あくと3
ガングロの女の子が、コーヒーを啜っている。雄一郎は一目見て、すぐ誰か理解する。彼女はB食倶楽部の副部長、遠井京だ。
お客はどうやら他にいないようだ。アニソンの響き渡る中、コーヒーを啜っているガングロ女子は明らかに異様とも思えた。今どきガングロのギャルは希少種だ。雄一郎はちょっと彼女をからかうことにした。
京が雄一郎の方を何度か見やる。すたすたと雄一郎は何食わぬ顔で彼女のほうへと歩いていき、そして一言。
「お客様にはこの店は相応しくないかと存じますが?」
「お、おい。雄一郎!」
得道が驚いた様子で言うが、雄一郎は無視して、続ける。
「お客様、そんなガングロで来てもらっては困ります。今どきガングロだなんて恥ずかしいですよ?」
京の顔が引きつる。そしてドンとこぶしでテーブルを叩いた。
「いいだろ! 分かっててからかってるんだろ! ユーイチロー」
「何しに来たんだよ。遠井センパイ」
「……」
「黙ってないで答えろよ」
「それが先輩に対する口の訊き方かよ!」
「じゃあ丁寧に質問します。遠井センパイ。なにしに俺の家に来たんですか?」
「だって気になるじゃん。ユウに気があるみたいじゃん、ユーイチロー」
「なんでそう言い切れるんですか? 遠井センパイ」
「やっぱタメでいいよ。タメで。ユーイチローがユウを見る目で分かるんだよ。女の勘ってやつ」
女の勘の鋭さというのは、まりのとの付き合いで雄一郎はよく知っていた。だが、優美に気があるというのはちょっと違うかもしれない。『気がある』のではなく、『気になる』のである。それが恋愛感情とは異なると、雄一郎は思っていた。だから京の推測は、的を射たものではない。
「そんなもんじゃないよ。それより俺としては、どうして遠井センパイが、栗野センパイに恋人ができることを嫌がってるのかが不思議だな」
顔を真っ赤にする京。
「……好きだからだよ」
「えっ?」
雄一郎はドン引きした。さすがにレズは引く。
「遠井センパイ、もしかしてレ……」
「んでね!」
手を顔の前でわたわたと振って京は否定する。なにやらどこかの方言らしいが、どういう意味か雄一郎には分からなかった。どこか東北っぽいイントネーションとアクセントだったが。
「っと、違う、違う」
京が言い直すと、雄一郎は彼女が言わんとすることを理解した。要するに彼女は自分がレズではない、と言いたいのだ。
「だって、好きってそういう」
「そういうんじゃないさ。人間として好きってことさ」
「そこまで仲がいい友達ってことか」
真剣な表情で、京は身の上話をしだした。
「それだけじゃねえよ。ユーイチローには話しとくか。アタシさ、父親と母親が離婚しててさ。さっきの訛り、秋田弁なのさ。父親が秋田出身。小学四年生のころまでは秋田に住んでてさ。だから訛りが興奮した時に出ちまうんだ。最初は訛りを同級生にバカにされて。でも優美だけは普通に話しかけて友達になってくれたのさ。だからアタシは自分のメガネにかなった男しか、優美と付き合うのを認めたくねーんだ」
それを聞いて、雄一郎は自分のことと重ね合わせる。京も家族のことでいろいろ振り回されてきたのだ。そう思うと何か彼女に親近感が湧いてきた。
「そっか、いい友人なんだな」
「まあな。それはそうとさ、さっきのオンナ。誰だよ。うちの高校の制服着ていたみたいだけどさ」
唐突に話を変える京。どうやらまりのが家の学校の生徒会長とは知らないらしい。
「遠井センパイには関係ないだろ」
「関係あるさ。もし、あのオンナがユーイチローの彼女だったら、やっぱユウを性的な目で見るのは許さねー」
「せ、性的な目って。だから遠井センパイに対してはそんな目で見てないさ。それにまりのはただの幼馴染で」
