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ファーストコンタクトはバルコニーで

「リラさまー。本当に行かれるんですか?」


 泣きそうになりながら、リラの服の裾をちょこんと掴んでいるのは、止めたいからなのか、怖いからなのか、もしくはそのどちらともなのか。弱々しく制止するフィーネにリラは振り返った。


「フィーネ、付き合わせてしまって本当にごめんなさい。あなたはここで待ってて。あとは私がひとりで行くから」


 その言葉にフィーネはなにかを吹き飛ばすかのような勢いでかぶりを振った。さらに裾を持つ手に力が込められる。


「なりません! リラさまをひとりで行かせるなんて!」


 日も沈みそうな夕刻。日中よりも気温が落ちた城内をふたりは歩いていた。フィーネに案内されて、例の歩く死者がでるというバルコニーに足を進めているところだ。案の定、フィーネは乗り気ではなく、何度も考え直すように説得してくる。


 しかし、リラはそれをものともせずに、ついに広間までやってきた。舞踏会は来週に開催予定だ。できればそれまでになんとかしたい。


 大きな扉を開けて広間に顔を出すと、内装の豪華絢爛さに心奪われる間もなく、舞踏会の準備をしていた者たちの視線が自分に集まるのを感じた。その視線の大半は冷たくて余所者に対する警戒心が伝わってくる。


 今の自分の置かれている状況を考えると当たり前で、さらにはこの外見のせいで人目を引くのは今に始まったことでもない。それでも、まったく気にならないほどリラの神経も太くはなかった。自然と前に進んでいた足が止まる。


「行きましょう、リラさま」


 そこで視線から守るようにリラの前に立って先を促したのはフィーネだった。先ほどの怯えた様子はなく、まるで親鳥が雛を庇うかのようにリラを背にやる。きっと恐怖が消えたわけではない。それを必死で抑えながら、リラの前を歩いてくれているのだ。


「ありがとう、フィーネ」


 リラは俯きがちになりながら小さく零した。それに返事はなかったが、フィーネの後ろ姿からひとりではない、という強い励ましの気持ちが溢れていた。


 数あるバルコニーに行くには、広間に備え付けられている階段を登る必要がある。ひっそりと広間から死角になるように設置されている階段は、簡素でお世辞にも広いとはいえない造りだ。


 上ったところは、高い位置から広間を眺めることができるスペースになっており、そこを過ぎてさらに奥に進む。目当ての場所に続く通りは、薄暗く光があまり入ってこない。すぐ近くで何人もの城の者たちが慌ただしくしているとは思えず寂寥としていた。


 しかし、この広間での喧騒を抜けて、こっそりと男女で愛の語らいをするのには、これぐらいがいいのかもしれない。


「リラさま、こちらです」


 ようやく光が差し込んでいるのはアーチ型の大きな窓からだ。そこが扉になっているようで、しばらくは開くことがなかったのだろう。錆ついていたからか、擦れるような軋む音と共に冷たい空気がリラの肌を刺した。


 フィーネをここで待つように告げ、バルコニーに緊張しながらも、足を踏み入れる。そして目の前に広がる光景にリラは思わず感嘆の声が漏れた。


「わぁ」


 そこは、フィーネの話していた通り、バルコニーと呼ぶには勿体ないほどの十分な広さがある。リラはここにきた目的も忘れて、奥の手すりへ駆けると、思わず身を乗り出した。


 手入れを頻繁にしていないからか、元々は真っ白だったであろう手すりも灰色に黒ずみ、苔のようなものもついていた。しかし、今のリラはそんなことも気にならない。


 燃えるような太陽がゆっくりと西へ沈み、世界を茜色に染め上げていた。初めて見る城の敷地は思ったよりもずっと広い。季節柄、やや寂しい色合いをしているが、それでも庭師が丁寧に作業しているのだろう。見事な庭園を一望することができ、リラの心は躍った。


 こんなに世界は広かったんだ、と自分の生きていた環境では知ることのできない光景だった。


 城の大きな門の外には同じような茶色い屋根の建物が並んでいる。この前、少しだけ城の外に連れ出してもらったが、あれはどの辺だったのだろうか。


 風がリラの長い髪を靡かせ、夕日を浴びて銀ではなく金色に輝かせている。夢中になっているところで、ふと背後に気配を感じた。急いで後ろを振り返れば、ひとりの男がそこには立っていた。


 歩く死者――間違いない。金髪の髪を後ろで括り、背が高く、身なりから高貴な身分なのは間違いないだろう。だが、血の気がまったく感じられない顔からは、表情を読むこともできず、ただ不気味でしかなかった。


 そしてゆっくりと男が静かにリラの方に近づいてくる。リラはとっさに身構えるも、深呼吸をして心を落ち着かせてから、男に問いかけようとした。そのときだ、どこからともなく音楽が聞こえてくる。


 恐らく広間で舞踏会のために演奏する曲を練習し始めたのだろう。三拍子のゆったりとした美しい音色が耳に届く。そちらに気を取られたが、すぐに男の方に視線を戻す。すると、男は予想外の行動をとっていた。


 左掌を上に向け、無表情のままリラに差し出している。リラは目を見張った。これがなにを意味するのか、この状況から考えられることはひとつだ。しかし、こんな展開はフィーネからは聞いていない。


