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第二話:代償の波紋と、未読の通知

城門の前に鎮座した、異質なコンクリートの塊。 それは、数分前まで東京都港区の喧騒の中にあったはずの「喫煙所」だった。 トロールの巨体はその下で沈黙し、溢れ出したヤニの臭いと土埃が、中世の石造りの城郭にひどく不釣り合いに漂っている。


「……はぁ、はぁ、……っ」


俺、相川陽人あいかわはるとは、ひび割れたスマホを握りしめたまま膝をついた。 右手の指先が、スマホの熱で火傷したように熱い。


「救世主様……! お怪我はございませんか!」


聖女リアナが駆け寄ってくる。彼女の瞳には、人智を超えた奇跡への畏敬と、救世への希望が爛々と輝いていた。 だが、俺は彼女の顔を直視できなかった。


(……俺は今、何を捨てた?)


脳の片隅に、ぽっかりと「空白」がある。 品川駅。毎日通った駅。あの喫煙所。 あそこで誰とすれ違った? あそこで、どんな重要な電話を受けた? 思い出そうとするたび、頭痛が走る。まるで、記憶のアーカイブから特定のセクターだけが物理的に削り取られたかのような、絶対的な欠落感。


「ハルト様……?」 「……いや、なんでもない。ただ、少し疲れただけだ」


俺はリアナの手を借りずに立ち上がった。 足元に広がる、血とヤニの混ざった泥濘。その中に、一枚の「紙」が落ちているのが見えた。 トロールを押し潰したコンクリートの破片に挟まっていた、半分焼けたチラシだ。


『品川エリア再開発のお知らせ』


その文字を見た瞬間、心臓が跳ねた。 だが、数秒後。俺の目の前で、その紙の上の文字がサラサラと砂のように崩れ落ち、ただの白紙に変わった。 この世界に定着できなかった「現代の概念」が、消失していく。


「……概念の定着不全か」


俺は、スマホの画面を見た。 アプリ『OverWriteオーバーライト』のログが、静かに更新されている。


【術式評価:成功】 【リソース消費:品川駅港南口喫煙所(存在確率 0%)】 【副次影響:当該地点における過去30年分の『邂逅』の消滅】

邂逅かいこうの消滅……?」


不吉な言葉が脳裏をよぎる。 あの場所で出会い、そこから始まった人間関係が、日本側で「なかったこと」にされているのか。 俺が魔法を撃つたびに、誰かの人生の線が、ブツリと切れている。


「救世主様、王が謁見の間でお待ちです。この奇跡の勝利を祝し、全土に布告を出さねばなりません」


リアナに促され、俺は重い足取りで城の中へ歩き出した。 周囲の兵士たちが俺に跪き、剣を掲げる。彼らにとって、俺は絶望の淵から現れた光なのだろう。 だが俺にとっては、自分を切り刻んで焼べるだけの、残酷な「マッチ売りの少年」に過ぎない。


【同時刻・現代日本――東京都、警視庁】


「……妙だな」


特命捜査課のデスクで、一人の刑事がモニターを凝視していた。 品川駅港南口。監視カメラの映像が、突如として砂嵐に変わっている。 それだけではない。 「そこにあったはずのもの」を調べようとしても、現場に派遣された機動隊員は口を揃えてこう言うのだ。


『元から、何もない更地でしたよ。ずっと放置されていた空き地だ』


だが、地図データには明確な記録がある。数時間前まで、そこには構造物があった。 物理的な消失と、人々の記憶の改ざん。 この「世界の穴」を追う、名前もなき観測者たちが動き始めていた。


【異世界・王都フィリス】


豪華な絨毯が敷かれた廊下を歩きながら、俺はスマホのアプリを詳しく調べ始めた。 俺がこの国を完全に救い切るまで、あとどれだけの「日本」を捧げればいい?


画面の端に、小さなアイコンが点滅しているのに気づいた。 『未読の通知』。


アプリからのシステムメッセージではない。 それは、圏外のはずの、普段使っているSNSアプリからの通知だった。


【通知:母さんから1件の新着メッセージ】


指が凍りつく。 恐る恐る、そのメッセージを開いた。


『陽人、元気? 最近連絡がないから心配しています。……そういえば、品川にあるあなたの会社、来月から移転するって本当?』


喉の奥が、ヒリついた。 繋がっている。 このスマホは、まだ日本と、家族と、微かに繋がっている。 だが、その繋がりこそが、最も残酷な「照準」だった。


『OverWrite』が、メッセージをスキャンするように青い光を放つ。


【新規リソース候補を検知しました】 【候補:相川家の『家族の記憶』】 【期待される効果:極大魔法『天の守護壁』の発動が可能になります】

「……ふざけんな」


俺はスマホを握りしめ、その画面を叩き消した。 異世界を救うために、母さんとの思い出を「消費」しろというのか。


「ハルト様? どうされましたか、そんなに恐ろしいお顔をして」


心配そうにこちらを見るリアナ。 彼女の純粋な善意が、今の俺には毒のように突き刺さる。


俺はこの先、英雄として崇められるたびに、故郷の断片を、愛する人の面影を、一つずつ殺していくことになる。


謁見の間の大きな扉が開く。 そこに座る王の笑顔を見たとき、俺のスマホが再び、冷たく、静かに振動した。

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