プロローグ
数年前のある蒸し暑い季節。
その再開は決して九子の望む形ではなかった。
少女ながらに夢見ていた恋慕した相手との再会。柄ではないと思いながらもまた会える日を楽しみに胸をときめかしていたのを懐かしく思い、唇に歯を食い込ませる。
案内人に促されるままに廊下を進むが心境は複雑に思考を繰り返していて歩みを無意識に鈍らせてしまう。それを自我の意識で強制的に潰し歩みを鈍らせない。後ろで同じように歩く案内人に自分の葛藤を気付かせない為だ。
今居るこの屋敷は黒凪家が用意した隠れ家であり、この案内人はこの屋敷を管理している黒凪の従者だ。私が少しでも後ろたさを見せればこの案内人は黒凪の本家、つまり九子の両親にその事を報告するだろう。『貴方様の護息女は杞憂を煩わせています』と。
そうなればこの『役』を替えられるかもしれない。だから九子は案内人に自分の葛藤を気付かせるような事をしてはいけない、と自分を律しているように演じさせる。
その中で自分に出来る最良の手段を考える。でないと仮初の幸福を迎えてしまう事になる。それは少女が夢見た結末ではない、それは決してありふれた幸せなんかじゃないと九子は強く自分に言い聞かせこの筋書きを塗り潰す。
幼く未熟な自分にどれだけ抗えるのかは分からないがやれる事は全てやってやる。
それが黒凪九子の決意だ。
唇に食い込んだ歯を緩め深呼吸をし、心の整理を済ませ凛とした表情を作る。
「お嬢様、そちらの襖です」
九子が目的地に気付き対面の準備を済ませたと同時に案内人が後ろから声をかける。
それに九子は小さく返事を返し襖の前に立つ。
案内人は少し離れた場所で膝をつき歩みを止める。襖よりも少し前で待機するつもりだろう。
別に構わないと九子は気にも止めず目の前の襖の向こうにいる人物の事を考える。
もう一度九子は思う。この再開は私の望んだ再開ではない、と。
心の中で誰に詫びるでもなく懺悔をする。襖を開ける前に必ずしておきたいと九子が思っていた事だ。
九子はもう一度思考を回す。自分の立ち位置を利用してどれだけ最良に持ち込めるか、いや、どうすれば彼を幸せに出来るのかと。まだ幼く十五歳の自分でも決して不可能ではない。要領良く立ち回りさえすれば結末を変える事は出来る筈だと心に言い聞かせる。
「お嬢様」
案内人が短く呟く。九子がこの隠れ屋敷に居る時間には制限時があり、そう長居はできないのだ。案内人に急かされ九子は思考を一時停止し襖の向こうに意識を向ける。
襖の向こうには人の気配がある。九子は襖の向こうの人物の事を頭に浮かべ少し緊張を顔に浮かべる。向こうは九子の事を覚えているのか?もしも忘れていたらどうしよう、もしかしたら拒絶されるかもしれない、などと沸々と暗い疑問が次々と浮かんでくる。
それを無理やり黙らせて、九子は覚悟を決める。
「……失礼しますね」
九子は十五歳の少女らしい音色で声をかけ、静かに襖を開けた。
襖の向こう、畳の部屋は殺風景と言える程何も無い。静かで生温い風が充満していて少し蒸し暑く何も面白味も無くつまらない部屋だ。年頃である九子にこの部屋で過ごせと言えば全力で拒絶するだろう。この季節に冷房器具もなく今の時代に電化製品の一つも無い。まさに拷問ではないか、と。
そう九子は思い、目の前の二人を見据える。
勿論九子は無視をしていた訳ではない。ただ少し、目を合わせにくかっただけだ。
二人は畳の部屋の中心に居る。一人は鋭い目つきで九子を睨み、警戒するように姿勢を低くしているショートカットの少女。年齢は九子と同じか僅かに下回るか程度。
もう一人はその少女の後ろで隠れるように正座をしている着物を着た少女。年齢は九子よりも確実に年下だ。
今の段階で二つ誤解がある。
ショートカットの少女に関しては間違った見解はしていない。だが、着物の少女に関しては間違っている。
