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対峙するために必要なもの

「なるほどー。つまり例の歩く死者は、あそこでその女性を待っているわけですか」


 エルマーが手をぽんっと打って納得したような顔をする。あれからリラの部屋に移動し、フィーネの淹れてくれた紅茶を飲んで、体を温める。


 そしてリラは自分の見た記憶をできるだけ正確にエルマーとフィーネに伝えた。夢のような漠然とした映像を忘れてしまわないうちに。死者を見て、その声を聞いたりすることは多々あるが、今回は触れたことでか、その記憶までもが伝わってきたようだ。それほどまでに彼の思いの強さ、執着を感じる。


「でも、私が聞いた話では、姿を見たりした者は幾人かいましたが、声をかけてくるなんて初めて聞きましたよ!」


 ポットを持ったまま、興奮したようにフィーネが告げる。それを受けてエルマーが問いかけた。


「相手があなただったから、でしょうか?」


 リラの力のせいなのか、という内容を、リラは躊躇いがちに否定した。


「いえ。恐らく、タイミングよく舞踏会の音楽が流れたことと、私の髪が彼女と同じ金髪に見えたからだと思います」


「つまり、あなたと彼女を間違えた、いや勘違いしたということか」


「彼はずっと約束を守れなかったことを後悔して、あそこでさ迷っているんだと思います。だから、私が彼女になりきって彼と一曲踊れば、きっと未練もなくなると思ったんですが」


 それを聞いて、顎に軽く触れながらエルマーはなにかを考え込む。そこに口を挟んだのはフィーネだ。


「私は反対です! さっきは触れただけで倒れたんですよ? 心臓が止まるかと思いました。それなのに、歩く死者と接触するなんて危険です! またリラさまになにかあったら、と思うと、私は……」


 フィーネの声が詰まる。そんなフィーネにリラは謝罪の言葉を口にした。自分のことを心配されることが、こんなにも申し訳ない気持ちになるなんてリラは知らなかった。フィーネの矛先は続いてエルマーに向けられる。


「今までだって害はないんです。いいじゃないですか、陛下は滅多に舞踏会を開くこともありませんし、今まで通りあそこは、立ち入り禁止にしておけば」


 エルマーはフィーネを軽く一瞥してから、リラに顔を向けた。


「フィーネの言うことも一理あります。あなたにそんな危険なことをさせるわけにもいかない。ましてや、そんな危険を冒しても、彼が光の方へ行くという確信もあるわけじゃない」


 エルマーの言い分はもっともでリラは唇を噛みしめた。一瞬の沈黙が辺りを包み、紅茶の湯気がいい香りを伴って上に昇る。


「ですが……」


 重い口を開いたのはエルマーだった。その顔にふたつの視線が集まる。


「まったく試す価値がないのかと言われれば、それも断言できませんが」


 困ったような笑みを浮かべたエルマーは、とにかく陛下報告しましょう、我々だけでは判断できないと、もっともなことで締めくくり、この話は他言無用となった。




「話は聞いたが、許可できない。フィーネの言い分が正しい」


 翌日、執務室に足を運び、事情をエルマーから聞いていたヴィルヘルムはリラの顔を見るなり、書類から顔を上げることもなく冷たく言い放った。部屋の隅では、エルマーがやっぱり、という表情を浮かべ、クルトが相変わらず厳しい表情を浮かべたままだった。


 なにか反論したいが、言葉が続けらず、奥歯を噛みしめる。立場的にも、リラは反対することができない。ヴィルヘルムの目線は相変わらず書類の文字を追っていた。


「少しの対話でどうにかなるならまだしも、必要以上に関わるな。同情すれば付け入る隙を与える。線引きはきっちりしろ、生者以外の者と関わるときの基本だ」


「同情というわけでは」


「なら、他になにがある?」


 そこでようやく顔を上げたヴィルヘルムが真っ直ぐにリラに視線を寄越した。責められているような強い視線にリラの心臓は早鐘を打ち出す。


「お前がその歩く死者のために、そこまでしてやる義理はなんだ? 同調して妙な錯覚を覚えているんだろうが、それはお前の感情ではない」


「分かっています!」


 反射的にリラは叫び、慌てて口を(つぐ)む。ふぅっと一呼吸置いて調子を整えてから再び口を開いた。


「分かっています、彼のために言ってるんじゃありません。ただ、歩く死者のせいであのバルコニーは使えないままだと聞きました。せっかくの舞踏会もあるのに、彼を恐れて参加しない方もいるとか」


