九子の後始末1
呉葉に連絡を受けてから、私は迅速に動いた。
既に伊月姉さんはホテルに戻っていた為動く事は容易。素早くシンプルな軽装に着替え、直ぐに集まり且つ有能な人手を招集した後学校に直行の段取りを組んだ。
幸いにも伊月姉さんに付き添っていた薬師さんを借りる事が出来たので人手としては十分な人材を集められた。
連絡後十分程度で薬師さんは大人二人を連れマンションに迎えに来てくれ、そのまま共に学校に直行。
学校に着くまで、そう時間はかからなかった。事前に学校側には連絡を済ましていたので堂々と学校に侵入。呉葉と連絡がつかない為環の発信機を頼りに探索を開始したが、何ともこの別棟館は人気のない場所だ。
放課後なのに部活に使われていない。以前調べたデータだとこの別棟は文科系の部活などで使われている筈だが……まぁもうひとつの別棟をメインに使っているんだろうと一人納得。
こんな場所に環を連れ込んでどういうつもりだ?と色々思考を動かしながら空き教室を調べていくと、以外にも早く発見できた。
視聴覚室に当たるその部屋から人の声がするので、『開いていた』ドアの隙間から覗き込む。
そこには、壁際で顔面血塗れのまま倒れている教師と座ったまま抱き合う環と呉葉が居た。
荒々しい状況である事は確かだが、見る限り事態は収束しているようで一安心。
だが、あの二人は何をしてるんだ?
二人共服は血で汚れているが、見る限り大きな怪我をしている様子は無い。安堵の抱擁をしている様にも見えるが、よく見ると環が呉葉をあやしているようだ。
(え? 何この状況?)
とりあえず環の眼鏡がないのが見えたので後ろに控えてもらっている薬師さん達にサングラスを着けるよう指示し、私も伊達眼鏡を着装。そのまま少し眺めている。
「くれは、もう落ち着いた?」
環が呉葉の頭をポンポンと撫でながら幼稚園児に話しかける様な優しい声色で呉葉に話しかける。
その声に呉葉は環に小さい体に自分の体を蹲せて、甘える様に顔を環に摺り寄せている。
「……ぅー」
仕舞いには、まるで癇癪を起した子供みたいに小さく唸りだした。
私は笑いそうになるのを必死に抑えながら珍しい呉葉の姿を暫し眺めようと息を潜める。
いつもピリピリしていて真面目な呉葉があれほどに環に甘えている姿なんて滅多に見れないのである意味眼福だ。
滅多に、なので一応は過去にも見た事がある。
呉葉に無理やり酒を飲ませて酔っぱらった時はもっと酷い甘え方をしていたが、素面の今の状況で見るのは初めてだ。
まぁ呉葉は隠しているつもりだが、環に甘えたい様な挙動を見せていた事は何度もあったので別段驚いたりはしない。が、面白い事に変わりはない。
「ほら、くれは。鼻水拭いて」
環はどこからかハンカチを取り出して呉葉の鼻に添える。すると呉葉はこれまた素直にちーんと豪快な音を鳴らして鼻をかんだ。
(一体どっちが保護者なんだか……)
見てる側も恥ずかしくなる光景だ。
だけど、同時に少し羨ましくもある。あそこまで堂々と環に甘えてクンカクンカできるのはかなり魅力的だ。鼻血が出るかもしれないが……ん?もしかしてあの服の血は呉葉の鼻血か?
……んな訳ないか。
そろそろ薬師さん達を待たせるのも悪いので、気付かれる様分かり易く豪快にドアを開けて部屋に入る。
「呉葉ー環ー。九子さんが到着しましたよー!」
にこやかに微笑ながらこの異質な空間に入ると、私達の存在に気付いた二人がビクリと分かり易く体を跳ねさせ驚く。
「きゅ、きゅうこ様! どどど、どうし、」
「九子様、お手数をかけてすみません。事態はこの通り解決しましたが、後始末の手伝いをお願いします」
環が心底驚き座ったままこちらを振り向くのと対照的に、呉葉は今まで何事もなかったかのようにすっと立ち上がり平然とした顔で私に話しかけてくる。何とも早い切り替え、先まで環の胸でうーうー唸っていた子供とは思えない出で立ちだ。
けど目は真っ赤で鼻はグズグズと音を鳴らしている。先まで泣いていたのはバレバレだ。
「おやぁ呉葉もう泣き止んだのかしら?」
「はい? 泣いていたとは、私がですか?」
いやとぼけても顔に書いてるから。むしろよくその状態でとぼけようとするわアンタ。
「……まぁいいけど。で、あれが例の教師?」
親指を立てて倒れている教師を指さす。その言葉に呉葉は肯定の意味を込め頷く。
ちらりと見ると、酷い有様だ。
顔がぐちゃぐちゃで原型をとどめていない。鼻は拉げて(ひしゃげて)真横に向いているし、目は紫に腫れて埋もれている。呉葉にボコボコにされたのだろう。調べではそれなりに男前だと聞いていたが、これじゃあ形無しだわ。一応口から呼吸音がするので死んではいない。
「薬師さん、病院を確保してください。こいつ、病院に放り込むます」
ドアの辺りで待ってもらっていた薬師さんは私の言葉に頷いてすぐに携帯を使い連絡を始めた。
この状況は十分に予想できたが、終わっていて良かった。
無事とは言えないが、まぁ環も見ての通り大きな怪我も、って……
「環、貴方………」
