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椅子をめぐる4つの話

椅子をめぐる4つの話 第4話 屋上の秘密 そしてエピローグ

椅子をめぐる4つの話の最終話です。

できれば、1話目からお読みいただければ、と存じます。

 馬鹿と煙は高いところが好き、という。

 その例にもれず、俺も高いところが好きだ。校舎の屋上に続く階段を、ダンスのステップを踏むように軽くのぼる。屋上と校舎内を隔てる扉は、常時施錠されている。昔、この屋上から飛び降り自殺をした生徒がいたので、以後閉鎖された、というのが通説だ。真偽のほどはわからない。

 俺は、ドアの前、床に伏せて置かれているバケツを持ち上げた。ホテルなんかで使う、銀製の皿の覆い、あれをぱかっと開けたような格好だ。中には、ぼろっちい鍵が一つ。安易すぎる隠し場所だけど、“けれんみ”ってぇの?いかにもな感じがツボでいい。

 この鍵の存在は、全校で俺しか知らない。

 またコレも伝説だ。

 自殺事件の直後、屋上が閉鎖されたとき、ある生徒が掃除のために持っていた鍵を返さなかった。そして、そのまま隠して持ち続け、卒業のときに、一人の後輩に譲った。その後輩はやっぱり隠し持ち、卒業のときに、さらに後輩に譲った。

 そうやって、代々受け継がれてきたのが、この鍵というわけだ。本当か嘘か誰も知らない口碑伝承のたぐい。

 いちおう、階段の下に人の気配がないことを確認して、開錠する。相当ガタが来ているから、そのうち鍵が無くても入れるようになるんじゃないだろうか。

 屋上の風に吹かれて、解放感に満たされた矢先、俺は一発ぶちかまされたように驚いた。

 何だ!?何でこんなもんがここにあるんだ!?


 椅子だ。社長椅子がここにある。

 

 社長椅子のことは、ネットで聞き知っていた。不意に忽然と現れる社長椅子。座ると、不思議な出来事が起こるという。願いがかなったり、自分の思わぬ本音に気付かされたり。

 嘘か、何かのヤラセかと思ってたけれど。

 俺はしげしげと椅子を眺めた。焦げ茶色のどっしりとした革張り。肘置きも背もたれもしっかり厚みがあって、昭和レトロな雰囲気は、まさにネットの証言と合致する。

 俺以外の誰かが屋上に入り込んで、置いたんだろうか。

 ちらりと、その疑いが頭をかすめる。

 いや、でも・・・・・。

 俺はその椅子にどっかりと腰を下ろした。風が頬をなでる。いい座り心地だ。いつもはコンクリにそのまま座っているから。それに、いつもと違う視線の高さも新鮮だ。

 目を閉じる。

 ───・・・・・・。

 ───・・・・・・・・・・・。

 ───・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「ッ、何にも起きないじゃねぇか!」

 俺は弾かれるように立ち上がり、振り返って椅子を睨みつけていた。

 当然、椅子は無言。ただそこに在るだけだ。

 馬鹿馬鹿しい、ガセか、それとも誰かがここに置いたのか。

(許せねえ。)

 憤懣やるかたなく、足を踏みならすようにして、校舎の入口となる扉に向かう。

(この鍵も捨てちまおうか)

 行き場のない苛立ちがこみ上げてきて、とにかく力任せにドアノブをねじり引き開ける。

 ぐりっと、親指の付け根がえぐれた。

「・・・・・・・ッつぅ~~~・・・!」

 手のひらを振りつつ、ぴょんぴょんと跳ねる。ドアは俺の意図に反して、びくともしなかった。おそるおそる、もう一度手を伸ばしてみる。

 ノブが回らない。鍵がかかっている!?

