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第五章 それぞれの戦い

 その日は土曜日。授業は午前中しかないから、昼は放課後で、部活動に残る生徒の数は多い。最近の神隠しのせいで普段は学校に残れない生徒たちも、今日は存分に部活動に打ち込める。教師たちも、この日ばかりは注意の声を緩めて、生徒たちを大目に見ている。

 夏弥(かや)も美術室に来て、しっかりと部活動に励んでいる。他の生徒たちの姿はない。本来美術部は土曜日の部活動を行っていない。だから、午後二時を回って美術室に残っているのは、夏弥しかいない。

 その夏弥の絵を、興味深そうに眺める人が夏弥以外に一人いた。

「へー、綺麗な絵ね」

 風上美琴(かざがみみこと)は夏弥の隣に立って、覗き込むように絵画を見ている。まだ学校にいるので、美琴はいつもの教師の恰好をしている。

 感心したように、美琴は何度も頷く。

「いつも思うけど、夏弥って器用なのね」

 他意のない、率直な感想を漏らす。

 夏弥は笑って、応える。

「美琴姉さんは、どっちかっていうと大雑把(おおざっぱ)だよね」

 ムっと、美琴は口を(とが)らせる。

「なによ。大雑把って。これでも剣道五段よ」

 全く関係ない主張をする美琴。

 そんな反応がおかしく、夏弥は笑う。

 それで機嫌を直したのか、美琴は美術室の時計へと目を向ける。

「さて、そろそろ見回りに戻らないと。じゃあね、夏弥。早く帰るのよ」

「はーい」

 美琴が出て行った後で、夏弥は一息吐く。

「ふー」

 今日は土曜日。さすがに夕方までは残れないので、学祭に出す絵は描けない。今日はさっさと帰って買い物にでも行こうと、夏弥は片づけを始める。

 美術室の扉が開いたのは、夏弥が立ち上がろうとする、その直前だった。

「まだ残っていたのかい?雪火(ゆきび)くん」

 声をかけられて、夏弥は顔を上げる。

 背丈は夏弥と同じくらい、品のいい口元に、少し癖のある髪。気持ちに力が入ると少し目が大きくなって、早口になる、典型的な激情タイプだが、決して悪い人ではない。遊び人のような雰囲気があるが、実際口説いた女と、落とした女性の数はハンパないと噂で聞いている。美術部部長とはまた違うタイプのイケメンだ。

竜次(りゅうじ)先輩」

 水鏡(みかがみ)竜次。二年生の先輩で、夏弥と同じクラスの水鏡(あき)のお兄さんだ。水鏡の関係で、竜次とは会えば話をするていどの仲だ。

 竜次の右手にはビーズのブレスレットがついているのを夏弥は知っている。妹である水鏡の趣味だそうだ。

 竜次は夏弥のすぐ隣まで歩いてくる。

「学祭に向けての準備かい」

「まー、そんなところです」

「どれどれ」

 夏弥の隣から、竜次は目の前のキャンバスを覗き込む。

「上手いものだね。さすが美術部、といったところか。山の緑、光と影のコントランス。素晴らしい色合いだよ。美術に関して、僕は専門家じゃないからこのくらいしか言えないけれど、この絵が芸術作品であることは確かだ」

「ありがとうございます」

 竜次は普通とは少し違った言い方をする。どこか気取っているというか、高貴な雰囲気がある。けれどそこに悪意がないから、聞いていて不快はない。

 竜次は顔を上げて夏弥に訊ねる。

「さっき誰かと話していたようだったけど」

「風上先生です」

「ああ、雪火くんの担任の。そうか、風上先生がこの棟の見回りなのか。じゃあ、もう少しここにお邪魔させてもらおう。僕も折角部活をしに来たのに、すぐ注意されるのは嫌だからね」

 竜次は近くの椅子を引き寄せて座る。

 夏弥は竜次の言葉に引っかかるものを感じて訊いてみた。

「竜次先輩は、なにか部活していましたか?」

 竜次は前髪を直して答える。

英語研究会(イー・エス・エス)。といっても、部員は僕しかいないんだけど。一応、部としては認可されているんだ。顧問は教頭先生だし。でも、教頭先生もほとんど顔を出さないから、僕の自由で部活をやっている。だから、部活の時間や曜日も決まっていない。僕が部活をやりたいと思えば、その瞬間から部活が始まるのさ」

 一つ一つの言葉に手振りを加えながら竜次は答える。その役者のような動作に夏弥はつい目がいってしまう。

「一人って、大変じゃないですか?」

 竜次は肩を(すく)める。

「気楽なものだよ。僕も好きで始めたことだからね。むしろ自由度が高くて今のままで十分なくらいだ。雪火くんもないかな。一人のほうが落ち着いて、集中できる、ってこと」

 夏弥は頷く。

「わかります。俺は美術部なんで、一人のほうが集中して絵が描けます」

 うんうん、と竜次は何度も頷く。

「部活とはこうあるべきだと思わないか?」

 竜次の目がわずかに大きく開く。

「部活とは本来、生徒たちの自主性によって行われるものだ。そこに大人が介在(かいざい)するなんて、ナンセンスだよ。バスケ部や卓球部、水泳部なんかを見ると、大人(コーチ)練習(メニュー)を組んで、生徒たちは言われた通りに動いている。あれでは、なんのために部活をやっているのかわからない。あくまで、生徒たちが部活をやっているのであって、大人のためにやっているわけではないのだからね。もっと、生徒一人一人が意思をもって、それを尊重するべきだと思うんだ」

 納得できたので、夏弥は竜次の言葉に頷いた。

「確かに、そうですね。うちの部活も顧問の先生がいるらしいけど、ほとんど部長が仕切っています。まあ、その部長も放任主義なんで、部員がそれぞれに好きなように活動している感じですけど」

「それが本来の部活の姿だよ。雪火くん。人間は自分の意思で行動しなければいけない。誰かに言われただとか、誰かに言われないと動けないようでは、人間は人間ですらなくなってしまう」

 竜次はよく、真面目な話をする。

 始まりはなんてことのない、普通のはずだったのに、気づけば哲学的というか、思想じみた話になっている。

 特に嫌い、というわけでもないので、夏弥は真剣に竜次の話を聞く。竜次の話は、一つ一つ考えさせられて面白い。

 竜次は無駄のない動作で携帯電話を取り出して時間を確認する。その動きは、貴族が懐中時計を取り出すのと似ていた。

「さて、そろそろいいかな。雪火くんはまだ絵を描いているのかい?」

 夏弥は首を振る。

「いえ。そろそろ帰ろうと思ってたんです」

 竜次の顔がわずかに(くも)る。

「そうか。足止めしてすまなかった」

 いいえ、と夏弥は首を振る。まだ昼間だから、どんなに遅くなっても買い物はできる。遅くなっても特に困らないし、むしろ貴重な話ができて少しだけ満ち足りた。

 竜次は立ち上がってズボンを軽く払う。別段、椅子が汚れていたわけではないのだが、竜次はよくそうする。見慣れていたので、夏弥も特別気にならない。

「竜次先輩はどこの教室を使うんですか?」

 竜次はぴんと指を立てる。

「そろそろ英語の弁論大会があってね。発声練習もしたいから、屋上でやろうと思ってたんだ。教室ではどれくらい声が響くかわからないからね。それに、外なら気にすることなく大声を出せる」