まず、隠れるようにではなく、ショートカットの少女が着物の少女を隠しているのだ。正確には隠しているのではなく守っている。要するに、九子の来訪に対してショートカットの少女は警戒を示し着物の少女を自分の後ろに隠しているが正しい。
こちらに関しては九子は別にどうとも思わない。それは『従者』であるショートカットの少女にとっては当然の行動であり、予想できた事だからだ。
だがもう一つの誤解は恐ろしかった。
着物の少女。これが既に間違っていたのだ。
九子よりも幼いその容姿は正に少女でしかない。目を瞑り澄ました顔をしているが少し怯えているように震える唇は薄い赤に染まっていて年不相応に艶めかしい。背中辺りまで伸びた黒い髪は滑らかに輝き、手のひらを引き付けるような引力を持っている。
小さい撫で肩、華奢な体は着物を映えさせ、この生温い風が支配する空間で汗が零れていない頬は薄いピンクがかかっていて何とも可愛らしい。着物の少女は世の女性が嫉妬を起こすほどに美しく、可愛い少女だ。
なのにこの者は、少女ではなく少年なのだ。
この見解の最大の誤解は着物の者の性別の判断。着物の少年は男子でありながらそのカテゴリーから真逆の姿で存在している。
容姿だけではなくその仕草や反応。目を瞑っているからか、姿が見えない来訪者に怯える姿は何とも少女のようだ。体を震わせて怯え両手を重ね唇に添えている仕草が特にそれを連想させ必要以上に女性という印象を植え付ける。
この二人の立ち位置を見ると、まるでショートカットの少女が騎士に見えてしまう、と九子は小さく息を漏らす。
ショートカットの少女は九子に対する警戒を解こうとしない。九子がどういう存在であるかは十分理解しているがそれを無関係と位置付けるほどに強く根付いている忠誠心。この少女はこの年齢で『笠倉』の護役者としての役目を受け継ぎ、役目を遂行している。
護役者なら主である着物の少年を決して危険に触れさせない。九子はそれを理解しその警護を気にせず話を始める事にした。
「久しぶりね。惚条環さん、笠倉呉葉さん。また会えて嬉しいです」
九子は二人の名前を知っている。
着物の少年の名は惚条環。山奥に潜むように住む一族で古くから名を歴史に遺してきた。惚条家は表立って姿を現しはしないが、その名を知る者は名家や御賢族など位の高い者ばかり。歴史が流れる際には惚条の者が隠密に関わっていたとされる程、惚条家は強い特異性を持ち謎を孕んでいる。
その惚条を守護する一族、笠倉家。その一族の者は護役という役目を背負い、幼少より独自の武術鍛錬を積みその体と命を主に捧げ、生涯主の警護の為に生きるという骨の髄にまでその宿命めいた役目が塗られた一族だ。
環と呉葉の関係は、主と従者。
惚条家の長男である環と、その護役として傍に付き添う呉葉。二人は幼少よりも遥か前、胎児として生を受けた時から既にその関係が成されていたのだ。
それを思うと、まるで環は見た目通り姫そのものだと、九子は心の中で苦笑し、言葉を繋げる。
「そちらに座ってもいいかしら?」
九子はそう言い呉葉の一歩手前をの平で示す。それに反応したのは呉葉だった。
「………」
言葉は発さずに、小さく頷き了承する。
本来なら主である環がそれをするべきなのだが、環は未だに体を震わせている。
九子はそんな環の様子を伺いながら自分が示した場所に正座をする。
「………」
九子は座りながら、沈黙し環の様子を観察する。
怯えるように震える様は親離れ出来ていない雌猫のようで愛くるしくもある。が、九子にはその様子が不満であった。
「環、さん……あぁ、やっぱり呼び捨てで失礼。環、私の事分かるかしら?」
呉葉をその対面に挟んだまま、九子は環に話しかける。
九子の呼びかけに環は一度ビクリと体を大きく震わせ、俯き気味だった顔を声のする方角、九子へと向ける。
