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桃色の瞳の少年  作者: 芥屋
第一章
14/18

緊迫4

 先までこの空間は教師が制圧していた。

 魅了に毒され欲に我を忘れた教師の暴走が環を組み伏せ、この場が完全に教師の制する空間となっていたのだ。

 だが、その空間に一筋の亀裂が入った事により事態は一変した。

 教師は環への接吻を止め自分の下着に手をかけたまま声の聞こえた方角、後ろを振り向く。

 ぐるりと、舌を突きだしたままの間抜けな顔が捉えたのは……至極当然、環を守護する護役者の少女だった。

 教師がその姿を笠倉呉葉と気付く事はなかった。

 教師が声に反応し振り向いたと同時に、呉葉は教師の顔の中心に強烈な回し蹴りを打ち込み大きく弾けさせたからだ。

 ばぎゅり、と鈍い音が鳴り響き教師は環の上から蹴り飛ばされた。

 体重を乗せたその蹴りは教師の巨体を弾けさせるには十分の威力があり、教師は弾け飛び床に転がりながら壁にぶつかりそこで停止した。

 教師が転がる音が視聴覚室に響き、呉葉はその様子を鋭く睨みながら一見する。

 呉葉がここに辿り着くまでかかった時間は二十分。九子に教わった追跡機能を利用し別棟に居る事を理解した時点で呉葉はまず別棟の部屋の鍵を取りに行った。

 理由としては、別棟には視聴覚室など防音使用の部屋が多数ありその部屋はドアが頑丈で窓などはシャッターとなっている為強行突破は難しいと判断したからだ。

 なのでいち早く環を見つける為に管理室に向かい鍵の束を拝借した為この部屋に直進せず、その為に時間が少しかかってしまった。

 だが判断は間違ってはいなかった。視聴覚室のドア、シャッターは鍵が無ければ蹴り破る事も出来なければ今の呉葉の装備で破壊する事も容易ではない。鍵を先に見つけ、環の位置を正確に特定し確実に確保する為には最良の判断だったと言える。

 第三者からすればそう判断出来るが、呉葉はそうは思っていない。

 教師を一見し、その動きが鈍っている事を確認して呉葉は素早く横たわる環の傍に近寄る。

 横に寄り添い膝をつき、環の姿を確認する。その姿を見て、呉葉はその表情を悲痛に歪める。

 環の姿は、悲惨と呼べる程に赤く汚れていた。

 顔は鼻血塗れ、服は派手に開き乱れていて上半身は完全に露わになっている。下半身も露出寸前、そして至る箇所に血痕が張り付いていて見るからに痛々しく呉葉の心を締め付ける。

「環さ、ま………環様、環様!!」

 呉葉は環の容態を確認しながら意識の無い環に声を掛け続ける。

 環の容態は、その姿ほど酷い傷がある訳ではなかった。上半身に付着している血痕は教師の拳についた鼻血が移っていただけであり、上半身に裂傷はない。打撃による痣はあるが、色の変色と腫れから考えて骨折などの心配はなかった。

 鼻血も既に止まっていて、鼻骨が折れている事はなく口からの出血も頬を殴られた時に口内を切っているせいだった。

 容態から想像できる程重体ではなかった。だが呉葉はそれでも安堵する事はない。

 このような事態を許してしまった失態、何より主である環に傷を負わせてしまい今も意識が途切れている。それが呉葉の心境を大きく揺さぶっている。

「環様……申し訳……申し訳、ございません!」

 呉葉は環の顔を汚す鼻血を拭き取りながら、意識の無い環に強く謝罪をする。この傷を負わせたのは自分のせいだと、自分が迂闊であったのが原因だと罪悪感を刻み付けるように。

 環はその声に何も反応しない。鼻血を取り除いた事により呼吸も整ってはいるので安心できる状態なのだが、意識が戻らない事に呉葉は焦りと恐怖を感じ出した。

 呉葉はもう一度九子に連絡を取ろうとポケットに入れた携帯端末を取り出そうとする。が、


「ぁぁぁぁあああああああ!!! だまぎぃぃぃぃぃぃいいい!!」


 その悲鳴にも似た絶叫が木霊し、素早く臨戦態勢に切り替えた。

 いつの間にか教師は立ち上がり、血走った目をぎらつかせながら環に寄り添う呉葉を睨んでいた。

 その鼻は先の呉葉の回し蹴りにより捻じれ曲がっていてドクドクと激しく鼻血が流れている。が、教師にそれを気遣う様子はない。

 痛みは感じている筈だ。だがそれ以上に環を欲する欲望が勝っているのだ。それが動力となっている為、自分の容態よりも体が環を求め止まらない。数学教師は完全に桃色の瞳に魅了され、欲に我を忘れてしまっていた。

