九子・呉葉の日常3
「さっきリビングで電話してたけど何かあったの?」
伊月姉さんと二人、姉さんが調理したチンジャオロースをつつきながら雑談をしていると、不意に姉さんが質問をしてきた。
というか伊月姉さん、本当に料理が上手なんだと正直驚いています。このチンジャオロースも油でベトベトになりすぎてはなく私好みのサッパリとした味付けで素直に美味しい。呉葉と良い勝負、私となら確実に伊月姉さんの方が料理の腕は上だろう。
「気付いてたんですね。えぇ、環の学校に少し『お願い』をしただけです」
呉葉の報告によると、教師の中に一人環に対し敵意を持っている者がいるとの事だった。その件に関して理事長さんに私から早急に改善をして頂きたいとお願いしたのだ。
学校において環の待遇は完璧でなければいけない。少しでも反感や不安要素があればそれが環の瞳の解放に繋がる可能性がある。もしも桃色の瞳が害を出せば、それに対する対応にはかなりの手間を要する。極力それを避ける為、未然に防ぐ事を徹底している。
故に呉葉にはそういう事態を未然に防ぐよう徹底した現状の報告を頼んである。今回も、その件に関する事だ。
「お願い?あぁたまちゃんの事ね。そういやたまちゃん学校じゃあ上手くやってるの?」
「勿論です。私が学校を掌握し呉葉が現場を管理する、完璧にコントロールはできています」
「え? うーん、そういう事じゃないんだけどなぁ」
「はぃ?」
「だからね、たまちゃんの交友の事を聞いてるんだよ。ほら、たまちゃんいつもくーちゃんと一緒でしょ? 友達とかちゃんといるのかなーって気になってさ」
姉さんの言葉に息が詰まり軽く咳込んでしまう。伊月姉さんの言葉は予想外かつ痛い所を突いてくるもので情けなく動揺をしてしまった。
「だ、大丈夫ですよ。環は人懐っこい子ですし親しい友人くらいきっと……」
「うぅん? 何だか歯切れが悪いよ?」
伊月姉さんは口をもぐもぐ動かしながら訝しむように私の顔を覗き込む。軽くごまかそうとしたが無理があった様で易々と捕まってしまった。
「くーちゃんっていつも眉間ギューってさせてるでしょ?『私の環に近づくな!』みたいな雰囲気出してるからさ、多分あの年代の子達なら怖がって近づかないんじゃないかなぁ」
伊月姉さんの推測は、正直当たっている。
学校での呉葉の様子を見た事はないが、環の事になると超が付くほど神経質になるあの子の事だ。学校でも護役者としての義務感故に常に警戒心を周りに振り撒いているだろう。
そして、環の口から『友達』というカテゴリーに当たる人物を紹介された事は今まで一度もない。
学友、クラスメイトの事なら話してくれる。クラスメイトのあの子とこんなお話をした、本屋さんで出会ったあの子にこれを紹介してもらったなど、学校での知り合いの話をしてくれる事はあるが、友達を紹介してもらった事は一度もない。
それがどういう事なのか、今まで考えなかった訳ではなかった。
恐らく、いや確実に私と呉葉の過保護が原因だろう。
学校で他の生徒とは違う優遇された扱い、常に付き人が傍にいる人を寄せ付けようとしない環境、それらが確実に環から同年代の子との交流を遮る壁になっている。
本来環は人に懐きやすくあの明るい性格に可愛らしい容姿、親しみやすい要素をいくつも持っている。友達ができない訳がない。
それでも友達ができないのは、きっと私や呉葉といった柵があるからだ。
そして、本当は環がそれらの柵を必要としていない事も理解している。
そもそも環が学校に通いたいと言った理由は『友達』が欲しいからだ。
生まれながらに桃色の瞳を覚醒させていた環は仙間の山で惚条家と笠倉家に守られ、その存在を隠されながら育ってきた。
特殊な一族である惚条家と笠倉家だが世間から完全に交流を遮断していた訳ではない。山を下る事もあったらしいし、来客なども迎えていたと聞いている。
だが環だけは完全に隠匿していたらしく黒凪家が環の存在に気付くまで、親密な間柄の外部の者でもその存在を知る者はいなかった。
環は、自分の家族以外の人の存在を全く知らなかったのだ。同年代の子供達が公園で集まって遊んでいるような時も、小学校で授業や運動会をしている時も、そこには加われず柵の中でずっと同じ時間を繰り返してきた。呉葉と二人、何も無い山の中で……
そう思うと、環が学校に通いたいと言い出した理由は聞かなくても分かる。
分かるのだが、あの子を普通の生活に溶け込ませるにはあまりにも桃色の瞳は障害として大き過ぎる。
