㉙ セイラへの再ヒーリング
予約していたホテルに午後8時近くにチェックインすると、珠子はともかく、彩子と修は昼間の疲れが押し寄せて、シャワーを浴びると翌朝まで泥のように眠った。
翌朝はホテル内のレストランで朝食を済ませ、10時前にチェックアウトしてホテルを出た。
東京見物もできるようにとの配慮で、彩子の父親は帰りの飛行機の予約を遅い便にしてくれていた。
「空港に行くまでの時間、どうする?」と彩子が言うと、珠子がスマホで近隣の地図を見た。
「ここからなら、東京タワーと六本木ヒルズが近いわ」
東京タワーまでは1キロちょっとの距離なので、彩子たちは歩き出した。
その頃、T病院では騒ぎが持ち上がっていた。
朝からの診察で撮ったセイラのMRIの画像を見て、主治医が驚きの声を上げた。
「信じられません、右胸と右腋のリンパの癌細胞が消えています! 長年医者をやっていますが、こんなことは初めてです。どうしたんでしょう」
セイラは、あえて驚いた演技をした後で言った。
「仲のいいお友達がお見舞いに来てくれたので、それがよかったのかもしれません」
主治医は、それを聞いても首をひねった。
「『病は気から』と言いますが、とてもそんなことで治るレベルではないんですがね」
本当のことを言うわけにはいかないので主治医には心苦しいが、中森夫妻もセイラも自然に顔がほころんでしまう。
しかし、主治医の次の一言が、3人の笑顔を凍りつかせた。
「この分なら、胸骨の治療にも希望が持てるかもしれませんね」
中森氏は主治医に詰め寄った。
「先生、今何と? ほかにも転移があるんですか?」
「ええ、進行性の乳がんでステージ3に入りかかっていたので、胸骨にも一部、転移しています」
主治医が病室を出ると、中森夫妻はすぐにソファーで額を突きあわせた。
「直子、すぐに彩子ちゃんに連絡してくれ!」
「えっ? 彩子ちゃんの連絡先は、私が昨日夕食の予約をしてた時にあなたが聞いたとばかり思っていたわ」
パニックに陥った夫妻を、セイラはにこにこして見ていた。
「パパ、ママ、私に任せて」
「ワタ…」
セイラの呼びかける声が、彩子に届いた。
彩子は指で「重」(チョウ・かさなる)と書いて、テレパシーの念波を同調させた。
「ワタシヨ。スグニキテ」
彩子は指を鳴らしてテレパシーを止め、修と珠子を見た。
「セイラさんが来てくれって言ってる」
修と珠子はもうテレパシーくらいでは驚かない。
「T病院に電話してみたら?」
彩子はスマホで検索して、T病院の代表番号に電話した。
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
昨日、彩子たちをエレベーターまで案内してくれた受付嬢の声だった。
「昨日、中森セイラさんを訪ねた者ですが」
「あ、はい、伺っております。内線でおつなぎします」
電話にはセイラでなく、中森氏が出た。
「君たち、今、どこにいる!」
詰問しているかのように切迫した声だった。
「東京タワーの展望台ですけど」
「ああ、よかった……。大至急こっちに来てくれないか。詳しいことは会って話すから、頼む!」
中森氏は、彩子の返事も聞かずに電話を切った。
病室に入ると、セイラがベッドを降りて駆け寄り、彩子を抱きしめた。
「昨日はありがとう、彩子ちゃん! パパったら、あなたたちの連絡先も聞いてなかったんだって? あきれたわ」
「忘れないうちに今、電話番号を交換しましょう」
中森夫人の呼びかけで3人を代表して彩子が中森夫妻とセイラの電話番号を登録したが、スマホを紛失して他人に見られる場合のことも考慮してセイラの登録名は「石嶺星子」とした。
「私たちに何か急なご用ですか?」