先まで背中しか見えていなかったので平気そうに見えたが、正面から見ると思った以上に酷い姿だった。
服は上半身も下半身もボロボロ。露わになっている体は暴行された跡があり痣が出来ている。鼻からも血を出した後があり、頬もよく見れば赤く腫れている。
咄嗟に近寄り環を抱き締める。
「御免なさい環、私、その、えっと……」
言葉を作る事が出来ず口ごもってしまう。
先まで環の平気そうな姿を見て安堵していたのだが、その環が実はこれ程に痛めつけられていたと知り動揺が隠しきれない。
教師が桃色の瞳を見て暴走したのは確かだ。だがてっきり呉葉がそれを迅速に止めたものだと思っていたが、そうじゃなかっのだ。
「あの、きゅうこ様。どうしてここに?」
環は私の胸の中で疑問の声を上げる。
「呉葉に連絡を貰ったから迎えに来たのよ。だけど、環がこんなに怪我をしてるなんて……」
ぎゅっと環を胸に抱きしめ、力を込める。
大きな怪我をしていない。が、その体は確実に痛みを浴びていた。自分の甘さに反省し、動揺を止めようと環を抱く腕にぎゅっと力を込める。
「薬師さん、やっぱり病院もう一件確保して。環用に良い所お願い」
「きゅうこ様、わたしは、その大丈夫ですから」
環が否定の声を上げるが、聞かない。
「何言ってるの?! こんなに怪我してるじゃない! ちゃんと病院に行って診てもらいます!」
当然だ。確かに環は無事そうに見えるが、しっかりと検査をしてもらう必要がある。
大事な環が痛めつけられたのた、その事実に私の心境は次第に荒れだす。
「で、でも……」
「環、貴方は私達の大事な宝物なんですよ。病院には絶対行かせますからね! 呉葉!」
大声で呼んだが呉葉は環の眼鏡を回収し、すぐ傍に控えていた。顔は未だに泣きっ面だ。
「今から車で環と一緒に病院行ってきて。道案内の人つけるから運転しちゃ駄目よ」
「分かりました。あと私は泣いてませんので」
「もういいわよそれは。後の処理は私がやっとくから。薬師さん、すみませんが一人呉葉と環を病院に行かせるようお願いします」
電話を終えている薬師さんは私の言葉に頷き同伴させていた男の人に支持を出す。恐らくあの人を病院にいかせるのだろう。
「あの……きゅうこ様……」
ふと、環が小さく声を上げる。
環は何が言いたげに、だが悲しげな顔をしている。言葉を作ろうと口を動かしているが、うまく言葉を作れないのか何も言おうとしない。
「……環?」
少し様子がおかしいので声を掛ける。が、
「……いえ、何もない、です」
そのまま、黙り込んでしまった。
環の様子がおかしいのが気になるが、このまま問答をするほど時間がある訳じゃない。無言で呉葉に環を任せるよう促す。
「環様、こちらに」
呉葉は環に眼鏡をかけさせ自分のブレザーを環に羽織らせ服を整えさせる。
用意が済むと、そのままドアに待機している男の人の元に行き私に会釈をして部屋から去った。
環は最後まで浮かない顔で、私に何か言いたげな顔をしていた。
気になるのは確かだが、今は治療が先だ。話は病院でもマンションでも聞く事が出来る。その時、環が満足するまで話を聞こう。
部屋には私と薬師さんに付き添いの男の人、そして教師だけになった。
私は倒れている教師の元まで歩き、頭の横でしゃがみ込み教師の顔を覗きこむ。
「初めまして、黒凪九子といいます。環の保護者でこの学校の理事長と大変仲良くさせてもらっています」
教師に話しかけるが、気を失っている教師は何も反応しない。
「この度はうちの環に手を上げたらしいですね。まぁ事情は分かっています。同情はしませんがね」
桃色の瞳を見たのは明白だ。それにより本人が望まない暴挙に出てしまったのは分かっているが、だからと言って環に手を上げた事を許す事は出来ない。と……
「ぅぁ………ぁ………だま、ぎ……」
教師は、淀んだ声で小さく環の名前を呼んだ。
教師の意識が失っているのは確かだ。恐らく環の名に反応したのだろう。本当、完全に心が桃色の瞳に支配されている。
「環はここにはいません。あと、貴方に言わなければいけない事が二つあります」
教師は何も聞いていない。が、私は話を続ける。
「一つ。貴方はこれから私達黒凪グループが経営している病院に運ばれ治療します。が、その後貴方は桃色の瞳のサンプルデータ採取として実験体になって頂きます。実験がいつ終わるか分かりませんが、十分データを取れれば解放しますので安心してください」
教師は、私の声に何も反応しない。これを私は肯定ととらえる。
「二つ。貴方は今環を求めて止まないと思いますが、あの子は私のものです。諦めてください」
教師は、やはり私の声に何も反応しない。先の様に反応があれば面白かったのに。
「では薬師さん。この方を病院まで運んで下さい。聞いての通りこの人は重要なサンプル体ですのでその様に扱うようお願いします」
薬師さんは頷き、付き添いの男の人と共に教師を運ぶ準備を始めた。
それを見て、私は教師の元から立ち上がり離れる。
「やれやれ、本当……保護者ってのも大変ね」