「マジかよ!」

 俺は焦ってがたがたやった。けれども、ところどころサビも浮いてガタが来ている扉は、どんなに揺すぶっても無情にも開かない。

 俺は上部の磨りガラスを見つめた。ガラスを割れば、屋内に戻れるかもしれない。が、あとでまずいことになる。誰が割ったのか犯人捜し、最悪、ドアの交換。そうなると、俺だけの秘密の息抜き場所、屋上が使えないことになる。

 名案が浮かばないまま、しばらく押したり引いたりしていると、階段を登ってくる気配がして、俺は扉の設置してある小屋のかげに、焦って隠れた。

 近づいてくる跫音と話し声。

 ほどなくして、ドアが開いた。出てきたのは二人の男子学生。柔道部っぽい体格の丸刈り君と、校則すれすれの長さまで髪を伸ばした男だ。学ランを着ている。

 ──学ラン!?

 男子の制服はブレザーだ。学ランからブレザーに変更されたのは、もう何年も前の話と聞いている。

二人は、屋上の端までそのまま歩いて行った。晴れていたはずの空はどんよりと雲が垂れ込めている。強くなってきた風が、振り返った学生の長髪をなぶり、顔がよく見えない。

「俺さ・・・・、どうやらゲイらしんだわ」

 風が声を運んできた。

 彼は屋上の端を囲む手摺りに背を預けている。両肘をつく格好で、曇天をあおぎ、告白をつづける。

「エロ本見てもつまんねぇし・・・。ビデオ見てもたたねぇっつうか、気持ち悪イし。・・・・女の噂しても盛り上がらねえの、多分それ」

 俺は、足が竦んで、動けなくなった。視界の中で、話しかけられいる方の学生は、彼の方を向いたままで、その表情は見えない。

「・・・・・悪い、聞いてもしょうがなかったよな」

 長髪の学生は、視線を落とした。

 彼の背景にひろがる曇り空は、重く陰鬱に俺の心を締めつける。

 ──・・・何か、・・・・・何か言ってくれ!

 俺は沈黙に耐えられず、祈っていた。

「・・・・そっか・・・・・・・あぁ・・・なんだな」

 空白の中から、わずかに絞り出した声だった。長髪は、驚いてこちらに視線を戻し、それは丸刈りの学生を貫いて、俺に届いた。

 次の刹那、

「・・・、俺、用事思い出した。帰らせてもらうわ、」

 丸刈りの学生は、きびすを返して校舎の中に戻っていった。俺は何故かあとを追いかけていた。

 待て、待ってくれ! 屋内に続く扉に飛び込んだが、丸刈りの学生の姿はなかった。瞬間、ガッと蹴躓いて前のめりになった。

 派手な音が校舎のコンクリに響く。バケツだ。いつも鍵を隠しておくバケツが足にあたったのだ。

「うわっ、」

 俺は階段を踏み外していた。リカバリー不能で、そのまま踊り場まで数段落ちる。数秒遅れて、バケツが転がり落ちてきた。

(つう)ぅ・・・・・・」

 階段を落ちたにしては、うまいこと着地してどこも痛めていなかったが、最初のバケツで向こうずねを強打していた。

 俺はむき出しの足を抱きかかえ、そう、スカートから伸びる(・・・・・・・・・・)を否応なしに視界に収めさせられていた。

 どんなに拒絶しても、逃れられない、肉体上の性別、・・・・女。

 自分の躰から、こんな女性らしい足が伸びているのが、こんなにも耐え難く気持ち悪いというのに。

まだ、誰にもカミングアウトしていない。だから、さっきの長髪の学生の告白が、どんな結果をむかえたのか、それを聞いた一方の男子生徒が、どう感じたのか、どうしても知りたかった。

 俺は立ち上がり、再び階段を登った。悲しさと悔しさと怒りが同時にこみ上げてきて、俺はたぶんひどい形相で歯を食いしばっていた。

 俺が引き継いだ屋上への鍵。冗談まがいに伝えられた話では、屋上から飛び降り自殺をした学生があり、屋上が閉鎖された。鍵を持っていた学生がそれを返却せず持っていた。そして、後輩に引き継いだ。