「たいした問題ではない」


「ですが、問題であることは間違いありません。それが陛下にとって少しでも不利なことに繋がるのでしたら、それが私になんとかできるのであれば……。陛下のためにできることがあれば、私はなんでもします」


 消え入りそうな声で言い切り、リラはしょんぼりと頭を垂れた。その発言にエルマーは、にやにやと楽しそうに笑い、クルトの眉間の皺が増える。そして、ヴィルヘルムはと言うと、一瞬だけ目を見張り複雑そうな顔をした。


「陛下、彼女にやらせてみせましょう」


 それまで一言も口を利かなかったクルトが、一歩前に出て口火を切った。


「クルト」


「城の者だけならまだしも、歩く死者の話は舞踏会に参列する者たちの間でも広まっています。噂が憶測を呼び、興味が恐れに繋がれば、それは王家にとってもいい話じゃない」


 思わぬ風向きにリラはなにも言えず、事の成り行きを見守った。ヴィルヘルムはしばらく悩んでから、観念したように盛大なため息をついた。


「分かった、許可しよう」


「陛下」


 リラの顔がぱっと明るくなり、ヴィルヘルムは制するように続けた。


「ただし、私の言うことは守ってもらう。歩く死者との接触は、一回限りだ。それ以上は許さない、失敗した場合もだ。……エルマー、リラに必要最低限のダンスのステップを教えてやれ。話を聞く限り、向こうもそんなに踊れるわけじゃなさそうだ。簡単でかまわない」


 名指しを受けたエルマーは頬をかきながら明るく尋ね返した。


「僕でかまわないんですか? 教えるなら、モーリッツ師や、もっと適任者がいると思いますけど」


「お前がやれ」


 念押しするように強く言われ、エルマーはそれ以上、なにも言わなかった。代わりにリラに笑顔を向ける。


「それでは、役得と思ってお引き受けしましょう。教えるのはあまり上手ではありませんが、よろしくお願いします」


「こちらこそ、お忙しいのに申し訳ありません。精一杯、頑張ります」


 と言っても、ダンスなどを踊ったことがないリラにとっては、歩く死者と対峙する以上の不安があった。結局、リラのダンスを覚える都合や、音楽の関係もあり、舞踏会が開催される当日に再度、歩く死者との接触を試みることになった。




 今のリラは、踊るどころか、歩くのさえも不恰好だった。身に纏う布は上半身にぴっちりと添い、ウエストでぎちぎちに締められている。それでいて下半身に広がるスカートは足元を確認することもできない。そんな状態でダンスの練習をした後だとなれば、足が棒になるのも無理はなかった。


「まっすぐに歩けない」


「なに仰ってるんですか。当日ご用意するドレスは、こんなものではありませんよ」


 フィーネに支えられながら、リラはげっそりとした。ダンスのステップを習う前に、まず指摘されたのはリラの服装だった。今までは怪我をしていたことも考慮され、着脱しやすい簡素な服装をしていたのでそのままの格好で練習に(おもむ)いたのだが。


『舞踏会で踊る一番基本のワルツは回転やスイングが多くて、女性は優雅にスカートを翻すのも特徴です。なにより、“彼女”もドレスを着ていたのでしょう?』


 あの人のいい笑顔は有無を言わせない強さがある、と改めてリラは思った。まずか形から、と言ったところか。フィーネに頼んで、貴族の女性たちが普段着用するタイプの控えめなドレスをお願いしたのだが、リラにとっては、とてもではないが、普段から着用できそうもない。


 服を重いと感じたのは初めてだ。最後までリラが歩く死者と接触することに反対していたフィーネだったが、リラの意志を汲み、こうして協力してくれることになった。


「いかがですか、ダンスの方は?」


「先生がいいから、なんとか……」


 苦笑しながらリラは答える。エルマーとの練習を始めて、早三日。本人は教えるのがあまり上手ではないと言っていたが、指示は的確で、分かりやすい。舞踏会で踊ることはあまりないそうだが、貴族の(たしな)みとして、それなりに踊れるということだ。