 竜次は美術室の扉を開けて廊下に出ると、振り返って夏弥に手を振る。

「じゃあ雪火くん。気をつけて帰れよ」

 はい、と夏弥が頷くと、竜次は笑顔で扉を閉めた。

 遠くで階段を上る音が聞こえる。竜次の英語弁論の練習を聞いてみたい気もしたが、邪魔したら悪いと思って、夏弥は片づけをすませてすぐに帰ることにした。


 運動場では部活をしている生徒たちの姿が見える。購買部のほうへ行けば、昼食をとりながら友達同士で盛り上がっている。

 いつもならすぐに帰ってしまう生徒たちも、授業が午前中だけということもあって、かなりの数が残っている。夏弥は久し振りに放課後の風景を見た気がして、少しだけ心が(いや)される。

 学校が終わって、仲間と一緒に笑い合う。学校に残って校庭で遊んだり、教室に残ってなにげないことを話す。帰り道にゲームセンターに立ち寄ったり、目的もなく町を歩いたり――。

 そんな日常が、いつまでも続いてくれればいいと願う。

 そんな日常が、かけがえのない幸せ。

「よお」

 校門を抜けた瞬間、背後から声をかけられて夏弥は立ち止まった。

 他に人の姿はない。呼ばれたのは自分だと、なぜか確信がもてた。

 振り返って、夏弥は思考が止まった。

 ――男だ。

 夏弥を襲った、男――。

 この辺りでは決して見ることのない学ランを身につけ、大きめのサングラスをかけている。目は見えなくても、その好戦的な口元、なにより男で髪を縛っているなんて、見間違えるはずがない。

 男は寄りかかっていた校門から立ち上がって、夏弥の前に立つ。二人の距離は、およそ三メートル。

「おいおい。俺がせっかく声をかけてやったんだ。返事ぐらいしろよ」

 男の眉が不服そうに釣り上がる。

 今すぐにでも喧嘩を始めそうな、荒っぽい声。

 夏弥は精一杯の強がりで、返事をする。

「なんの用だ」

 険のある目で、睨み返す。

 男はサングラスをかけているので、相手の表情は窺えない。サングラスをかけているだけで、相手に気圧されそうだ。だから、夏弥は負けないように精一杯の意地を張る。

 途端に、男は笑う。そう、口元は笑っている。

「まあ、そう身構えるな。別に俺はおまえとやり合うために来たわけじゃない」

 夏弥は、しかし男の言葉が信用できず、まだ緊張を解かない。

「じゃあ、なんだよ」

 男は口をへの字に曲げる。

「疑り深いやつだな。それとも、ビビってるのか。安心しろ。俺はおまえに手を出さない。俺はもうあの女に負けたんだ。いまさら、楽園(エデン)に未練はない。まあ、少しばかり惜しい気はするが、俺も魔術師として生まれた以上、魔術師の矜持(プライド)ってもんがある。負けて寝込みを襲うなんて、そんな姑息(こそく)なことはしない」

 夏弥は、そんな説明をされてもこの男が信用できない。現に、夏弥はこの男に殺されそうになっている。

「じゃあ、おまえは、あの事件に関わっていないのか?」

「なんだよ。あの事件って」

「最近この町で起きている、神隠しだよ」

 男はさらに訊き返す。

「なんだ、それ」

 夏弥も苛立って、説明する。

「行方不明者が出ているんだ。この町に。しかも、かなりの数だ。犯人の目撃情報がないから、いまだに犯人も特定できず、警察は捜査中。今、この町で行われている楽園(エデン)争奪戦に参加している誰かの仕業って聞いているけど、おまえは知らないのか?」

 男は不服そうに口元を曲げる。

「知らないな。俺はこの町の人間じゃないから、内情なんて知らない。それに、俺はそんなことやってない。……もしおまえを襲ったことを根にもってるなら、俺はおまえにしか手を出していない。欠片さえ見られなけりゃ、おまえを襲う理由だってなかったんだ」

 男は本気で知らないようだった。

 夏弥もこれ以上の追及はしなかった。

「そういうことにしておく。で、なんの用だよ」

 男はようやく本題に入ったとばかりに、口元に笑みを浮かべる。

「――おまえ、あの女と殺し(やり)合うんだろ」

 ずきり、と胸の奥に刃物を刺されたような痛みが走る。

 男の言葉はさらに続く。

「話していたじゃねーか。一ヶ月後、勝負するんだってな」

 男と栖鳳楼(せいほうろう)が戦った、あの夜。

 二人の勝負に決着がつき、なぜか男の刻印は栖鳳楼ではなく、夏弥の腕に宿った。それは、楽園(エデン)が夏弥を選んだことを意味する。

 その夜、夏弥は栖鳳楼から勝負を申し込まれた。戦いは一ヶ月後、男と栖鳳楼が戦ったのと同じ時刻、同じ場所で。

 夏弥は嫌な動悸(どうき)を抑えながら言葉を吐き出す。

「あくまで、勝負だ。殺し(やり)合うわけじゃ……」

「殺し合いだよ」

 男の言葉が、胸を刺す。

 喉を締めあげられているような、苦しさ。

 それは死刑宣告のように、重い。

 男の容赦のない言葉は続く。

「おまえがどう思ってるか知らねーが、あの女はおまえを殺す気だ。――俺を殺そうとしていたようにな」

 夏弥の首筋に、ナイフを当てられたような冷たい感触が走る。

 聞きたくなかった。

 知りたくなかった。

 そんな、事実(こと)

「おまえは気づいてなかったかもしれないが、おまえさえ邪魔をしなければ、あの女、俺を殺していた」

 サングラスの奥で、見えない男の瞳が鋭さを増す。

「おまえ、この戦いの意味がわかっていないのか?楽園(エデン)争奪戦、これは戦争だ。魔術師(まじゅつし)の全てを賭けた、な。敗者を生かす?負けて生き延びる?はっ。そんな一般常識が通じるかよ。魔術師の戦いだぞ。魔術師にとっての勝ち負けってのは、――――――生きるか死ぬかなんだよ」