「伊月姉さんに言われなくても分かっています。呉葉にしても悪気はありません……と、思っています」
ただ正直、呉葉に関しては本気で友達を作る必要はないと考えている節がある。
護役を担う笠倉家の、しかも環専属の護役者だ。交流や世間体などの必要性は感じているとは思うが、環に特定の友人を作る事を快く思ってはいないと感じられる言動、行動を何度か目の当りにしている。
徹底した環の警護は当然だが、環の傍から絶対に離れようとはせず環が一人で何かをしようとするのを極度に嫌がる。
環を大事に思うが故に、独占欲にも似た過保護に走ってしまう傾向にあるので何度か私が協力して修正してきたのだが……それを思うと、呉葉が何を思っているのか正直断言はできない。できないが……
『え、環様に友達? 必要ありません。環様は高貴なる血族である惚条家の跡継ぎなのですよ。何処の馬の骨かも分からない幼稚と環様が戯れる事など私が許しません』
「ぅわ、すっごい言いそう」
「急にどうしたのきゅうちゃん?」
「何でもありません、ただの独り言ですよ」
「そう? でもさ、くーちゃんの気持ちも分かるかなぁ。あんな可愛い弟みたいな子が居たら、誰にも渡したくはないとか思っちゃうかも」
「弟……そうですね。もしかしたら呉葉にはそういう感情もあるのかもしれないですね」
一族の掟や護役者としての役目を抜きにして、今までずっと傍にいた弟の様な存在を大事に思う感情もきっとある。特にあの二人は生まれた時からずっと一緒なのだ。
環にしても、きっと呉葉の事を姉の様に思っている筈だ。だからこそ度が過ぎる過保護にも理解を示して文句を言わないのかもしれない。
「それに……もし友達とか作ったらそこから彼女とかになっちゃうかもしれないしね!」
「プッ!!」
「うわ?! ちょっとピーマン飛ばさないでよ汚い!」
「うるさい馬鹿姉! 縁起でもない事言わないで下さい!」
◇◇◇◇◇
現時刻は午後四時を周り放課後、本日の授業は全て終了となりました。
「環様、帰りましょうか」
学級終礼を終えたので荷物を纏めた者から教室を出ていく中、環様はせっせと鞄にノートや引き用具を詰め込んでいる。環様は何故か終礼が終わった後少し風景を眺めるように辺りをじっと見渡して茫然とした表情をなさっているので準備を始めるのが少し遅い。
「ごめん、これで最後だから」
そう言って鞄を締め肩にかけるとおまたせしました、と言って立ち上がった。
「では帰りましょうか。今日は本屋に寄りたいとの事でしたね。車がありますので隣町の大きなお店に行きましょうか」
「うん! あ、でもくれはは車は乗ったら……」
「気にしないで下さい。今日の朝に乗ってきた車があります。、駐車場に置き去りにもできません、ちゃんと乗って帰らないと車が可哀そうです」
「いや、そういう事じゃ……」
「ご安心を。ちゃんと環様の好きな煎餅も車に積んであります。では参りましょう、」
環様の手を握って廊下に進みだそうという所で、不意に校内放送が流れ出した。
『笠倉呉葉さん、校内にいらしたら職員室まで来てください。繰り返します……』
下校時刻でざわつく教室にチープなスピーカー音が木霊す。雑音が多く聞こえにくくはあるが、私の名を呼んでいる事は十分に聞き取れた。
「……今の放送、くれはの事呼んでたよね?」
「えぇ……一体何でしょうか……」
年老いた男性の声色だった事から私を呼んだ者が理事長だという推測はできている。昼前に九子様に電話で依頼した件もあり、その事ではないかと予想する。
が、環様にそれを悟られない様身に覚えがないフリをする。
それよりも何とタイミングの悪い事……。せっかく環様とドライブを楽しめると思った矢先にこれだ、横槍を入れられた様に気分が害された。さっさと用件を済ませて御暇しよう。
「申し訳ありません環様、お手数ですが少し御同行頂いてもいいですか?」
「大丈夫だよ。ほら、先生に呼ばれてるんだら早くいかなきゃ」
そう言って環様は私の背中をパタパタと軽く叩く様に押して進みだす。環様の小さな手の平で背中を触って頂くのは何ともこそばゆく気持ちが良い。
「分かりました、分かりましたからあまり押さないで下さい。す、進みにくいです」
「ほら。早く早く!」
環様はじゃれ付く様に私の背中を押すのを止めない。こういう環様のお戯れに付き合えるのは小さい頃からの傍に仕えている私だけの特権で、とても心地が良いです。