 鍵を持っていたのは、あの丸刈りの学生じゃないのか?そして、自殺したのは・・・・・。

 俺は、ふたたび屋上と校舎内を隔てる扉の前に立った。扉は閉まっており、俺は、真実を知るために、その扉を開けなければならなかった。

 冷たい風が流れ込んだ。空は曇っていた。俺の前に、果たして椅子があり、そして、あの長髪の学生が足を組んで座っていた。

「君は俺が、屋上から落ちた学生だと思ってるだろう?」

 俺は、逡巡のすえ、頷いた。

 彼は穏やかに否と首を左右に揺らす。

「俺は、鍵を引き継いだ最初の後輩だ。落ちたのは、俺の一つ上の学年で、受験ノイローゼだった。鍵は、先輩から渡された。『一人になりたいとき使え』って」

 そう、俺も、『一人になるのに絶好の場所だぞ』と言われて受け取った。そしてその通り使った。体育のときや、生理でどうしても気持ちをコントロールできないとき。

「・・・・アンタは、大丈夫だったんだな?」

 喉の奥からこぼれ出た言葉は、情けなくなるほど稚拙で頼りなかった。

 彼は組んでいた足をほどいて、両肘を膝に置く形で前屈みになった。

「・・・・・うん、まあ、・・・・ラッキーなことに何とかなった。アイツは、よく踏ん張ってくれたよ」

「どうなった?」

「とりあえず、俺と柔道で組むのと、女の話は止めてくれたよ」

 たぶんそれは、ものすごくぎこちないところから、関係の再構築を始めたのだろう。それでも俺は、そんな関係を作れるだろうか。

「やってみないことには、道は開けないさ」

 俺はほんの少し口元を緩めていた。同性愛と性同一性障がいは同じには語れないけれども。俺は彼に別れを告げて、屋内に戻り、そして、階段のところで、思い切りジャンプをし、踊り場まで飛び降りた。



(エピローグ)そして椅子は


 椅子のことが噂になっている。社長椅子のことだ。

 最初はツイッターやフェイスブックでまことしやかに目撃譚がささやかれていた。やがて野火が広がるように、現実の世界(リアルワールド)をも席捲しはじめた。友達や同僚のあいだで、誰が座ったとか、どこそこで見たとか、口の端にのぼるようになった。そのうち、ワイドショーでも取り沙汰された。特集コーナーが組まれ、芸能人が自らの体験談を公表し、またそれに捏造疑惑がもちあがったりして、世の中を賑やかした。果ては、社長椅子をわざと設置する悪戯まであらわれたらしい。

 ネットの書き込みをさかのぼってみると、僕が件の椅子に出会ったのは、まだはしりのころだ。姉の飼い犬、マフィンの散歩中、遊歩道脇の原っぱで。

 たぶん間違いない。焦げ茶色の艶々とした革張で、縫い目が深く食い込み、どっしりとした大きな(意地悪く考えれば、夏は蒸れて困りそうな)背もたれが、天に向かって正々堂々と伸びている社長椅子。

 以来、毎朝椅子を横目にしながら、犬の散歩をつづけている。

 消えてしまうのが怖くて、携帯も持って行かないし、座ってみてもない。少々情けないけれど、毎朝の密かな楽しみだ。

 しかし、今朝のこと。

 椅子は無くなっていた。現れたのと同じように唐突に、前触れもなく。

 昨日の朝まで椅子が鎮座していた草むらは、まるで何事もなかったように生い茂り、ススキは花穂を開いている。

 自然に笑いがこみ上げてきた。

 馬っ鹿だよなー、僕も。そんなことなら、座ってみてりゃよかった。

 リードが強く引かれて、僕は現実にひきもどされた。

「マフィン、待てって。ダニがつくぞ」

 リードの先で、コーギーが地面に鼻をこすりつけている。僕はその頭をこづいた。マフィンはちらりと僕を見て、散歩の続きに戻った。 

「来週、姉ちゃん帰ってくるんだってさ、よかったな」


 その後、僕の前にあの社長椅子が現れたことはない。






お読みいただいた皆様、ありがとうございました。


性同一性障がいをこういった形で取り上げることについて、

不快な思いをされたら、申し訳ありません。

メッセージをお寄せいただきましたら、削除するなりさせていただきます。

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