 勝負は、生死。

 勝者は生きて、敗者は死ぬ。

 それが当然であるかのような、摂理。

 夏弥は目眩(めまい)に耐えるのに必死だった。

「……それでも」

 夏弥は腕に力を込める。

 そうしていないと、自分を保てそうになかった。

「それでも、俺は誰も殺さない。殺させない。俺は栖鳳楼を人殺しにはさせないし、俺も栖鳳楼や他のやつを殺すなんてこと、絶対にしない」

 そう、信じたい。

 人殺しは、いけないこと。

 そんな簡単に、人殺しが起こっていいわけがない。

 ――言葉にするのは。

 言葉にしないと人殺しが簡単なことのように思えて――。

 男は馬鹿にしたように口を曲げる。

「――ガキが」

 あまりに簡単な言葉に、夏弥の頭はかっと熱くなる。

「なんだと……!」

 反射的に吐き出して、しかし男にはその怒りが届かない。

「おまえ、本当に魔術師らしくねーな」

 男は溜め息混じりに呟く。

「あのときは俺の呪術(じゅじゅつ)を解呪したから、てっきり魔術師かと思ったが、今のおまえからは魔力を感じない。おまえ、本当に魔術師か?いや、それは間違いないか。気にいらねーが、楽園(エデン)が選んだんだからな。問題は、あのときどうやっておまえは俺の呪術を解呪したかだ」

 そんなこと、夏弥は知らない。

 夏弥はなにもしていないし、呪術をかけられていたなんて思ってもいなかったからだ。気づいたら男のナイフが刺さっていて、父親からのお守りが途中にはさまっていたから、助かったようなものだ。

「おい。答えろよ。こっちは真面目に訊いてんだ」

 夏弥は乱暴に答える。

「俺は、なにもやってない。偶然親父のお守りが間にあって、それで助かったんだ」

 男の口元が(ゆが)む。サングラスに隠れて目は見えないが、気になっているようだ。

「それ、今持ってるか?」

「ああ」

 男は手を差し出す。

「見せてみろ」

「…………」

 夏弥はすぐに答えない。

 男はさらに手を突き出す。

「心配するな。別に()ったり、壊したりなんかしねーよ」

 夏弥は迷った。この男に父親のお守りを見せていいものかどうか。

 夏弥はこの男を信用していない。仮にも自分を殺そうとした相手だ。簡単に信用できるわけもない。

 男に渡して、なにもされない保証はない。

「……」

 夏弥は懐から父親のお守りを取り出した。夏弥も、なぜあのとき自分が助かったのかを知りたい。魔術のことをよく知らない夏弥だが、あのとき本当に男が呪術をかけていたなら、このお守りはその呪術から夏弥を守ってくれた。

 父親が本当に魔術師だったのか、夏弥は知りたい。

「……死んだ親父の形見だ。なにかしたら許さないからな」

「どれ」

 男は夏弥から受け取ったお守りを興味深そうに眺める。あの夜、ナイフで切れたお守りはその後に夏弥が裁縫をしたので穴は(ふさ)がっている。

「……………………」

 男は空に掲げて、透かすようにお守りを凝視する。

「………………」

 長い間、男は黙り込んで真剣に夏弥のお守りを観察する。

 あまりの静寂に耐えかねて、夏弥は声を上げる。

「……なんだよ」

 男は夏弥には目を合わせず、答える。

「おまえの親父さん、大した魔術師だな。俺の呪術で魔力を消費しているが、維持魔力が生きてるから自己崩壊も起こしていない。こんな小さなもので、かなり複雑な術式構造をしている。外部刺激に応じて選択反応ができるんだろうな。魔力さえあれば、どんな魔術にも対抗できる。が、俺にはさっぱりこの構造がわからねぇ。たぶんこいつに魔力を注げるのは、作った本人だけだろうな」

 男は夏弥にお守りを差し出す。

「まだ大事に持っとけ。あと一回くらいはもつ」

 夏弥はお守りを受け取って、改めて父親の形見を見つめる。神社で売られているものと大して変わらない、普通のお守りにしか見えない。

 男は髪をかき上げるふりをしながらサングラスを直す。魔術師にとって、魔具(まぐ)は難易度の高い魔術だ。魔術を発動するだけなら、術式を組んで魔力を注ぐだけでいいが、魔具はその上からさらに維持魔力を注いでその存在を世界に固定する。魔術とは科学に比べて不安定で、魔力を失ってはこの世界に存在し続けられない。

「そんだけ大した魔術師を父親にもってるんだ。おまえだって魔術について少しくらいは習っただろ」

 夏弥は首を振る。

「いや、全然」

「はぁ?」

 夏弥は正直に答える。

「魔術について、俺は親父からなにも教わっていない。魔術のことを知ったのだって、つい最近なんだ」

 夏弥の言葉に、男は少しだけ考える。

 夏弥の持っているお守り、その魔具を作ったのは相当腕の立つ魔術師だ。あらゆる魔術に対応できる複雑な術式構造をしていながら、その維持魔力は低出力ですむから何度でも使える。その構造さえ解明できれば、あとは維持魔力だけを注いで半永久的に使用できる。

 それだけ高度な魔術を持つ魔術師が、その子どもに魔術を教えないなんてことがあるだろうか。

 魔術師とは真理を追究する研究者。真理の道は遠く、一代で到達できるものではない。だから、魔術師は家系を大事にする。一代ではなしえないことを知っているから、己の(つちか)った魔術を子どもに引き継ぐのだ。

「まあいい。それじゃ、おまえがあの女と勝負するまで、俺がきっちり魔術の指導をしてやる」

 夏弥は反発する。

「なんでそうなるんだよ」

 男は当然のように答える。

「俺はあの女に負けたが、おまえには負けていない。それに、おまえの刻印は元々俺のものだ。魔術も使えねーで無様に負けるのだけは許さねーからな。せいぜいあがいてあがいて、必死に戦ってボロボロになったころに負けるおまえの姿を見るまで、おまえの面倒をみてやる。ありがたく思え」

 男のあまりの尊大な態度に、夏弥は怒る。

「誰が……!」

 おまえなんかに、と言いかけて、男の言葉がそれを(さえぎ)る。

「俺の決定だ。簡単に負けられたら、俺の気がすまねーんだよ。いいから、俺の言うこときいておけ」

 歩き出そうとした男は、不意に立ち止まって、振り返る。

「ああ、そうだ。自己紹介がまだだったな。俺はロキ。道路の()に、貴族の()で、路貴(ろき)だ。おまえは?」

 その男、路貴は、悠然(ゆうぜん)と名乗る。

 夏弥はしばらくして、その問いに応える。

「カヤ。夏に、弥生(やよい)で、夏弥」

 路貴は歯を見せて笑う。

 悪意のない笑み。

 魔術師として、生死に浸りすぎた獣の愉悦(ゆえつ)