そうして九子と環が見合う形になる。勿論呉葉が間に挟まれている為直接ではないが。
環は顔をあげはしたがその瞼を開こうとはせずに、暗闇で手探りをするように言葉で相手を確認する。
「………き、きゅうこ様……その声は、きゅうこ様ですか?」
環の放った小さくか細い声は、綺麗な音色をしていた。男性には声変わりを起こす前は女のような声色を出す者もいるが環に関してはそれは当てはまらない。何故ならその声色は女のそれよりも綺麗な音色をしているからだ。
まず九子は環が私の声に反応した事に小さく喜んだ。九子自身、最悪のケースとして会話自体成り立たない事も想定していた為その最悪を回避できた事に小さな息を吐き安堵する。
「はい、そうです。良かった……覚えていてくれたんですね」
九子は年相応の笑みを浮かべ環に笑い掛ける。
環は目を瞑っている為その笑顔を見る事はないが、九子の優しい声に多少安心したように肩の震えを抑える。
震えが止まった訳ではないが、見えない来訪者が知り合いであった事に少しは安堵を示す。
「……お久しぶりです、きゅうこ様。このような失礼な姿をお許し下さい」
環はそう言い、深く頭を下げた。
失礼な姿とは、容姿、態度、言葉、どれの事なのか?と九子は疑問を持つがそれは直ぐに解かれた。
その閉じられた瞼は未だに開く事はない。来訪者が知り合いであると分かってもそれは同じで、今も俯く顔の瞳は開いていないのだろう。
環はその態度が失礼と思い、九子に詫びているのだ。
「構いませんよ、環。顔を上げてちょうだい」
苦笑するように返事を返す。
どうして環が頑なに瞼を開かないのか。九子はそれを理解している。
九子の本音を言えばその瞳と目を合わせたいのだが、それは簡単には許されない。
幼い環がどこまで惚条の特異性を理解しているかは分からないが、瞳を見せない様子を見ると惚条の掟は教え込まれているようだ。
ゆっくりと顔をあげる環の瞳はやはりしっかりと閉じられていて、未だその輪郭を見せはしない。
九子はもう一度苦笑し、言葉を繋げる。
「環、私になら別に目を開けても構わないと思うの。一度はその瞳を見た事があるし、こうして呉葉を挟めば目を合わせる事もないと思います」
優しく、諭すように九子が提案する。その言葉に、環は動揺するように体を揺らす。
返す答えが見つからないのか、返事に困った環は一度俯き考えるように動きを止めた後、小さく呟いた。
「………くれは」
環はぼそりと小さな声で自分の従者の名を呼ぶ。
呉葉は主の問い掛けに僅かに目線を動かす程度の反応を見せる。環を庇うその姿勢は変えず少し目を泳がせるような僅かな反応。表情を変えず、環の問い掛けを受け取り静かに口を開く。
「……九子様、ご理解下さい。惚条の瞳は特別故、容易に晒す事はなりません」
彫刻で掘られたような鋭い目つきで九子を睨んだまま、鳥のような凛とした声で呉葉に語り掛ける。
容易には晒せない。呉葉はそう言った。
九子は惚条家の秘蔵、その神秘の瞳の事は理解している。
先に九子が言った通り一度その瞳と対面もしている。それを呉葉は認識しているが、その上でソレは九子にすら晒せないと言い放った。
その言葉に環は項垂れるように顔を俯かせる。判断を委託したのは環本人だが、呉葉の包み隠さない言葉に後ろめたさを感じたのだろう。その瞳を持っているのは自分なんだ、と。何より九子の申し出を断った事に対し負い目を感じているのだ。
「九子様、環様に御用があるのでしたら用件をお話下さい。この屋敷がどのような惨めな場所か、貴方も知っているでしょう?」
呉葉は鋭い目つきで射抜く様に九子を睨みつけ、主を気遣う故の言葉を吐きつける。その色には憤怒があり、不平不満を素直に表している。
この隠れ屋敷は黒凪家が所有し身柄の隠匿の為に使われるのが主だが、もう一つの用途もある。
それは、幽閉目的。