「そうなんだ。今朝主治医の診察があったんだが、癌が消えていたので非常に驚いておった」
医者の常識では起こりえないことが起こったのだから無理もない。
彩子たちには主治医の驚きが目に見えるようだった。
「そこまではよかったのだが、主治医の言うことには、胸骨にも転移しているというのだ」
中森氏は話しながら手のひらで自分の胸を上から下へなでおろすようなしぐさをした。
胸骨は、左右の肋骨をつなぎとめている骨、分かりやすく言えば、胸の中央を縦に走っている骨だ。
中森氏の用件を察して修が言った。
「分かりました。昨日の続きをやればいいんですね」
「君たち、今日帰るということだったが、帰りの飛行機は?」
「羽田発の15時の便です」と彩子が答えた。
「それなら間に合いそうだな。よろしく頼む」
彩子たち3人は、昨日と同じようにセイラのベッドの脇に左右に分かれて座った。
カーテンを閉めて薄暗くなった部屋で、セイラはパジャマに手をかけ、昨日と違って少し恥ずかしそうに上半身、裸になった。
ヒーリングで健康を取り戻した分、羞恥心がよみがえったのだろう。
珠子がセイラの左手を握った。
「いい気持ち。何とも言えないくらい楽な気分になるわ」
修が見ると、セイラを覆っていた黒いオーラはほとんど消えていた。
そのためもあってか、セイラは昨日と違って眠気を感じなかった。
彩子がセイラの胸の上に手をかざすと「澄」能力で胸が透け始めた。
まあっ! 首をもたげてその様子を見ていたセイラは驚きの声を発した。
「セイラ、治療の邪魔だからおとなしく寝てなさい」
夫人にたしなめられて、セイラは首を枕に戻した。
彩子が透過のレベルを昨日以上に進めていくと、脂肪や筋肉が全て透けて、レントゲン写真のように胸骨が見えだした。
「修、ほらっ!」
胸骨の上部に明らかな異変が見つかった。
修は、セイラの胸の谷間に手を置いた。
途中で二度、手をのけて経過を確かめ、次に手をのけた時には病変はきれいに解消されていた。
彩子が指を鳴らすと、透けていた胸部が元に戻った。
ヒーリングは成功したのに、ふうっと息を吐いて彩子と修はうなだれた。
疲れた二人と対照的なのがセイラだった。
「パパ、ママ、私、身も心も、すっかり元気よ! 魔法みたい」
「疲れたでしょう。お茶を入れるわ。こちらへいらっしゃい」
夫人は3人をソファーに招いた。
お茶を飲んでいると、ドアをノックする音が聞こえたので夫人が立っていった。
「奥様、お持ちいたしました」
プロダクションの社員と思われる女性が3人、それぞれ縦長の紙バッグを提げている。
「ご苦労様。こちらに持ってきて」
女子社員たちは彩子たちの側に紙バッグを置くと、中森夫妻に頭を下げて病室を出て行った。
「私たちのせいでお土産を買う時間もなかったでしょう。これを持って帰ってちょうだいね」
バッグを上から覗くと、ゴディバのチョコレートの箱が見え、ほかも高価そうなものばかりが入っていそうに思われた。
彩子は、おずおずと夫人に尋ねた。
「あのう、お土産代はおいくら立て替えていただいたんですか?」
それを聞いた夫人は、目を見張り、次に両手を口に当てて、隣の中森氏に涙声で言った。
「あなた、何て子たちなんでしょう……」
二度、三度うなずいた中森氏も涙声だった。
「馬鹿なことを言うもんじゃない。君たちはセイラの命の恩人じゃないか。お土産どころか、何億円あげても……」
最後は声が震えて言葉にならなかった。
そろそろ空港へ向かわねばならない時間になった。
自分たちにできることは何でもするから必要な時は連絡をくれるようにと、中森夫妻とセイラに何度も言われて彩子たちは病室を出た。
空港での昼食代にと、中森氏は1万円札を強引に彩子の手に握らせた。