「じゃ、行くぞ」

 路貴は夏弥に背を向けて歩き出す。

 今は土曜の昼。生徒たちの多くは部活動に励み、道の上には夏弥と路貴の姿しかない。今この男の後をついていったら、誰も夏弥の行方を知る者はいない。

 夏弥が躊躇(ちゅうちょ)していると、男は振り返って大声を上げる。車さえ通らない道の上で、その声はよく響く。

「おい、なにやってんだ。さっさとついてこい」

 仕方なく、夏弥は路貴の後を追う。路貴から一メートルくらい後ろで、路貴はかまわず先頭を行く。

 殺そうとした者。――殺されそうになった者。

 刻印を奪われた者。――刻印を奪った者。

 生粋の魔術師。――新たに魔術師になった者。

 戦いに生きる者。――戦いに巻き込まれた者。

 ――運命は無情に。

 それぞれの戦いが、始まる――。


 夏弥を殺そうとした男――路貴――は、いきなり夏弥の前に現れて、場所も告げずに夏弥を導く。二人の間に会話はない。路貴は必要最低限――も言えているのか微妙だが――しか話さないし、夏弥のほうも路貴と口を()こうとは思わない。

 当然だ。

 ついこの間殺されそうになって、そして今日は校門の前で待ち伏せされていた。もう夏弥に手出しはしないと言っていたが、そう簡単に信用できるわけがない。

 ――だって。

 相手は魔術師だ――。

 三〇分は()った。少し傾斜のある道をひたすら上り続ける。活気のある町の風景から離れて、昔ながらの個人営業の店が目立ってくる。道端には田んぼも見えて、町中では見られない景色だ。

 路貴は神社の中へ入っていく。ここは戦国時代の武将を神様として(まつ)っている。神社は城跡から作られているため、神社の周りには堀があって、中には数か所にわけられた橋を渡らないと入れない。木々が生い茂り、外から中の様子を(うかが)うことはできないが、昔は外見櫓(そとみやぐら)があって、そこから敵の進攻が見えたらしい。

 深い緑に覆われて、外にいたときに比べて中はひんやりと冷たい。正月のときこそ人で賑わうが、なんの祭りごともない土曜の昼間に人の姿はない。

 男は本堂から外れて、地面がむき出しになった道を行く。町中では珍しい、黒く湿った土が柔らかい。

 奥のほうに入って、路貴は立ち止る。

「じゃ、早速特訓にするか」

 夏弥は辺りを見回す。見えるものは木と土だけで、他にはなにもない。

「で、こんなところでなにをするんだ?」

 三〇分も歩かされた不満と、路貴に対する警戒心から、夏弥の言葉は自然と乱暴になる。

「まずは、こいつだ」

 路貴は腰にさしていたものを夏弥に向かって放った。一メートルくらいしかないただの鉄の棒、にしか見えない。

「それで一時間、素振りしろ」

 路貴の命令に、夏弥は意味がわからず顔を歪める。

「はぁ?」

「素振りだ。わかるだろ。そいつで、一時間だ」

 簡潔に、それだけ告げる。

 その意図が読めず、夏弥は反射的に反抗する。

「なんでそんなこと……」

「いいからやれ。そうすりゃ、おまえに魔術が使えるかどうかわかる」

 そう言われても、夏弥には納得できない。

 だが、路貴の決定が揺るがないのも、また事実だ。

「一時間経ったら戻ってくるから、それまでサボるんじゃねーぞ」

 路貴は軽く手を振って、その場から立ち去った。残されたのは夏弥と、夏弥の手に納まった鉄の棒だけだ。

「なんなんだ。あいつ」

 わけがわからず、夏弥はしばらくなんの変哲(へんてつ)もない棒を眺めていた。


 路貴は吸い終わったたばこを足元に捨てる。靴で火のついたたばこを踏みつけると、たばこは跡形もなく消えていた。

 路貴は夏弥とは反対側の神社の奥側にいる。お守りやおみくじを売っている裏側で、祭りのときには人手があるが、今はその姿も見られない。

 路貴はもう一本たばこを取り出してライターで火をつける。たばこを口にくわえながら、路貴は腕時計に目を向ける。金色に装飾された時計盤の中にはローマ数字で時間が刻まれている。

「そろそろか」

 路貴はたばこを捨てて足で踏み潰す。路貴の足元にはたばこはない。捨てるたびに足で踏みつけて、魔術で他の人間には見えないようにしているからだ。

 路貴は自分の体の周りに魔術を施す。他の人間にたばこの臭いを気づかせないためだ。あくまで臭いを気づかせないだけで、臭いそのものを取り除いているわけではない。路貴にとって、物質を消すより他人へ暗示をかけるほうが簡単だからだ。

「まだ立っていられたら、御の字か」

 路貴は夏弥の元へと向かう。

 夏弥を一人にしてから、三〇分が経った。そろそろ様子を見ておいたほうがいい。

 路貴が夏弥に渡した鉄の棒。あれは路貴の家に伝わる魔具〝奪帰(だっき)〟。触れた者の魔力を吸収する効果がある。

 効果というよりは、呪いに近い。

 触れたものから、際限なく魔力を奪い尽くす。

 魔術の訓練が行き届いているものなら、吸収される魔力の量をコントロールできるから問題はないが、制御ができなければどんなに魔力をもつものでも三〇分で足元がふらつき、魔力の少ない一般人なら三分ほどで倒れ込む。

 初心者には使わせられない、危険な魔具だ。

「まあ、ぶっ倒れても魔力以外のものはなにも奪わないから、そんなに心配することはないんだが」

 自分自身に言い訳しながら、路貴は夏弥の様子を窺いに向かう。

 木の陰から、そっと夏弥のいるべき場所を覗いてみる。

「…………」

 夏弥は、まだ立っていた。

 それどころか、まだ素振りを続けている。

 息は荒れている。当然だ。魔力はその人の生命力に非常に近い。急激に奪われれば、体力も落ちる。しかも素振りなんてしているから、余計に魔力の減りは早い。

 ――それなのに。

 夏弥は、まだ素振りを続けている――。

「……魔術師としての才能はあるみたいだな」

 呟きながら、路貴は戦慄(せんりつ)する。

 魔術を使えない初心者が奪帰で素振りをするなんて、はっきり言って無茶だった。路貴としては、時間もないし、荒療治のつもりだったが、夏弥にはちょうどいいくらいのようだ。