ある理由から身柄を独自保有しなければならない者をこの屋敷で監視、観察する。
隠匿と幽閉の違いは其処にある。
隠匿される者は身柄確保の為に屋敷に入り、幽閉される者は身柄保有の為に屋敷に入り監視、観察を強制される。
屋敷に張り巡らされた、無数の形異なるレンズによって。
部屋の角に設置された在り来たりな監視カメラをはじめ、オブジェや雑木に紛れた肉眼では到底確認できない物まで存在する。
それはまるで人込みの隅から感じる視線のようで、眼には見えないが五感が感じ取ってしまう。せめてその存在が完全に分からない物ならまだ救いがある。だが半端に感じ取れてしまうそれは陰湿な虐待のように不快を生み、常に誰かに見られながら過ごすというストレスを否応無く与える。
環と呉葉の立場は、隠匿と伝えてある。
だが、二人とも此処で過ごす内に感じ取ってしまったのだ。見えない目からの監視を。
そして悟ってしまった。自分達は隠匿ではなく、幽閉されているのだと。
その事実は二人に危機感を与えこの屋敷に居る事への不信感を煽ってしまった。黒凪と惚条の関係は良好であると環は認識していて、環本人も黒凪家の事は快く思っている。
元々環は他人を疎ましく感じない性格でどのような相手でも快く受け入れるのだが、一か月以上も監視下で生活を強いられれば不信感も抱いてしまう。呉葉も早い段階から監視に気付き黒凪の嘘を見抜いていた故に警戒の姿勢を常に崩さず精神を尖らせている状態が常時続いている為、心がやつれてきている。
環、呉葉はこの屋敷に限界を感じている。最早二人にとってこの屋敷は出来の良過ぎる牢獄なのだがら。
「本来私達がこの屋敷に留まる理由も定かではありません。惚条にも笠倉にも金銭の貯えは十分あります、そちらを手配して頂き私達は即刻この屋敷から退席を願います」
呉葉は小さく頭を下げて九子に対し要求を述べる。
環は小さく唸り呉葉に異論を唱えようとするが、寸で止める。それは身を案じれば当然の要求であり、主として呉葉の状態を考えればこの屋敷に居る事は良くないと考えている。これ以上自分の為に精神を尖らせ、痛めて欲しくない。環は自分が監視され不利を義務されるのは構わないが、呉葉がそれで苦しむのは度し難いのである。
環は出しかけた言葉を抑え、呉葉に同乗する。
「きゅうこ様、御無礼をお許し下さい。ですが、私達はこれ以上黒凪の方にご迷惑をかけたくはありません。お手数をお掛けしたお礼もします。ですからどうか、私達を仙間の山に行かせてください……」
環は、呉葉を挟み九子に対し頭を下げた。
深く、眉間を畳に擦り付け。
「……環様」
呉葉はその場で初めて九子から視線を外し、警戒の姿勢を解いた。
そして、環に覆いかぶさるように正面から環を包む込み、九子から環の身を隠す。その表情には苦渋に満ちており、自らの申し出のせいで主にこのような真似をさせてしまった事に罪を感じているのだろう。
そんな二人を、九子は嘆くように見つめる。
その心は軋むように締め付けられ、今にも悲鳴を上げそうになっている。
これは九子の望んでいた再開ではない。改めてそう思った。
「……すみません、環。その申し出を受ける訳には、いかないのです」
九子は精一杯言葉に温かさを乗せたつもりだったが、その本質の冷たさを拭う事が出来なかった。
「ツッッ!! 貴様、環様のこのお姿を見てよくもそのような事が言えるな!! 外道め!!」
呉葉が再び九子を睨みつけ、その口から暴言の叫びが木霊した。
「貴様等の目的は分かっている!! 惚条家の混乱に乗じて『桃色の瞳』を狙っているんだろう!! 薄汚い下種共め、やはり貴様が環様に近づいたのも欲望の為か!!」
「……口を慎しみなさい従者無勢が!!」
呉葉の言葉に、九子は叫ぶように感情を爆発させた。
