⑰ 不破流司と道砂芽の回想
中学3年時の遠足で、流司は雷に打たれて病院に運ばれたのだが、ベッドに横たわっている時「クア イオア モス」というフレーズが頭の中でずっと鳴り響いていた。
退院後、ネットで調べてみると、他人の夢を操ることのできる黒魔術の呪文であることを知った。
半信半疑であったが、試してみることにした。
夕食後、リビングで母親がうたた寝をしていた時に、流司は小声で呪文を唱えながら、朝食にはありえないステーキを母親が食卓に出す場面を想像してみた。
流司が呪文を唱え終わっても母親には何の変化もなく、うたた寝を続けていた。
しかし、翌朝、ステーキを目の前にして流司は恐れを抱き、父親は単純に驚いた。
「朝からステーキとは、豪勢じゃないか!」
「何となくステーキを焼きたくなったのよ。精を付けて、お父さんも流司も1日頑張って」
流司は黒魔術の本を買って読み、夢を操る相手が寝ている時間帯でなければ呪文を唱えても意味はなく、相手が近くにいない場合は、相手の住所と氏名を呪文とともに口にしなければならないことなどを知った。
一方、道砂芽のほうも落雷の後、不思議な体験をしていた。
と言っても、芽が自分の力を自覚したのは、S高に入学してからだった。
美大への進学を考えている芽と流司は、S高に入学すると中学校の時と同じように美術部に入部した。
夏休みに入って日帰りスケッチ旅行の行く先を決める部会が開かれたが、何人かの部員が海水浴を兼ねて海辺へ行きたいと提案した。
遊び半分の発言に憤りを覚えた芽は、山間部の廃屋を描きたいという意見を述べて部員の目を一人一人見つめた。
すると、海辺案を出した部員たちは口をつぐみ、芽の意見どおりに行く先が決定された。
芽は自分の熱意が通じたと思ったのだが、それ以降も、意見が食い違った時に相手を見つめると必ず自分の考えが通った。
流司と芽が体の異変に気付いたのは、1年時の冬休みに美術室で石膏像のデッサンをした日のことだった。
他の部員たちは三々五々帰宅し、流司と芽の二人が残された。
「僕たちもそろそろ帰ろうか」
帰り支度をして、流司が美術室の電気を消した。
冬のことで5時半を回ると室内はかなり暗い。
「道砂さん……」
「不破くん……」
美大への進学を目指しているどうしということもあり、二人は中学校のころから好意を抱きあうようになっていた。
しかし、この時二人が見つめ合ったのは、恋愛感情からではなかった。
「道砂さんの目、光ってる……」
「え、私も?」
二人は、美術室の壁面に備え付けてある大きな鏡の前に並んで立った。
二人とも、自分の目がかすかに光を発しているのを初めて知った。
「私、怖い」
芽は流司の腕にすがった。
「うちに寄っていかないか?」
流司と芽は中学校の時、同じクラスだったこともあり、クラス懇談会などで親どうしもお互いを見知っている間柄だった。
流司の父親は、晩酌にビールを飲んでいた。
少し酔っているくらいがショックも少ないだろうと流司は考えた。
「お父さん、ちょっと進学の相談に乗ってほしいんだけど」
「そうか、じゃ父さんの部屋で話そう」
父親は飲みかけのビールを持って3階の書斎に上がり、流司と芽も続いた。
「僕も道砂さんも将来、デザイン関係の仕事に就きたいんだけど、就職のことを考えれば大学は東京に出たほうがいいと思うんだ」
「そうだな。で?」
「美術展での大した入賞歴もないし、不安なんだ。3年生になったら、受験の実技指導をしてくれる画塾に通おうとは思ってるけど」
「そうだなあ。お父さんがS高の理事にでもなれば、お前たちを指定校推薦の特別枠に入れてもらえるかもしれんが。まあ、受験までは時間があるから、ゆっくり一緒に考えよう」
ここで流司は芽を見た。
芽は緊張気味に頷いた。
「もう一つ聞いてほしいことがあるんだけど……」
流司は、父親に中学3年の落雷事故以降のことを語った。
目の光のことを話すとばかり思っていたので、流司が黒魔術を使えることを初めて聞いた芽は、流司の父親と同じくらい驚いた。
「それに目もおかしくなっちゃって」
「目がどうしたんだ?」
流司は、立ち上がって部屋の照明のスイッチを切った。
「お父さん、僕たちの目を見て」
流司と芽の四つの目が、部屋の暗がりの中でかすかに光っているのを見て、流司の父親はビールがのどに詰まりでもしたかのように「うっ!」と小さくうめいた。
しばらくの静寂の後、今度は父親が部屋の明かりをつけ、二人の前へ行って顔を近づけた。
「明るいところで見ると分からないな」
「それで僕たちも、今日まで気づかなかったんだ」
流司の父親は、混乱した頭を整理するかのように腕組みをして考え込んでいたが、ふいに顔を上げて芽を見た。
「ということは、芽ちゃんも流司と同じように、その、何かできるのかい?」
芽は、自分が意識を集中させて見つめると相手が反論できなくなった事例をいくつかあげた。
「友だちから目力が強いとかは何度か言われたことがあるんですけど」
流司は芽の体験談を聞いて、恐らく父親も同じことを考えているだろうと思って代弁した。
「目の光と合わせて考えると、道砂さんのそれも僕と同じようにきっと特殊な能力なんだよ」
そんなふうに流司は父親に話を持ちかけたのだが、今度は流司が父親に相談を持ちかけられた。
流司が2年に進級して2か月ほどたった6月初めのことだった。
父親からのその相談が、今日の田端アパートの件につながっている。
田端アパート横の畑を買収して何か施設を建設すれば理事長の利益につながり、そのことを進言すればS高の理事になる道が開けるかもしれないことなどを話して、流司に生徒会長への立候補を勧めたのだ。
ただし、大人の裏の事情に巻き込みたくないとの親心から、流司の父親は県の道路拡幅計画については流司に話さなかった。
流司としては、文化部の活動活性化に加えて、父親の仕事と自分の進学の両面でプラスになると考えて気軽に引き受けたのだった。
回想から覚めた流司と芽は、田端老人が夢遊病者のように土地売買の仮契約書に印鑑を押すのを見た。