 ――それは、必然的に。

 夏弥の中には想像以上の魔力が秘められていることになる――。

「…………」

 路貴は音を立てずに、その場から去った。夏弥との約束には、あと三〇分はある。その三〇分も、夏弥は難なくこなせそうだ。

 路貴は元の場所に戻ると、たばこを取り出して火をつけた。たばこをくわえていないと、震えが止まりそうになかった。


 夜になった。

 栖鳳楼家では夕食の準備が始まっているが、それは下々の仕事である。栖鳳楼家次期当主、栖鳳楼(あや)は午後の習い事を終えて浴場で汗を流している。

 広さは高級旅館の浴場と同じほど。外に出れば露天風呂もあるが、栖鳳楼は使わない。一般家庭のタイルとは違い、周りは石が埋め込まれている。

 栖鳳楼は体を洗ってから浴槽(よくそう)に浸かる。石のオブジェからは水が流れ続け、とても個人がもてる代物とは思えない贅沢(ぜいたく)さだ。

「…………」

 栖鳳楼は湯船の中から右手を出した。白い手の甲には禍々しい模様が刻まれている。

 〝刻印〟――――。

 楽園(エデン)争奪戦の参加者たる証。

 魔術師として、世界に最も近いところへ到達できる栄誉。

 ――しかし。

 栖鳳楼の顔は暗い――。

 ガラガラ、とすりガラスが開いて、向こうから潤々(うるる)が笑顔で覗き込む。

「アーちゃん。そろそろご飯ができるよ」

 栖鳳楼は慌ててお湯の中に右腕を突っ込んで振り向く。

「わかった。もう少ししたら出るわ」

 潤々はにっこりと微笑む。

「着替えもおいておいたからね」

 ガラガラ、とすりガラスが閉じる。ガラスの向こうで、潤々が去っていく影が見える。

 栖鳳楼は肩まで湯船に浸かる。

「ありがとう」

 誰にも聞こえないように、そっと呟く。

 お風呂から出て夕食をすませると、栖鳳楼は自分の部屋にこもった。

 栖鳳楼がいるのは、栖鳳楼家の敷地内の中でも本家と呼ばれている大きな屋敷だ。栖鳳楼の部屋は本家一階、東の裏庭側。西側は食堂と庭園。二階には栖鳳楼家当主のための部屋と書斎、資料室など重要な部屋が用意されているが、今は誰も使っていない。現在の当主である栖鳳楼公嗣(きみつぐ)は、栖鳳楼家奥の館、隠居の間で暮らしている。父親である公嗣が表に出ることはもうなく、本家のほうに顔を出すのは正月のときくらいだ。

 本家の話し合い、正月のときも、栖鳳楼礼は当主の席に座る。そして、全ての権限は栖鳳楼礼に(ゆだ)ねられる。栖鳳楼家次期当主に決まったときから、決定したことだ。現当主である栖鳳楼公嗣が亡くなって、初めて栖鳳楼は二階にある当主の部屋を使うことを許される。

「…………」

 外観は昔ながらの日本家屋だが、本家の部屋の中には先代の当主の趣味から洋風の雰囲気が感じられる。幼いときに数回しか訪れたことのない二階の書斎は完全に洋式で、栖鳳楼の部屋も絨毯(じゅうたん)に洋式のベッドと、西洋の空気が強い。栖鳳楼は豪奢(ごうしゃ)な木製の椅子にもたれて机に向かう。やっているのは学校の宿題ではなく、分家筋の家に()てた手紙だ。対応は仲裁役の者が行うが、正式な文章を認めるのは次期当主たる栖鳳楼の役目だ。

 部屋の扉がノックされて、栖鳳楼が返事をする。扉を開けたのは潤々だった。

「今日のお稽古お疲れ様」

 潤々はお盆を持ってきて、栖鳳楼の机の上に紅茶を置いた。ルビーの水面からは芳醇(ほうじゅん)なダージリンの香りが漂ってくる。

「ありがとう。潤々」

 口にすると、紅茶の香りに仕事疲れの緊張が解けていく。潤々はにこにこして紅茶を飲む栖鳳楼の顔を眺める。

 栖鳳楼はティーカップを机に置いた。

「今日のお仕事はもう終わってる?」

 うん、と潤々は笑顔で頷く。

「じゃあ、しばらくここにいてくれる?」

 栖鳳楼に言われて、潤々はベッドの傍にある小さな丸テーブルにお盆を載せて、ベッドの上に腰を下ろす。

 他の召使いたちが同じことをすれば厳重に注意されるところだが、潤々はそれが許されている。栖鳳楼にとって、潤々は特別な存在なのだ。

 栖鳳楼は椅子を動かして潤々と向かい合う。潤々の笑顔は、いつ見ても癒される。栖鳳楼は紅茶をもう一口すする。

「雪火くんの調子はどう?」

 ティーカップ用の皿の上にカップを置いて、栖鳳楼は訊ねる。

 潤々は困ったように答える。

「それがわからないの。学校を出るときまではわかったんだけど、それからあとは居場所もさっぱりなの」

 その返答に、栖鳳楼は眉を寄せる。

「外部からの干渉を受けているってこと?」

「たぶん。でも誰だかわからない。気配だけが消えちゃうの」

 潤々は自信のない声で答える。こんな反応をする潤々は滅多に見ない。栖鳳楼はカップを机の上に戻すと口元に手を当てて考え込む。

「ねえ。アーちゃん」

 不意に呼ばれて、栖鳳楼は顔を上げる。

 不安そうな潤々の顔が目に入る。

「なに。潤々」

「夏弥くんと戦うの?」

 ずきり、と胸の奥で痛みが走る。

 潤々は素直だ。

 だから遠回しにものをきいてきたりはしない。

 栖鳳楼は動揺を気取られないように、いたって冷静に答える。

「そうね。きっとそうなる」

「どうして?」

 潤々の不安な眼差しが、栖鳳楼の胸には痛い。

 潤々はさらに訊いてくる。

「どうして?夏弥くんは魔術師のこととは関係ないって言ってたよ」

 栖鳳楼は自分の体を抱く。そうすることで、自分の不安を誤魔化そうとした。

「状況が変わったの。雪火くんは神託(しんたく)を受けた。なら、彼は魔術師の世界に大きく関わっていることになる」

 冷静に、栖鳳楼は告げる。

 潤々の不安の声は、それでも拭えない。

「でも、夏弥くんにはなにもしないって、アーちゃん言ってたよ」

「それは昔の話よ。潤々」

 きっぱりと、栖鳳楼は告げる。

 自分の声が荒くなっていることを、栖鳳楼は気づいていない。

「雪火くんは魔術師。しかも、神託者。そして、あたしも神託を受けている。あなたなら十分わかるでしょ。この町で楽園(エデン)を手に入れられるのは一人だけ。遅かれ早かれ、雪火くんとも戦うことになる。あたしは、栖鳳楼家次期当主。この町の治安を裏から支えるもの。あたしが負けることなんて、できるわけがないのよ」