「おおおお幼馴染?! それこそ、そのまま恋人関係に……」
「そんなんじゃねえよ」
雄一郎がまりののことを恋愛対象として意識したことは一度もなかった。周りはいつか二人が一緒になる、と思っていた節がないわけではない。ただ、雄一郎は一切そういう感情を持たなかった。というか持てなかったのだ。あまりに身近すぎる異性は恋愛対象にならない。そういうものだと彼は思っていた。
「なんだ、違うのか。でもさ、お似合いだと思うぜ?」
「遠井センパイの魂胆は分かってるぞ。俺とまりのがくっつけば、栗野センパイとのことは安心って思ってるんだろ」
「やっぱ分かっちまうかー」
「分からいでか」
どちらかと言えば。
どちらかと言えば、まりのに対する感情より、優美に対する感情のほうが、雄一郎にとって強いのかもしれない。だからもっと親密になりたいと思っている。優美は確かにおっぱいが大きいが、京の言うように性的にどうにかしたいとか、そういうことではない。そんなことよりも、やはり何か懐かしさのようなものを感じる。
「なあ、ユーイチロー。お前は、ここに住んでるのか?」
また唐突に京は話を変える。
「……」
雄一郎は口をつぐんだ。怪訝な表情で、京が言った。
「まあ、いいや。じゃ、アタシそろそろ帰るわ」
どうやら京は何かを察したらしい。雄一郎にも家庭の事情がある、と思ったのだろうか、深く雄一郎のことにつっこむことはない。
「ああ、またな」
雄一郎は言って、京の勘定を済ませて、彼女を見送った。
「雄一郎、一杯飲まないか?」
京を見送った後、得道は雄一郎にコーヒーを勧めた。ここには珍しいものが置かれている。まるで実験室のフラスコのようなもの。これは水出しコーヒーの器械だ。
「ああ、頼むよ」
雄一郎はカウンターの得道の前に座ると、得道はじっくりと水で抽出されたコーヒーを、湯煎にかけたものを出した。
ひと啜りすれば、コーヒーの香りと美味さが口の中に広がる。
「なあ、雄一郎。さっきの女の子、知り合いだったのかい?」
「ああ、部活のセンパイだよ」
ほう、と驚いたように、得道は言った。
「部活? 雄一郎、部活に入ったのか。なんの部活だ?」
「なんて言ったらいいのかな。B級グルメを自分たちでも作ろうって部活動でさ、まだ正式には生徒会から認められてないんだけどな」
「おまえ、やっぱり」
「親父とは関係ない」
きっぱりと否定する。料理が好きなのは確かだ。しかし清海とは違った料理の道を歩む。そう雄一郎は決めたのだ。
「ま、そう言うと思ってたけどな。でもなんかちょっと生き生きしてるぞ、雄一郎」
そう得道に言われて、雄一郎は確かにそうかもしれないと思った。本来なら退屈な高校生活になりそうだったのだ。けれどもB食倶楽部という楽しみ、希望を見つけた雄一郎。勲には感謝しなければならないな、と思った。
「ああ、きっと楽しくなるさ」
そう雄一郎が言うと、得道は温かな微笑みを見せた。
「しかしB級グルメを自分で作るか、いろいろと難しいところもあるんだろうなぁ」
「俺、挑戦してみるよ」
「オレは料理のことは詳しくねえ。ただ一言人生の先輩から言っておくぜ」
「?」
「まずは楽しめ。挑戦とか考えるなよ。れっつえんじょいくっきんぐ、だ。それが長く続けるコツだぜ」
「ああ、心に刻んでおくさ」
得道の言うとおりだった。今日はとりあえず、甲府鳥もつ煮についてネットで調べよう。そう思いながらコーヒーを啜る雄一郎だった。
僕はコーヒーをあまり飲みませんが、ここではコーヒーにしてみました。コーヒーが嫌いなわけではなく、飲むとおなかを壊す……ぽよよ。紅茶にしたほうがよかったでしょうか?