プロローグ
辺りはただ暗かった。遠くでネオンの光が瞬いて、漆黒の海に蛍火が走る。
闇に塗りつぶされて音はなく、そこは世界から見捨てられたように全てが無だった。風もなく、声もなく、ただ世界は闇で、無だった。
――雨が降っていた。
行くあてもなく、その場に立ち尽くす。
大気はその意味を忘れたかのように冷たくて、躯はマグマが流れているように熱い。風はなく、音もなく、降る雨は無情に体温を削り落としていって、それでも躯は無性に熱かった。
闇の中で、炎が燻っていた。
辺りは、一面瓦礫。
倒壊した家屋、ひびの入った路面、割れたコンクリート。縮尺模型をひっくり返したように、無残なものだ。黒い街を、雨に濡れた炎が照らす。
ここが一つの町だったことを、少年は知っている。
民家が並び、公園があって、商店街では人々が集まって賑やかだ。駅のほうへ行けば近代的なビルが立ち並び、真夏の太陽に当てられてビルの窓は強烈な光を反射する。地上八〇メートルもの高さには車道が通り、家一軒を飲み込むような分厚い柱がその巨大な橋を支えている。信号機が点滅して、朝は学校に向かう子どもたちの姿が見える。
どこにでもある風景。ビルの上からは海が見える。それが何の特徴もないこの町の、ささやかな自慢だった。
――町は、地図から消えた。
もはや面影すらなく。
町としての機能は全て失われた。
暗い夜の中では民家の面影すらなく、巨大な橋も数本の柱を残して無残に散った。人が生きている光を失って、そこだけ穴が開いたように闇。
周囲を取り囲むビルの群れがなくなって、彼方には暗い海が見える。海の上にはどこかの光が点々と輝いている。あまりにも小さくて、消えてしまいそうな光。
町の亡骸を、炎が灼く。死んだ町を、赤い炎が彩る。それはまるで、人の命の最期の灯火のように――。
「……」
少年は空を見上げた。
光を失った、漆黒の町。むせ返るような真夏の夜に、冷たい雨が降る。まるでこの世界が死んでしまったかのように、大気から熱が消えていく。
――ああ、世界から見放されたように。
町は死に、憐れむように天は雨を降らせる。真夏のこの季節で、凍死してしまいそうなほど冷たい。雨は、それでも止む気配がない。
少年は歩くのを止めて、その場に立ち尽くす。空を見上げた少年は、知っている。もう、この町は死んだのだ。彼以外に、生き残りはいるだろうか。倒壊した家に押しつぶされて、あるいはビルの下敷きになって、橋から落ちて――。
生きていることの奇跡。
運命の気紛れ。
生きていることは幸せなのか。
取り残されたことは不幸なのか。
「……」
少年は息を吐いた。
闇に塗り潰されて、息も見えない。
水滴は少年の髪を濡らして、頬を伝う。服は水分を含んで重くなる。凍りついたように、少年はその場に立つ。
雨は止まない。
海の向こうには小さな明かりが見えるだけ。
町は漆黒の夜に包まれて息をひそめる。
――ああ、なんて。
彼は泣きたくなった。
無性に、泣きたい。
理由もなく、ただひたすらに、泣きたい。
「……」
少年は、ただ空を見上げる。
冷たい雨が頬を伝う。
――ああ、なんて。
悲しい――――。