 栖鳳楼の静かな怒りに、潤々は押し黙る。

 悲しそうに、栖鳳楼を見つめる。

 その顔にいつもの笑顔はなくて、素直に悲しそうだ。

 潤々には裏表がないから、こちらが不安に思っているとその気持ちが伝染する。だから、栖鳳楼はきっぱりと告げる。

「わかった?潤々」

 栖鳳楼が念を押すと、潤々は笑顔で答える。

「うん。わかったよ。アーちゃん」

 そこにさっきまでの不安は微塵もなく、そのいつも通りの笑顔が、しかし栖鳳楼には痛かった。

 ふいっと視線を外して、栖鳳楼は自分の机を見つめる。女の子らしいカラフルなペンが置かれているそのペン立ては父親の趣味で、目の前の小さめの本棚は祖父の贈りものだ。男ものの書斎道具の中に女ものの色鮮やかなペンや手帳が置かれている、不釣り合いな光景だ。

「そうよ……」

 潤々には聞こえないように、栖鳳楼は呟く。

「――負けるなんて、許されない」

 栖鳳楼は潤々に顔色を知られないように、顔を背ける。

 栖鳳楼を見つめる潤々の顔は、笑顔だ。

 そんな、不釣り合い。

 この部屋は、どこか歪んで見えた。


 夏弥が魔術の特訓を始めてから、翌日。

 昨晩は結局家には帰らず、路貴の家に泊まらせてもらった。家といってもアパートで、台所と風呂とトイレは中にあったが、どれも狭く、部屋は六畳。元々一人で暮らすための部屋だったから、二人も入ると狭く感じた。

 そんな夜が明けて、今は日曜日の正午。朝、近くのスーパーで買った弁当を食べて、昨日と同じくひたすら鉄の棒で素振りをした。

 朝から始めたので、おそらく四時間近く素振りをしていたのだろう。別に野球部に入っていたわけでもないので、素振りなど夏弥には初めての経験だった。

「よし、休憩」

 路貴の言葉で、夏弥はすぐに腰を下ろした。

 ただ棒を振っているだけでこんなに疲れるものかと、改めて体中の疲労感を確かめる。

 筋肉が痛むというのもあるが、なにより強烈な脱力感が夏弥を襲う。自分の体の中にあるエネルギーが根こそぎ奪われるような、そんな虚無感がある。

「とりあえず食え。一時間休んだら、また再開だ」

 渡されたビニール袋を覗き込んでみると、中には大量のおにぎりと、その上にペットボトルが一本入っていた。

 疲れきった夏弥は、一心不乱におにぎりを口にしていく。もはや味などどうでもいい。なんでもいいから腹に押し込んでおきたい。ペットボトルはただの水だったが、そんなことも気にしない。冷たい水が喉を通るだけで、癒される気がした。

 大量のおにぎりも、三〇分ほどで全て食べきって、時間になるまでひたすら休んだ。動く気もなくて、しばらくじっとしていると、食べたものが次第に疲れを癒してくれるのか、体が熱くなってくる。

「よし。そろそろ再開するぞ」

 路貴の言葉を合図に、夏弥は傍らに置いた鉄の棒に手を伸ばす。

「ちょっと待て」

 路貴の声に、夏弥は鉄の棒を振り下ろす途中で、止まる。

「折角だから、欠片を使えるようにしておこう」

 路貴の提案に、夏弥は首を傾げる。

「欠片?」

 路貴は頷く。

楽園(エデン)争奪戦で使用することができる特別な魔具、…………って、説明しなくてもわかるよな。おまえもう調律者(ちょうりつしゃ)とは会ってるだろ」

「確かに会っているけど。なんで知ってるんだ?」

 夏弥は一度も路貴に調律者と会っていることを話していなかった。路貴は当り前のように答える。

「刻印を失って、楽園(エデン)争奪戦に参加できなくなったから、調律者に確認しに行ったんだ。参加資格を失った神託者は調律者の保護を受けるとかなんとかで、来てほしいって要請があったんだ。そんときに、おまえのことは聞いてる」

 路貴はさらに続ける。

「で、調律者の話では、おまえには刻印と一緒に、俺が持っていた欠片も引き継がれたらしい。おまえが戦わなきゃいけないあの女は長年魔術師としての訓練をしている。対しておまえは、ここ一ヶ月で急ごしらえに魔術を習得しなけりゃいけない。どう考えても分が悪い」

 それは、そうだった。

 栖鳳楼は代々魔術師の家系で、しかもその次期当主。幼い頃から魔術の教育は受けているだろうし、なにより夏弥を殺そうとした路貴を速攻で倒している。

 夏弥にはまだ、魔術を使うことすらできない。

「そこで、欠片を使えるようにしておけば、少しは有利に立てる。まあ、保障はできないがな」

 路貴は肩を竦める。

「まずは、そうだな。欠片を探せ」

 唐突に言われて、夏弥は訊き返す。

「探せって……?」

 どうやって、と思って、それを見て路貴は夏弥の右腕を指す。

「腕をまくれ。右腕だ」

 夏弥は持っていた鉄の棒をおいて、言われるままに右腕をまくる。右腕にはなにもなく、以前は手の甲に見えていた刻印も、今はそのあとさえ見られない。

 路貴は不満そうに口元を曲げる。

(あざ)も見えねーのかよ。どんだけ解放率が低いんだ」

 路貴は右手首になにやら文字が書かれた紙きれを巻きつけて、指で夏弥の右腕の上をなぞる。すると、夏弥の右腕に模様が浮かび上がってきて、そこには以前見た〝刻印〟が、確かに夏弥の右腕に刻まれている。

「……これで大丈夫だろ。見えるか?」

 夏弥は呆然としながら頷く。

「ああ……」

 夏弥が動揺しているのもかまわず、路貴は説明を始める。

「手の先のほうにあるのが刻印。で、それに繋がるように伸びているのが欠片だ」

 手の先端、甲の部分には栖鳳楼のものと同じ模様が浮かび上がり、腕のほうには刻印から伸びるように線が走る。刻印とそれが別のものであることを、夏弥もなんとなく理解できた。

「欠片は刻印を持っている奴の体に()く。だから欠片を持っている奴にしか使えない。早いうちに、こいつを使えるようにしておかなきゃいけない」

 頷きながら、夏弥は訊ねる。

「どうすればいい?」

「欠片には最初封印が施されていてな。イメージとしては魔術的な知恵の輪だ。だから、まずその封印を解かないと欠片は使えない。第一段階として、魔術的に欠片に触れるところから始めるか」