 どうするべきか、男は手を差し出したままだ。躊躇いながらも、リラはおずおずと男の手に自分の右手を重ねた。その瞬間、リラの意識は飛んだ。


 リラは自分ではない誰か、おそらく彼を通して、ある女性をその目に映していた。残念ながら顔は分からない。それは自分もだった。


 なぜなら、今日は仮面舞踏会(マスカレード)で、みんな仮面をつけている。舞踏会に初めて参加する自分にとって素顔を晒さなくてすむのは純粋に有難かった。


 元々、体も丈夫ではなく、参加するつもりはなかったのだが、いい年して結婚もしない自分を両親から疎ましがられたのがきっかけだった。そこそこの階級層である両親の元に生まれ、わりと何不自由ない生活を送らせてもらったことには感謝しているが、このときばかりは恨めしく思う。華やかで人が多いとことはどうも苦手だ。ダンスもろくに踊れなければ誘うことさえできない。


 そんな自分に声をかけてくれたのが彼女だった。


『仮面をつけていても顔色が悪いのが分かるわ。具合でも悪いの?』


 そう言って、(ふち)に金の装飾が施された黒い仮面越しにこちらを覗いてくる瞳に、一瞬で心を奪われた。そのまま呆然としている自分の腕を彼女は強引に引いて、このバルコニーに連れて来られる。女性は男性からの誘いを待っているだけの存在だと聞かされていたので、彼女の行動にはかなり驚かされた。


『ごめんなさい、今にも倒れそうだったから、つい』


『いや、正直、あまり体調がよくなかったんだ。礼を言うよ』


 緩く癖のある綺麗な金髪はまとめ上げられ、厚めの唇は赤く妖艶で、くすんだ金色のドレスはやや地味だが、それを感じさせないほどの魅力が彼女にはあった。


 首元には大きなエメラルドが一粒光っている。百合を(かたど)った爪が高貴な雰囲気を醸し出していた。彼女も誰かと踊りたくてここに来たのだろう。


『戻ってくれてかまわないよ。私は少しここで休んでいくから』


 しかし、女性の扱いとやらが分かっていない自分は、これ以上、どうすればいいのか分からず、ぶっきらぼうにそう告げることしかできない。すると彼女は意外にもおかしそうに笑った。


『私も人とお酒に酔ってしまったから、ここで少し休んでかまわないかしら?』


 その笑顔は仮面をつけていても十分に魅力的だった。


 ぽつりぽつりと互いのことを話す。彼女も私と同じように、両親に無理やりこの舞踏会に連れて来られたらしい。彼女がまとめ上げていた髪を解き、軽く頭を振ると煌びやかな金色の髪が惜しげもなく月明かりに晒された。


 広間に居るときは、あんなに時間が流れるのが遅く感じたのに、彼女といるとあっという間に時間が過ぎていく。そして、気づけば最後の曲になっていた。


『せっかくだから、最後にお相手願えません?』


 子どものような笑みを浮かべ、ウインクを投げかけられたが、私は返答に困った。そして恥を忍んで、自分がろくに踊れないことを告げる。すると彼女は大きな目をさらに真ん丸くし、相好を崩した。


『なら、次に会うときに、あなたから私を誘って。あなたと踊れるのを楽しみにしているから』


 また、次の舞踏会にここで落ち合う約束をして我々は別れることになった。このときほど、ダンスのひとつも踊れない自分を悔やんだりもしたが、また次に彼女と会う口実ができたのは嬉しかった。


 それから私は、今更ながらに今まで病弱と言う理由で拒否してきたダンスを学ぶことにした。今まで自分には必要ないと思っていたのに、彼女と踊ってみたくて、彼女を誘いたくて必死だった。


 それなのに、再び舞踏会が開催されることになったあの日、私は高熱を出して床に臥せていた。とてもではないが、舞踏会に行けそうにもない。彼女はどうしているんだろうか、もしかすると、あのバルコニーでひとりで待っているのではないか。


 意識が、朦朧として頭が徐々に働かなくなる。自分が情けなくてしょうがない。悔しい。会いたい。今度は自分から誘うと、彼女と踊ると誓ったのに。それなのに、自分は――




「リラさまっ!」


 今にも泣き出しそうなフィーネの顔が飛び込んできた。その後ろには闇の濃さを徐々に増して夜が迫ってきている。リラは目をしぱしぱさせるながら鈍くなっている思考を取り戻そうと必死だった。


 自分は誰で、ここはどこなのか。


「どこか痛みますか?」


 聞き覚えのある声は男性のもので、そちらにゆっくりと顔を向けると、モノクルの中の瞳が心配そうにこちらを見ていた。ヴィルヘルムの側近であるエルマーだ。


「ここは……」


「覚えてませんか? 例の歩く死者のことを調べるためにここに来たと聞いてます。たまたま広間の様子を僕が見に来ていたので」


 リラが気を失って倒れたあと、フィーネは取り乱しながらも、誰か呼ぼうと階下に急いだ。そこに準備の進捗状況を確認しに来ていたエルマーと鉢合わせしたらしい。リラは再度、瞬きをしてから弾かれるように身を起こした。が、目眩を起こして倒れそうになるのをフィーネが咄嗟に支える。


「リラさま」


 涙混じりの声でリラの肩に触れている手が震えている。そして、エルマーが自分の上着を脱いでリラに掛けた。


「とにかく移動しましょう。ここは冷える。あなたになにかあったら、陛下がなんて言うか」


 フィーネに支えながら立ち上がり、リラは意を決したようにエルマーの手を取った。突然の行動に、エルマーは驚いてリラを振り返る。


「あの、お願いがあるんです。私にダンスを教えていただけませんか?」


 さらにその口から出たのは突拍子もない発言で、おかげでエルマーとフィーネは目を丸くして、お互いに顔を見合わせた。リラの表情は真剣そのものだ。身震いするような風が吹きぬける。残念ながら、今日は月が出ていない。赤に染まっていた世界は、すっかり黒が支配していた。

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