「気安く我が主の名を口にするな。環様は貴様の様な下郎が触れていい御方ではない」

 狂人となった教師に、呉葉は敵意をむき出しにし殺気を込めながら言い捨てる。

 今の教師に言葉が通じないのは呉葉も理解していた。

 だが、主である環に危害を加えた教師に対する怒りを抑える事が出来ず無駄と分かっている教師の絶叫に受けて立った。

「よ、よ、よごぜ! だまぎを、だまぎをよごぜぇええええ!!!」

 教師が呉葉の声に反応する事はない。欲のみで動く狂人となった教師は呉葉を無視し、鼻血で乱れた言葉で絶叫を繰り返す。

「不愉快だ。貴様如き下郎に環様を汚されたと思うだけで血が沸騰しそうになる。あぁ、本当に不愉快だ」

 呉葉は対照的に冷静な口調だ。

 だがその言葉には呉葉の怒りの念が重く宿っていて、少女が出せるとは思えない迫力を持っている。

 もしも教師が冷静ならその威圧感に臆してもおかしくはない。だが正気を失っている今の教師にはその効果はもたらさなかった。

「がえぜ!! だまぎをがえぜぇええええ!!」

 自分と環の間にいる呉葉を『障害物』と判断した教師は強く床を蹴り、猛々しく呉葉に向かって飛びかかった。

 教師の体格は身長百八十を超える巨体、対する呉葉は身長百六十八。少女としては大きいと言われる数字だが、教師と比べるとその差は歴然と言える程負けている。

 もし体格を使われ組み伏せられれば呉葉に勝ち目はない。現状、教師に体を掴まれた時点で呉葉にとって負けと言ってもおかしくはない。

 勿論呉葉はその事を理解している。

 護役者として戦闘の訓練を積んでいる呉葉には、その差は負けを意味する程の者ではない。せいぜい、気をつけなければいけない程度のレベルだ。

 教師は両手を広げ呉葉の首に向かってその大きな手の平を伸ばしている。狂人でありながら本能で掴みかかれば優位と察したのか、その攻撃法は呉葉ほどの少女を組み伏せるには正しいと言えた。

 呉葉は素早く床に置いた鍵の束を掴み、それを強く教師に向かって投げつけた。

 床から浮かびあがらせるように投げつけた鍵の束は伸ばされた教師の腕をすり抜け、教師の顔面に命中した。

「ぐぅう?!」

 鉄製で出来た鍵を束ねてある以上、力を込めてぶつけると十分威力はあり教師をひるませる事ができた。

 曲がった鼻に命中した事で激痛が走り、教師がひるみその突撃が止まり伸びた手もその顔を覆う為引っ込んだ。

 その隙を勝機を睨んだ呉葉は、臨戦態勢で沈めた体を跳ねるように利用し教師に飛び掛かった。

 教師からすれば絶対に防がなければいけない突進。それを教師は覆う手のせいで確認できていない。

 結果、教師の懐に呉葉が飛び込むのは容易だった。

 呉葉は鋭い正拳突きを二発、教師に叩き込んだ。

 鳩尾みぞおちに素早く拳を二発打ち込むと、教師はその衝撃で体が硬直し激しく息を吐き出した。

 鳩尾に強い打撃を与えると瞬発的に動きが止まる反射を利用し、その隙に呉葉は一歩距離を取り右足を大きく引く。

 そして、引いた右足に力を込め左足を軸に回転させ反動をつけた回し蹴りを繰り出す。狙いは教師の顎。これも人体の急所であり、顎に衝撃を与えると脳を強く揺さぶられ脳震盪を起こす。

 呉葉がこの巨体を沈めるにあたり最初から狙っていた箇所だ。

 先も教師を蹴り飛ばした回し蹴り。十分に威力がある事を知らしめているその一撃が、教師の顎に狙いを定め……見事に叩き込まれた。

 鳩尾に続き、同じ人体の急所である顎に強烈な一撃が当たり教師の脳がぐらりと揺れる。

 血走っていた目はぐるりと白目を向き、教師の巨体は電源が落ちたかのようにその場に崩れた。

 教師と呉葉の一戦は、これで決まり。呉葉がその力量を見せつけ教師を打ちのめした。

 それで、この一戦は終わりだ。

 後は環を安全な場所に移し治療を施し、教師の後始末をすればそれで終わる。

 が………

「……白目を向けば許されると思っているのか?」

 呉葉は倒れている教師に跨った。

 教師が環にのしかかっていたように呉葉が教師の上に乗り、拳を振り上げる。

 それを、教師の顔面に向かって振り落す。

 鋭い一撃が教師のこめかみに打ち込まれる。続けさまもう一方の拳を振り上げ再び教師の顔面に、振り落す。その鋭い一撃が教師の頬に食い込み口から血が飛び出した。

「血を見せれば許されると思っているのか?」

 再び拳を振り上げ、振り落す。教師の左目上に打ち込まれた一撃は鈍い音を響かせる。

 呉葉の拳が教師の血で染まる。が、呉葉は気にも止めず再び拳を作り、振り落す。

「痛みを受ければ許されると思っているのか?」

 ぐしゃりとした感触が呉葉の拳に伝わる。

 呉葉は、ゴミでも見るかのような冷めた目で教師の崩れた顔を見下ろしながら拳を何度も打ち込む。

 何度も、何度も。

 まるでそれしか機能のない機械のように、無慈悲に拳を叩きつける。

 ピリャリと血が呉葉の頬に飛び散るが拭いもしない。

「死ね。貴様は体を壊される痛みをその魂に焼き付けながら地獄に落ちるんだ。それが環様を汚した償いだ」

 教師が桃色の瞳に魅了され狂人となったように、呉葉もその怒りに堕ち狂人となっている。



 呉葉は、この教師をこの場で殺すつもりだった。



 教師は完全に意識が飛んでいる。勿論呉葉の声に反応する訳がなかった。

 反論もしない謝罪もしない。

 先に教師が環を組み伏せ暴力で屈服させたように、今は呉葉が完全に教師を屈服させている。

 この場を制しているのは呉葉だ。それを止める者は居ない。

「だが地獄に落ちても許されると思うな。貴様が犯した罪は地獄で拭えるものではない。来世でも忘れないようその魂に刻んでやる」

 今までよりも大きく利き腕を振り上げ拳に力を込める。

 渾身の一撃。呉葉は教師の折れた鼻に狙いを定めその一撃を落とす為一度大きく吸い込む。

 そして、呉葉は小さく『死ね』と呟いてその一撃を振り落した。








「…………やめておくれ。くれは」



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