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悪魔のような国王陛下

 ソレが王の元に送られてきたのは、様々な思惑と策略、そしてほんの少しの当てつけだった。運命と一言で片付けるにはあまりにも陳腐で、それなのに、ほかの言葉を必死になって探しても、見つけることができない。


 ならば、やはりこれは運命だったのか。それがいいことなのか、悪いことなのかは、このときはまだ誰にも分らない。




「陛下、いい加減ご自覚ください!」


 必死さが込められている臣下の声を受け、王は軍備予定を記した書類から、鬱陶しそうにそちらに顔を向けた。


「クルト、そう大きな声で言わなくても聞こえている」


「ならば、後宮へ少しは足をお運びください。それも貴方の責務です」


 予想通りの言葉が続けられ、王はその整った顔を歪めた。あからさまに不快そうにして立ち上がると、その瞳の色を模した紺碧のジュストコールが揺れる。袖と裾のところに施された銀の刺繍は見事なものだが、それでも国王という立場を鑑みればいささか地味すぎる。しかし余計なものがない分、王の相貌の美しさは際立っていた。


 コンティネント大陸の北西に位置する独立王政国家、シュヴァルツ王国。その頂点に君臨する若き王は、いつしか悪魔のようだ、と謳われるようになっていた。褒めているのか、貶しているのか。少なくとも王にとってはどちらでもよい。


 流れるような黒髪に、青みがかった深い黒をたたえた瞳は、見るものを凍てつかすような冷厳さがあった。聡明さが滲みでる外見に対し、彼には愛想の欠片も存在しない。しかし、直接王と関わることのない民にとってはそれは大きな問題ではなかった。


 無駄に愛想だけよく、周辺諸国との関係でいいように使われるよりはよっぽどましである。齢二十にして国王となったヴィルヘルムが即位して早三年。王の手腕は、民の暮らしが平穏に過ぎ去ることによって十分に証明されていた。


 そんな素晴らしい王の姿を、民は即位式でたった一度しか見ることが叶っていない。鮮烈な印象をもたらす見た目は、民衆の心に深く刻み込まれた。しかし、残念ながら記憶とは薄れるものだ。王は滅多に民衆の前に姿を現さない。


 そこに不満を抱く者や、どうしてなのかと疑問を抱く者は少なかった。なぜなら、代々の王たちもまた、、その姿を人々の前に現すことは極稀だったからだ。


 大きな問題もないこの国で、民が次に王に望むことはただひとつ、それは――



「陛下、リスティッヒの商人が謁見を乞うています。なんでも陛下に珍しい品を献上したいんだとか」


 不穏な空気が漂う執務室に、もう一人の臣下がひょっこりと顔を出す。彼の名はエルマー。王とそう年も変わらずやや癖のある鳶色の髪をひとまとめにし、右目にはモノクルを装着している。臙脂色の上下服は彼のお気に入りだ。


「女でないならかまわない」


 いつもなら気乗りしないところではあるが、今はクルトからの小言を避けたい。さっさと謁見の間に移動する王の背中を見て、クルトは大きく息を吐いた。それに対し、エルマーは悪戯っ子のように笑う。


「もう女性はあり余ってますしね」 




(おもて)を上げろ」


 玉座の高い位置から、額が擦り減りそうなほど床に頭を下げている男たちに声をかけた。リスティッヒは小さい国ではあるが、代々付き合いのある間柄だ。無下にするわけにもいかない。多くの国を渡り歩き商人としての活動が盛んである。


 中年の男二人組は(うやうや)しく頭を上げると、王の顔をまじまじと見つめた。その視線は不快ではあったが、わざわざ顔を背けたりはしない。


「このような突然の訪問にも関わらず、謁見の機会を設けてくださり、身に余る光栄でございます」


「御託はかまわない」


 ぴしゃり、と跳ねのける言い方に男たちは顔を見合わせながら、さっさと本題に入ることを決めた。彼らが持ってきていたのは、大きな巻物のようなもので、相当の大きさがある。二人で担いできたであろう大きな布は珍しい絨毯か、織物か。しかし、予想は外れた。