「お前に黒凪の何が分かる?! 私の何が分かる?! 知ったような口を聞くな未熟者!!」
それは九子らしくない、感情に任せた怒叫だった。
目を見開き眉間にシワを集め、怒りを露わにしたその顔は少女とは程遠い『鬼』のような形相だ。
それを前にしても呉葉は目を逸らそうとはせず、むしろ今にもその喉笛に齧り付きそうな程殺意をむき出しにして睨み返す。
「ようやく本性を見せたな獣め。どんな綺麗事を並べても貴様は黒凪の者、その中身は欲望を幾つも抱える卑しい人喰らいの化身だろう!!」
「ツッッ!!ぅ、ううう、煩い!!」
呉葉の言葉に九子は喉を詰まらせる。
そして出た言葉は先の怒叫とは違い動揺に震え、その表情も一瞬で少女の顔に戻っていた。
「所詮貴様も他の者と同じだ。惚条の秘蔵欲しさに環様を利用するつもりならいくら黒凪の者でも許さんぞ!!」
「違う!! 私はそんなつもりでは……環、私は貴方を救いたくて此処に、」
「ふざけるな!! 救うだと? こんな人知れない場所で私達を監禁し見えぬ目で監視し出る事を許さない……それで救うだと? 信じれる訳がないだろう!!」
「い、今は何も出来ないのです! ですがきっと、環は私が幸せに導きます……信じてください……環、」
「黙れ!! 戯言など聞きたくもない!! これ以上環様を惑わす様な真似をするなら、喋れないようにその喉を切り裂いて……!!」
「くれは、もう………やめてくだい」
まるで、焼け野原に雨が舞い降りたように場が静まった。
蝉の鳴き声が蘇り、緊迫していた空間が環の一声で元に戻った。
先まで物凄い剣幕で睨んでいた呉葉は年相応の少女の顔に戻り、九子は動揺からか表情を鈍らせ目を泳がせその瞳で環を見つめる。
そして環は呉葉を傍に下がらせ、その瞳を開き九子と向かい合った。
表情は憂い。
哀を宿したその顔には、二つの瞳が備えられている。今まで開かれていなかった瞼は奥に潜み、その眼孔が露わになる。
それは、桃色に輝く神秘の瞳だった。
まるで宝石のように輝きを宿し魔性の光を灯している。
神秘的で、人を惑わす魔性の宝石。この世の物とは思えない桃の色をした瞳は見る者を『惹きつける』魅力を持っている。事実、九子は環の瞳と対面してから目を離せないでいる。
まるで心が奪われたようにその瞳を魅入っていて、先の口論が嘘のように震え消え動揺が潜み表情が穏やかに戻っている。
(あぁ、やはり駄目だ。二度目でもまだ奪われてしまう)
九子は心の中で呟いた。
九子の頬は次第に赤く染まり、吐息には色がつきそうな程熱を帯びている。
それを九子は自覚し、咄嗟に目を逸らそうとするが……自分の瞳は言う事を聞いてはくれなかった。
完全に魅入ってしまった。魔性の瞳、『魅了の桃眼』と。
九子は自分の愚かさを嘆いた。二度目の再開は必ず呑まれはしない、きっとその瞳と対等に渡り合う、と。
それは自分の心の幼さが生んだ愚かな理想だった。所詮は九子も他の者と変わらなく瞳に容易く心を奪われてしまう。
それが九子にとって、とても悲しかった。
「きゅうこ様、数々の御無礼どうかお許し下さい……罪なら主である私がお受けします。この屋敷での暮らしも構いません………ですから、一つ私の願いを聞いては貰えませんか?」
九子は、声に出せない懺悔を心の中で唱えた。
(環、こんな私を許してください。必ず貴方を幸せにします。ですから……どうか私と共に……)
「どうか……私の家族に会わせてください……お願いです……」
その懺悔は誰にも届かない哀れなものだった。
環の流す涙も止める事は出来ず、呉葉の怒りを止める事も出来ず、自分の悲しみを紛らわす事も出来ない。
何も成せない哀れな嘆き。
九子は、自分の無力さを痛感した。そして、自分を呪った。
数年前のある蒸し暑い季節。
これは、九子の望んだ再開ではなかった。
環、九子、呉葉。
三人の再開はとても酷く、酷いものだった。