままリラの頭を、髪を優しく撫でる。 


「その見た目以上に、お前の誰のせいにしもしない強さに惹かれたんだ。それに私は、お前がどんな姿でも、どこにいてもきっと“見つけられる”」


 なにを根拠に言っているのか。そんなことあるわけない。それでもリラはその言葉を口にすることができず、自然と零れそうな涙を堪えるため、瞬きを必死で我慢した。


 そんなリラに対し、ヴィルヘルムはおかしそうに目元に唇を寄せる。まさかの行動にリラは目を(しばたた)かせる。視線が交差したところで今度はゆっくりと唇が重ねられた。


 一度唇が離れ、目を合わせる間もなく再び奪われる。啄ばむような優しいものや、濡れた唇の柔らかい感触を楽しむようにじっくりと長いものまで。ヴィルヘルムの気が済むまで口づけは続けられた。


 いい意味でも、悪い意味でも、リラはずっとこの見た目で判断されてきた。だから、どうか自分が何者であっても、どんな外見をしていても、ちゃんと自分のことを見て欲しい。向き合って欲しい。


 それは、あまりにも贅沢な願いに思えた。だから、まさかのヴィルヘルムの言葉にリラは泣きそうになる。


 リラの頬に手を添えたまま、名残惜しく唇が離された。そして額同士が触れ合う。リラは緊張しながらも重ねられていたヴィルヘルムの唇が動くのをただ見つめた。


「ひけらかすなんて考えたこともない。私は逆だ。実際に難しいことだと分かってはいるが、本当は誰にも見せたくないし、触れさせたくない。こうしてお前に触れるのは、私だけでいいんだ」


 それなのに、お前の見た目はどうしても注目を集めるからな、と続けられリラは率直な感想を心の中ですぐに打ち消した。子どもっぽい、なんてとてもではないが、口には出せない。


 悪魔のよう、と謳われている冷厳な国王陛下がこんなにも素直な独占欲を紡ぐとは誰が想像できるだろうか。想像できなくてもかまわない、こんなヴィルヘルムを知っているのは自分だけでいい。リラは強く願った。わがままなのも分不相応なのも分かっている。きっとこの想いが実ることなんて決してない。


 早鐘を打ち出す心臓の音はまるで警鐘のようにも思えた。きっとこんなにも苦しいのはこの気持ちの行く末が見えているからだ。


 きっと、そう。


 心の中に広がっていく暗雲について、リラは必死に言い訳した。

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