 それを広げるように引っ張ると、中から出てきたのは人間だったのだ。そのことに驚いたのは王だけではなく、そばで控えていたクルトとエルマー、他の家臣たちもだ。


 少女と呼ぶには、もう少し年齢が上であろう。二十にならないくらいの若い娘だ。腰まである長い銀の髪がもつれるようにして揺れ、透き通るような白い肌のおかげで、粗末な布一枚で作られた服の方がはっきりと色づいて見えた。


 けれども、その表情はまったく分からない。なぜなら彼女は目隠しをされ、声を立てないためにか、布を噛まされている。後ろ手に縛られている姿はなんとも痛々しい。


 抵抗するでもなく、生気をまったく感じさせなかったが、かすかに上下する胸元に視線をやり、少しだけ安堵した。


「リスティッヒは、いつから人身売買を行う国になったんだ?」


 これでもかというくらいの非難の色を声に乗せる。いくら王とはいえ、他国の決まりまで、口を出す権利はない。だが、自分への贈り物として側室を宛がうつもりなら、なんとも乱暴なやり方だ。それを聞いて、男たちは、口角をにんまりと上げた。


「とんでもございません、陛下。これは人間ではないのですから」


 きっぱりと言い切る男に王は眉根を寄せる。そして、もうひとりの男に目で合図を送ると、男は女を強引に座らせ、その目を覆っていた布を解いた。瞳は固く閉じられたままで、男が耳元でなにかを囁くと、女は苦悶に満ちた顔になった。どこか痛めつけられたのか、渋々とその瞼を開ける。


 その瞳が姿を現したとき、王は自分の目を疑った。それを顔には出さないようにもするも、彼女の瞳の色は初めて見るものだった。紫――アメジストを彷彿とさせるその瞳は、王の姿を一瞬だけ捉えると、すぐに伏せられた。


「これは悪魔と契約した魔女か、異形の者です」


「だとして、これが私を本当に喜ばすとでも?」


 皮肉混じりに尋ね返すと、男たちは再び、床に這うように頭をつけた。


「陛下が、どんなに美くしく、位の高い女性を後宮に迎え入れても足をお運びにならない、とお聞きしましたゆえ、このようなものを思いつきました。これに遠慮することはありません、陛下のお好きなように慰みものにでもなりましたら、と差し出がましいことを願いまして」


 今度こそ、王は誰が見ても分かるほど、嫌悪感を(あらわ)にした。もちろん、平伏している商人たちには見られていない。そばで控えている臣下たちも同じような表情だ。クルトは厳しい顔で首を横に振っている。


 突き返せ、という意味なのはすぐに理解できた。もちろん、そのつもりだ。断わりの文句を告げようと、唇を動かそうとしたそのときだった。一瞬だけ、女と目が合ってしまった。まったく感情が読み取れないのに、魅せられるような紫に、捕らえられる。


「お気に召されなければ、引き取りますゆえ」


 男の声に我に返る。女はとっくに顔を伏せていた。


「……礼を言う。下がってかまわない」


 その言葉に、クルトが信じられない、という顔をして天を仰いでいるのが視界に入った。エルマーはどこか楽しそうだ。商人たちは、再度頭を丁寧に下げて、ゆっくりとその場を辞した。


 残された娘は、なにも言わず、俯いたままだ。ここでようやくヴィルヘルムはじっくりと女に視線をやる。


「名はなんと言う」


 静かな問いかけに対し、なんの反応も返答もない。王の問いかけに答えないなど、ありえない行為だ。しかし、腹を立てることでもない。


 ヴィルヘルムは女性の使用人たちに、娘を客間の一番小さな部屋に連れて行くように申し付けた。さすがに後宮にとはいかない。怯えるように娘に近づく者たちに、彼女の身支度を整えるようにと、さらに付け加えた。