「では、環様はここでお待ち頂けますか?」
「うん、気にしないでいいからゆっくり話して来ていいよ」
職員室に着いたはいいが、話の内容を環様に聞かれたくはないので室内まで同伴して頂く訳にはいかない。環様を一人にするのには少し不安はあるが致し方ない。
「恐縮です。環様もここから離れないでようお願いします」
そう言って一礼しすると環様は可愛らしい笑顔を浮かべて小さく手を振って下さった。それに私も小さく笑い掛け職員室のドアを開ける。
「失礼します。先ほど呼ばれた笠倉呉葉ですが……」
声を張り空調の効いた室内に響かせる。職員室内は下校時刻という事もあり慌ただしそうで生徒の教室に似たざわつきがある。
が、私の声は十分に響いていたようで何人もの教師が私に目線を向ける。
その中の一人、名も担当もしらない男性教師が立ち上がり職員室内にある理事長室のドアを開ける。低い声で理事長を呼ぶと、間も無く理事長が顔を出した。
理事長は男性教師に促されるように私の姿を確認すると私の元に近づいてきた。
「お呼び立てしてすみません笠倉さん。どうぞ、こちらへ」
理事長は見るからにゴマをするかのような卑しい顔をしている。期待はしていなかったが、話の内容はあまり面白い事ではなさそうだ。
他の教師の訝しむ視線を浴びながら、私は理事長に続き理事長室に入室する。
「本人も話をして理解したようなので、どうか長い目で見てやってはくれませんか?」
予想していた通り話の内容は昼前の件、九子様にお願いした数学教師の事についてだ。
九子様は私が電話した後直ぐに理事長まで話を持って行ったらしく迅速に粛清が進んでくれていた。
数学教師の環様への敵視するような対応について、理事長が昼頃に数学教師を呼び出し厳重注意を下したとの事だ。今回私が呼び出されたのはその報告のみで、ただのこの理事長の点数稼ぎみたいなものだ。
黒凪の者にアピールしたいのか褒めて貰いたいのか知らないが、こんな年寄が私の様な若輩者に媚びるように笑って手の平を擦り合わせる姿は見ていて気分の良い物ではない。
「分かりました。が、そういう報告なら黒凪九子に直接申して頂けませんか?私はただの付き人のようなもので私に報告しても得はありませんよ?」
「いやいや! そんなつもりはありませんよ! 今回は早急に対応をお願いしたいとの事でしたので報告も急いだ方が良いかと思いまして……」
「そうですか、その対応の早さについては感謝します。黒凪九子にも私からしっかりとお伝えしておきます」
「左様ですか! いやぁすみませんね!」
「ですが、あの教師が身の振り方を改めなければ話になりません。惚条環様への優遇は黒凪によって設けられた正統な権利です、それをどうかご理解下さい」
「は、はぃ! 勿論です! 今後もあの教師には気を付けるよう私から言い聞かせますので、ご安心を!」
釘を刺しておき、これで話す事も無いので革張りのソファから立ち上がる。
そのままドアに向かい一礼すると『黒凪の御令嬢様にどうか宜しくお伝え下さい!』と言って理事長は私に深く頭を下げた。
それを確認して、ドアを開き退室する。
大きな音を立てたつもりはなかったが何人もの教師がこちらに訝しむ様な視線を向ける。それはまるで理事長だけではなく私まで卑しい者として見るような視線で心地良いものではない。
例の数学教師は居ないようだが、どうやら怪しまれているようだ。
こちらを見る教師達を一括するように睨み返すとそれらの視線はすぐに潜まってしまった。何とも情けない、小さく息を吐き腕時計を確認する。
どうやら十分近くも浪費していたようでそれを確認して急ぎ足で職員室のドアまで向かう。
環様を待たせてしまった事に気持ちが焦りチリチリと軋む。人を惹きつける資質の持ち主である環様を一人にすると勝手に人が群がってくる。それはとても気分を害するもので不快でしかない。
それに下校は登校と共に私が持つ環様と二人で外出できる数少ない特権だ。時間を無駄に浪費したくはない。
ドアに手をかけガラリと大きな音を立てて開く。
「環様! すみません、お待たせを………」
辺りを見渡す。
下校の生徒が何人も居て私に視線を向け、何事も無かったかのように視線を逸らす。
誰も私と目を合わせる者は居ない。誰も私の声に答えてくれる方は居ない。私の姿を見て、『おかえりー』と笑い掛けてくれる方が居ない。
廊下には、環様のお姿が無くなっていた………