『そんなに硬くならないでくださいね。上手く踊ろうなんて思わなくていいんです。舞踏会はあくまでも音楽に合わせて楽しむものなんですから。それに、女性はある程度、男性のリードに任せればいいんですよ』


 先ほど受けたアドバイスを思い出す。たしかに基本的なステップの繰り返しに、三拍子なので曲がなくてもリズムはとりやすい。後ろに下がるときに足を出すのがぎこちなかったり、回るときはある程度の勢いも必要だというのはよく分かった。


 ただ、ダンスをするうえで必要不可欠とはいえ、異性とくっつかなければならないのはどうも慣れなかった。手を重ね、体を預けながら、回された腕を意識すると、どうしたって動きが鈍くなってしまう。みんな、こんなことをよくできているな、とリラは純粋に感心した。


 そして間もなく自室に到着するというところで、ふと、自分に向けられる視線を感じた。振り返ってそちらを見ると、壁沿いに見慣れないふたりの若い女性が、こそこそと話しながらこちらを見ていた。


「なにか?」


 反応したのはフィーネだった。


「いえ、その方がダンスの練習をされていると聞いて、舞踏会にご出席するつもりなのかと思って。まさか陛下と、なんて思ってませんよね?」


「陛下のお相手はもう決まっていらっしゃると思いますよ。ここ最近、ずっと後宮やどこかのお屋敷に足を運ばれているみたいですし」


「あなたたちには関係ないわ」


 撥ねつけるようなフィーネの声に彼女たちは互いに耳打ちしながら、また笑い出す。


「その見た目だと、誘ってくださる男性もいらっしゃらないんじゃない?」


「せっかく、陛下が久々に舞踏会を開催なさるのに、変に目立たれてもねぇ」


「ちょっと!」


 さすがにフィーネが声を荒げたところでリラが慌てて制した。そして、彼女たちをじっと紫の瞳で見つめる。それが予想外だったのか、彼女たちは居心地悪そうにたじろいだ。


「っ、なに?」


「ご心配、ありがとうございます。ですが、私は舞踏会に参加するつもりも、邪魔するつもりもありませんから、どうかご安心ください」


 深々と頭を下げるリラから飛び出した言葉に、彼女たちは虚を衝かれたような表情を見せた。そしてリラはフィーネを促して、すぐそばにある自室のドアを開けて中に入る。


「なんですか、あれ……」


 ばたん、とドアが閉まった途端、怒りに震えた声が漏れた。そんなフィーネをリラは苦笑しながら宥める。


「しょうがないよ。事実、私みたいな人間が舞踏会なんかに参加したら、彼女たちの言うこと間違いなしだろうし」


「だからって! リラさまは陛下の、いえ、この城の者たちのためにも、わざわざ歩く死者に接触しようとしているのに……って、なんで笑うんですか!?」


 ごめん、ごめん、と言いながらもリラの口元は笑みが浮かんでいた。リラにとってはあれくらいのことは言われなれている。自分は言われてもしょうがない人間だ。だから、彼女たちのことはあまり気にならない。それよりも、こうして自分のことのように怒ってくれるフィーネについつい嬉しくなってしまう。


「ありがとう、フィーネ。あなたがいてくれて本当によかった」


 本心でそう告げると、怒っていたフィーネの顔は違う意味で赤くなった。


「そんな、お礼を言われるようなことはしていませんよ」


 照れているのだろう。それを誤魔化すかのように、リラの服を脱がそうと、自分の仕事を進める。そんなフィーネに気づかれないようにリラはこっそりとため息をついた。


 舞踏会があるから、と思っていたが、ヴィルヘルムがもうずっと自分の元を訪れないのは、後宮やどこかの貴族の令嬢に会いに行っているかららしい。世継ぎを望まれている立場なのだから、それは喜ばしいことで、王としては当然の務めだ。


 分かっているはずなのに、ましてや自分だけ、なんて望むのはとんでもないことだ。頭では分かっているのに心は勝手に痛んで苦しくなる。再びつくため息にはやるせなさも込められていた。

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