「どういうつもりですか、陛下!」


 先ほどよりも厳しいクルトの声が飛ぶ。ただでさえ、目つきが悪く、背も高い悪人面なのに、今はそれをさらに凶悪にさせている。王よりも七つ年上で、幼い頃から王の教育係としてもずっとそばで仕えてきた。いわば腹心中の腹心だ。


「それにしても、困りましたね。まさか陛下の世継ぎ問題が国外にも広まっているなんて」


 エルマーがおどけた調子で言うが、その目は真剣そのものだ。おかげで、激昂したクルトも咳払いをして我を取り戻す。


「まったくです。このようなことが今後、ないとも限りません。彼女の処遇に関しては、後ほど考えるとして、問題はやはり陛下の世継ぎ問題です。せめて後宮に足を運んでいただかなくては。治世も落ち着き、民は世継ぎを望まれています」


 早口で捲し立てられ、ヴィルヘルムは頭を抱えた。見目もよく、政治手腕にも長けているこの王の唯一の問題点は、他を寄せつけない冷たい態度ではない。即位してから三年がたった今も、世継ぎを真剣に考えないことであった。


 結婚が先か、世継ぎを作るのが先か、それはこの国の王家にとっては重要な問題ではない。王政を貫く限り、必要なのはその血を残していくことだ。他国の王室の血縁者でも、自国の貴族の娘でもかまわない。


 臣下たちの必死の訴えも、民衆が望んでいることも分かっている。ヴィルヘルムは、王としての使命も自覚も十分にある。女が欲しくないわけでもない。ただ、どうしてもその気になれないのだ。


 国王としての誇りもあるが、しがみつくつもりもない。それでも、自分に与えられた責務は責任をもってこなすつもりだ。そこに世継ぎの問題がこれほど大きくなるなんて。


 まだまだなにか言いたそうなクルトが口を開こうとしたのと同時に、「陛下!」と自分を呼ぶ女性のけたましい声が響いた。おかげでその場にいた三人の視線が一気にそちらに集中する。慌てた様子の女官が息を切らしてこちらに駆けていた。


「どうした?」


「お話中のところ、申し訳ありません。実は先ほどの女性が……」


 彼女を通すように、と告げた客室はなにやら悲鳴にも似た叫び声が響いていた。顔面蒼白または興味半分、と様々な表情を浮かべた家臣たちが部屋の外から中を窺っている。そして、王たちの姿を見た者から順に黙り、道を空けて頭を下げた。


「なんの騒ぎだ?」


 クルトが尋ねると、一人が頭を下げながら早口で捲し立てる。


「はい。陛下に申し付けられたよう、彼女を部屋に案内し、口と手に宛がわれていた布を解きましたら、いきなりご自分の目を潰そうとなさいまして」


 その発言にエルマーが微妙な表情をして、クルトは眉間に皺を刻んだ。中を見ると、彼女の両腕を二人がかりで押さえつけ、彼女はその腕を振り払おうと必死にもがいていた。


「おやめください!」


 耳元で叫ばれる声などものともしない。しかし、そこにヴィルヘルムたちが現れたことで、家臣たちの気が逸れた。その隙をついて、娘が自分を捕えていた腕を振りほどき、その手を目にやろうとしたした……瞬間、クルトが素早く剣の鞘を抜き、その柄の部分で彼女の急所を捉える。


 痛みで顔をしかめたかと思えば、がくりと項垂れた彼女をエルマーが支えた。銀髪が重力にしたがって落ちていき、彼女の顔を隠す。


「いやあ、クルト先生の剣技はいつ見ても惚れ惚れしますね」


「それは、どうも。しかし陛下、どうなさいますか?」


 剣を鞘に収め、クルトがヴィルヘルムに視線をやる。周りを見渡してから、ヴィルヘルムは表情ひとつ変えずに指示をした。

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