 路貴は腕を組む。

「やってみろ」

「……やる、って…………」

 夏弥は戸惑った。夏弥には魔術的に触れるという概念が理解できない。

「魔術的に触れるんだ。欠片がどういう構造をしているのか、それを把握できなきゃ解きようがない。まずは触ってみろ。物理的じゃないぞ、あくまで魔術的にだ」

「どうやって?」

 路貴は答える。

「イメージしてみろ。自分の体の中に、自分以外の魔術が存在しているってな。それを触るんだ」

 イメージなんて、また抽象的なことを言われた。

 自分の中に魔術、または魔力なるものが存在しているなんてのもよくわからないのに、それとは別の魔術の存在なんて、どうやってイメージすればいいのか。

「まあ、午後はその訓練だ。魔力を使うにしても、魔術がどんなものかわからなきゃ話にならないしな」

 路貴は簡単に言って、近くの幹に寄り掛かる。今回はどうやら夏弥の様子を見ているらしい。夏弥は頭の中で魔術に触るイメージを思い浮かべる。空気をつかむようなものかと思って、夏弥は目を閉じて手を伸ばす。

 あまりの不格好な夏弥の姿に、しかしツッコムものは誰もいない。夏弥も路貴も、二人とも真剣なのだ。


「ホント、才能ねーなー」

 日が沈んで、夏弥は路貴につれられて彼の家に戻った。朝となんら変わらない、狭苦しい部屋がそこにある。

 路貴は畳の上に寝転がる。

「おまえ、魔術師としての才能ないわ」

 ムっとして、夏弥は言い返す。

「うるさい」

 路貴はサングラスを外した。小さな瞳で、目つきが悪い。予想通りの、好戦的な目をしている。

「だって、何時間かかったよ。ざっと六時間だ。素振りは四時間もったのに、欠片触るだけなのに六時間かかって魔術の片鱗もつかめないなんて」

 路貴は笑っているのか呆れているのか、その中間のような顔をしている。

「ホント、才能ないな」

 何度目になるかわからないセリフに、夏弥も同じ言葉を返す。

「うるさい。俺は今まで魔術なんてやったこともないんだ。仕方ないだろ」

 夏弥はビニール袋をおきながら腰を下ろす。途中のスーパーで買ってきた、今夜の食事だ。中身は路貴が詰めたもので、弁当が四人分入っている。一人当たり二人分食べる計算になる。

「それにしても、才能なさすぎだ」

 路貴は寝転んだまま夏弥を指差す。

「別に封印解け、って言ってるわけじゃないんだぞ。触るだけだ。触るだけなら、簡単だろ」

 そんなこと、夏弥にはわからなかった。魔術なんて使ったこともないのに、それが見えるかどうかもわからないのにいきなり触れなんて言われても、無茶な話だ。

「知らない。わからないものは、わからない」

 路貴は天井を見上げて足を組む。

「ま、俺も言うだけいったから、あとは自分でなんとかしろ。鉄の棒(それ)も、しばらく貸してやる。家戻ってからも素振りして、欠片を触るイメージトレーニングをやっておけば、少しはマシになる」

 路貴は大きく欠伸(あくび)をする。もうこれ以上はなにも言うつもりはないらしい。

 夏弥は手にしたままの鉄の棒を眺める。見た目にはなんの変哲もない、ただの棒だ。それが実際には高度な魔術で構築された魔具であることを、夏弥は知らない。

 夏弥は気になることがあって、路貴に話しかける。

「あんたさ……」

「路貴だ」

 夏弥は言い直す。

「……路貴は、この町の人間じゃない、って言ってたけど」

「ああ、そうだ」

 路貴は夏弥とは目を合わさずに答える。ずっと上を向いたままだ。

「じゃあ、どこから来たんだ?学校はいいのか?」

 路貴は体を起こした。

「最初の質問はシカトするぞ。学校は行ってない。しばらくズル休み。連絡もしてないから、無断欠席ってことになってるな」

 あまりに簡単に言われて、夏弥は訊ねる。

「いいのか、それ。親とか、心配してるだろ」

 路貴は吐き捨てるように返す。

「知るか。俺がなにをしようと、俺の勝手だ。あいつらにどうこう言われたかないね」

 路貴の顔が不満そうに歪んでいる。よほど両親が嫌いなのか、夏弥にはその感情が理解できない。夏弥の親は、もうこの世にはいない。育ての親である雪火玄果(げんか)は死んで、顔も覚えていない生みの親だっておそらく八年前の大災害で死んだだろう。

 あの大災害が、魔術師の戦いによるものだと知って、夏弥は複雑だった。この戦いで勝ち残った者が再び楽園(エデン)を拒めば、また大災害が起こる。それこそ、町一つが吹き飛ぶくらいの強烈な被害。

 夏弥もこの戦いに参加する以上は勝ち残って楽園(エデン)が被害を出さないようにしたいが、そのために誰かと戦うのは気がすすまない。しかも、一ヶ月後にはすでに栖鳳楼と戦うことになっている。夏弥が勝つ可能性は低いが、なんとかして勝ちたいと思う。なるべく傷つけないように、栖鳳楼に勝つ。負けることだけは許されない。負けたら、路貴の言うように、栖鳳楼は夏弥を殺す。殺されたくない、というよりは、栖鳳楼に人殺しをさせたくない、という甘い考えからだった。

 路貴は手を伸ばしてビニール袋から自分の取り分を出して薄汚れたテーブルの上に置く。

「おまえ、知ってるか。一回前の楽園(エデン)争奪戦は正しく楽園(エデン)が優勝者の手に渡らなかったらしい」

 夏弥は頷く。

「知ってる。調律者から聞いたよ」

 路貴の口元が不吉に歪む。

「じゃあ楽園(エデン)の始まりも知ってるな。楽園(エデン)は膨大な量の魔力を内包した高度な魔術構造体。しかも自己再生能力を持ち、内部で自動的に魔力を生成する。放っておけば過剰に蓄積された魔力が破裂して世界さえも呑み込む、イカれた代物だ。前回大会では正式に魔力が解放されなかったから、楽園(エデン)は近々神の意志によって再び解放されなきゃいけないと、俺は考えた。そして、もし大会が開かれるとしたら近場だと山を張って来てみたら、当たり(ビンゴ)だ」

 路貴は弁当の包みを開けながら続ける。

「一年待ってた甲斐があったってもんだ。ま、すぐに戦線から離脱させられちまったがな」

 その言葉に他意はない。夏弥を責めるつもりもなく、ただ自分の不甲斐なさに呆れているような感じだ。

 魔術師にとって、敗北はすなわち死を意味すると、路貴は言っていた。

 ――負けて生き恥を曝すことはできない。

 なら、今の路貴はどれほどの屈辱に耐えているのだろうか。

 夏弥にはわからない。

 命があるのなら、生きているほうが幸せだと夏弥は信じている。死んだほうがましな人生なんて、そんなことあるはずがない。

 夏弥もビニール袋から弁当を取り出す。唐揚げ弁当と、のり弁当、あとミネラル水のペットボトルだ。

「一年って。その間、学校は?」

 路貴は弁当を食べながら答える。

「行ってねーよ。もちろん、家にも帰っていない。一年ずっとこのアパートで暮らしてる」

 夏弥は驚きに目を丸くする。

「暮らしてる、って。どうやって生活してるんだよ。金はどうするんだ」

「バイトしてるに決まってるだろ。この近くに知り合いが働いててな。その関係で、このアパートを紹介された。昼は知り合いの店の手伝い、夜は近くのスーパーでバイト。そんな生活も、そういや一年になるのか」

 感慨深いように、路貴は呟く。

 夏弥は五年間、あの一人には広すぎる家で一人暮らしをしている。それは、夏弥にはもう親がいないからで、しかし路貴にはちゃんと両親がいる。夏弥みたいに赤の他人などではなく、血の繋がった両親だ。

 帰るべき家がありながら、そこに帰りたくないなんて、夏弥には理解ができなかった。家に帰らないと両親が心配するだろうという夏弥の常識も、路貴には通じない。

「どうすっかな、俺も。刻印もなくなっちまったし、楽園(エデン)争奪戦が終わるまでは、戦いの動向でも遠くで見てるけどよ」

 路貴の他人ごとのような言い方に、夏弥は諭すように言ってやった。

「家に帰るんだろ。もちろん」

 夏弥の言葉を無視するように、路貴は声を荒げる。

「あー、でも。この生活も悪くねーんだよな。家には帰りたかないし。どっか別の町で一人で生きてくかな」

 夏弥は口を尖らせる。

「なんでだよ。そんなに家が嫌いなのか?」

 路貴は即答する。

「嫌いだね。反吐(へど)が出るくらいに。あんな古臭い家、誰が帰るか。今でも本家からの命令で呪術を請け負ってんだぜ。いい加減、本家と縁を切っちまえばいいのに。昔からのしきたりがどうとかで、いまだに本家に(こび)売ってんだ」

 バカだろ、と路貴は吐き捨てる。

 夏弥は気になる単語を耳にして、つい訊き返す。

「呪術って、人を呪うことか……?」

「もちろん。うちは呪術師の家系だからな」

 当り前のように、路貴は答える。

 夏弥は気になって、路貴に訊ねる。

「呪術師?魔術師となにか違うのか?」

「呪術師から言わせれば違うらしい。魔術は物質に対して働いて、呪術は精神に対してのみ働くんだと」

 路貴は説明する。

「魔術も呪術も、生い立ちは同じだ。全ては世界の真理、起源の中心を探ろうとすることには変わりない。ただ、魔術は世界という莫大な情報から起源を求めるのに対して、呪術は人間個人を限定して、そこから起源を辿ろうとする。全ての命は世界という起源から枝分かれしてできているから、ただ一人でもその情報を理解できれば、必然的に全てである世界を知ることができる。一は全、全は一、っていう錬金術の考え方に似ている。結局、一つの組成を知ることが、ひいてはこの世の全摂理を知ることになるってのが、呪術の根本の考え方だ」

 魔術は物質。

 呪術は精神。

 それぞれ別の方面を扱っているようで、しかし起源は同じ。ともに世界の真理を知ろうとする、古代哲学の思想を受け継いでいる。

 路貴の言葉は続く。

「まあ、魔術師も極論を言っちまえば同じなんだがな。魔術師だって、ある一つの事象から世界を捉えようとしている。それが自然か人間かの違いだ。といっても、魔術的に精神を知ることはかなり高度なものらしいから、そこは呪術と違うのかもな。呪術師から言わせれば、人の心を操作するのは初歩のうちだから」

 心を操作するという言葉に、夏弥はひっかかるものを感じる。

「それって、記憶操作とかもできるのか?」

 路貴は頷く。

「ああ、可能だな。ただ、魔術でもそうだが、改変するのは高度なものになる。現在進行している、または進行した情報通りになぞることは簡単だ。それは世界の記録と誤差がないからな。だが情報を直接書き換える、または間接的にでもいいが、世界の記録と現実の事象の誤差が発生すると、世界の淘汰(とうた)が起こる。だからどんな魔術師でも呪術師でも、世界を騙すことはできない。この世において、世界だけは絶対だからな」

 魔術も呪術も、ともに万能ではない。それは現代を支えている科学技術が万能ではないのと同じこと。

 魔術も呪術も、ともに理論体系をもって構築されている。理論を外れたことは成立しない。科学同様、万能ではない。

「単純に記憶を忘れさせるだけなら簡単だ。記憶とはつまり、思い出すという工程か、思い出す瞬間がなければ、認識はできない。だから、記憶の再生または再認に呪術をかければいいだけだ。人の精神に入り込むなんざ、呪術師の基本だからな」

 路貴はペットボトルの水を口にする。

「逆に、魔術師が使う時間遡航や固定は、呪術師は苦手だ。そもそもそんな概念がない。呪術的な時間変動は、人の体感時間を操作することになる。わかりやすいところだと、その情報に近づかせないようにしたり、その情報だけ認識できないようにしたりすることだな。あくまで呪術をかける相手は人間、特に精神であって、物質じゃない。そこが魔術師と違うところだな」

 だが、と路貴は肩を竦める。

「まあ、俺から言わせればそんな理屈はどうでもいいんだ。結局のところ、自分が望んだような結果が引き出せりゃ、その理由や理屈なんて所詮後付けだろ。呪術をかけるんじゃなくて、自分がなにをしたいからこれをする、それだけの事実で十分だ」

 呪術師も、魔術師も、目的は同じ。

 世界に到達すること。

 その望みを満たすために、様々な理論づけをして魔術や呪術を確立してきた。

 今の科学も、似たようなものだ。

 生活を豊かにしたい。

 あるいは、知識を得たい。

 真理に到達したい。

 その人間的本能的欲求が、今の社会を支えている。

 全ては、欲望の上に成り立っている。

「どうすりゃ魔術が使えるなんて、魔術を使えるようになっちまえば考える必要もなくなる。まずは感覚をつかむことだ。理屈よりも、経験のほうが覚えがいい」

 もう言うことはないのか、路貴は弁当に専念する。

 夏弥もゆっくりと食事を始める。

 魔術師――。

 呪術師――。

 そして楽園(エデン)――。

 夏弥には、まだまだわからないことが多すぎた。

 わからないから、夏弥には自分が魔術師だという実感もない。自分は魔術師だと、それを証明する〝刻印〟があったとしても。

 夏弥が本当にやりたいことはなんなのか。

 夏弥にも、まだそれはわからない。


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